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ライフスタイルサロン ~遊びをせんとや生まれけむ『ぼくの複線人生』~

カルチャー&ライフスタイル
更新日 : 2008年03月12日 (水)

第6章 多面的な経験が成功を導く

福原義春: 五十嵐邁(すぐる)さんという方がいらっしゃいます。1924年生まれ、私より少し上ですけれど、東京大学の工学部建築学科を卒業されて、大成建設の役員になられました。のちに信越化学工業の役員になって、さらに信越半導体株式会社の社長になられました。

テングアゲハというヒマラヤのふもとに住むような大きなチョウの生活史の解明を行ったことで有名で、日本蝶類学会を創立され、会長を務められました。現在は名誉会長です。テングアゲハの生活史の研究で、京都大学の理学博士号を取得されています。

駆逐艦「蕨(わらび)」が昭和2年、訓練中に遭難する事件があったのですが、そこにお父さんが乗っておられました。そのノンフィクションをお書きになって、最近では小説を確か5冊ぐらいお書きになっています。極めてお元気に過ごしておられます。どうも複線的な人生を送っている方というのは、いつまでも元気な方が多い気がします。

山崎種二(たねじ)さんは、有名な山種美術館の創始者です。群馬から出て来られて、深川の米問屋で丁稚奉公をした後に、独立して米問屋を自分で営業するようになりました。そのとき、自分へのお祝いとして酒井抱一の掛軸を買ったのですが、それが後に偽物であるということがわかったんです。

そこで彼は絵を買うんだったら生きている人から直接買えば偽物をつかまされることはないと考えて、当時の画家、例えば横山大観、あるいは上村松園、竹内栖鳳、速水御舟、のちに東山魁夷などを援助され、絵を買って集めていきました。

山崎さんは後に米問屋から株にも手を出すようになって、大変うまくいって一財産つくられたわけですが、相場師でありながら奥多摩にある川合玉堂のアトリエに行って、一日遊んでいるんですね。ちょっと考えられないことなんですが、多分、そういう本物の人と会うことによって真善美というか、本当の人間というものを見破るような、見極めるような、そういうすべを学んでいたのではないかと思います。

大変成功されて、いまやコレクションに重文級のものがあります。後に横山大観に「金もうけをされるのも結構ですけれど、この辺で世の中のためになるようなこともやっておいたらどうですか」と言われて、山種美術館をつくったわけです。

結局、この人の場合、どうも株でもうけるということと、絵のいいのを買うということは同義語のようで、しかし絵の方はもうけるために買っているのではなくて、コレクションのために買っている。それが結局、死後、大変なコレクションになって現在残っているといえるかもしれません。

医学博士の太田正雄さんは、日本で初めて白癬菌、水虫の菌を分離したことで有名です。ハンセン病の菌というのは、そんなに伝染力がないということを指摘したのも、この方です。昭和12年に帝大医学部の教授になり、小石川の伝染病研究所に研究室を設けて終戦の年に亡くなるまでお勤めになりました。

学生時代から文学者としてのペンネームは木下杢太郎であって、詩人として詩人仲間とおつき合いをされて、5人の詩人と作家でお書きになった『五足の靴』という九州に旅行する紀行文の本が、最近岩波書店から出たりしております。木村荘八とともに中国の大同石仏に行ったりもしています。

また、中学生時代から絵が好きだったんで、後に絵も残されるわけです。最晩年には『百花譜』、872点の植物画をお書きになりました。これも最近、復刻されました。

医学者としての太田正雄という顔と、文学者としての木下杢太郎という2つの顔をお持ちで、わずか人生60年の間に、あれだけのお仕事をしたということに驚くわけです。