記事・レポート

ネットいじめ~ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」

更新日 : 2009年08月24日 (月)

第10章 出会い系サイトと現代の恋愛観・結婚観

荻上チキさん

荻上チキ:  学校文化が変遷したことを受けて、10代、20代が使いたくなるような、さまざまな学校に関連したサービスが出てきて定着してきましたが、それは単にウェブサイトができた、そしてそれが面白かったから流行ったというだけではなくて、そもそも、ある種のニーズに下支えされていたからだということは、おわかりいただけたかなと思います。

先ほど少し触れた、出会い系サイトも1つのわかりやすい例としてあるのではないかと思うので、お話ししましょう。インターネット黎明期から、「出会い」を求める者たちが集まるサイトが続々と作られていきました。例えば、『Yahoo!パートナー』というYahoo!JAPANがやっている出会い系サービスがあります。この検索システムを、ちょっと見てみましょう。様々な属性に応じて検索をかけることができるので、自分が求める条件を絞り込んで、写真で判定することができ、メッセージを交換することができる。

出会いを求めている一般的な人は多くいる。ごく普通のサラリーマンとか、ごく普通の生活をしている主婦とか、あるいは学生とかに限らず。そういった人たちに「出会いたい」みたいなニーズが登場してきたときに、各出会い系サイトが進歩してきたりするわけです。その出会い系サイトに適した形で、例えば出会い系リコメンドサービスなども発展している。

検索サービスやリコメンドサービスだけでなく、ランダムで表示されるコーナーや、新規登録者が表示されるコーナーなどもあり、ある種の偶然性、「運命」という言葉の入り込む余地も、ふんだんに盛り込まれている(笑)。

これまでであれば、例えば「結婚をしなくちゃいけない」という同調圧力が周囲からかけられ、「お見合いおばさん」などが仲介してくれるというケースも多かった。それも、せいぜい新人類世代の人たちがトレンディードラマを見ていたころに比べれば、相対的に下がってきているし、結婚の割合みたいなものも相対的に下がっていっているような状況があったりします。

今はそもそも結婚というものは選択肢のひとつで、むしろ「いろいろ試した結果、マッチングした相手と結婚した方が合理的じゃね?」みたいなナレッジや、「恋愛を恋愛として楽しむ文法」みたいなものが、割と多く出てきたりします。「この畑を守らなければいけないから、婿養子なりをお見合いとかでゲットしてきて、何とか家を継がなくちゃ」みたいなプロセスで結婚していくという形は、もちろん今でも根強くある。そして、「ネットで出会ったりするということは、恋愛としては劣っている」「恋愛としては今ふうすぎて何か大事なものが損なわれているんじゃないか」みたいな流言につながっているということもある。

しかし、人間関係の意味づけそのものが社会の中で流動化している状況において、恋愛とか結婚というものに対する期待、異性をみつけるとか運命の人を見つけるということに対する期待そのものがそもそも変化して、セグメント化されてしまっているわけです。つまり、私たちの社会にセグメント化された出会いのチャンネルに適したメディアを提供するというニーズがあるからこそ、そういったものに的確に応えていくためのメディアというものがボチボチ出てきている、というわけですね。