記事・レポート

生命観を問い直す

更新日 : 2009年03月26日 (木)

第4章 イタリアの名画2枚に隠された謎

福岡伸一 分子生物学者/青山学院大学教授

福岡伸一: 私は絵画鑑賞が趣味です。アメリカ・ロサンゼルス郊外、サンタモニカの山上に建つゲッティセンターには、ポール・ゲッティ美術館があります。「世界で一番ゴージャスな美術館はどこか?」と問われたら、私は疑問の余地なく「ゲッティセンター」と答えます。この美術館には、「ラグーナでの狩猟」というタイトルの絵が所蔵されています。
この絵は今から500年ぐらい前にイタリアで描かれた絵で、貴族たちが舟遊びをしています。手前の海上にユリの花が描かれているのですが、最初見た時、私は「どうして海の真ん中にユリがあるのかな」と不思議に思いました。

時を経て、また別の美術館で一枚の絵と出会いました。イタリア・ヴェネツイアのコッレール美術館に収蔵される「コルティジャーネ」という絵で、古来、作家や美術家、音楽家、芸術家たちの関心を一身に集めてきた作品です。

「コルティジャーネ」は、かつて貴族や金持ち、王族などに仕えていた高級娼婦のことで、この絵は娼婦たちを描いたものだと考えられてきました。娼婦たちの視線は、虚空を彷徨っているようにみえます。彼女たちが見ているものは何か————この謎について、これまでいろいろな議論がなされ、小説が書かれたり、評論が書かれたりしてきました。

福岡伸一 分子生物学者/青山学院大学教授
ところが最近、意外な事実が明らかになりました。この絵と先ほどの「ラグーナでの狩猟」はもともと一枚の絵で、例のユリの花は、「コルティジャーネ」の中の花瓶に刺さっていたものだというのです。この絵の断面部分を調べると、上下の絵の木目は完全に一致することがわかりました。当時の強欲な美術商がこの絵を分断し、2枚の絵として売りさばいたことで、現在ロサンゼルスとベネチアに別れてしまったのです。

また意外なことも分かってきました。この縦長の絵は、おそらく両開きの家具、あるいはドア、あるいは屏風に書かれた右半分だというのです。左半分は行方不明ですが、そこには女性たちが見ていた“何か”があったに違いありません。古来、いろいろな人たちが論じていた絵は、全体の4分の1でしかなかったのです。

そういう目で改めてこの絵を考証してみると、実はこの女性たちは娼婦ではなく、貴族の奥様方で、自分たちをほったらかして舟遊びに興じる旦那衆を手持ち無沙汰で待っている。そういう家族の肖像を描いたものだという解釈も出てきました。

さて、生命現象あるいは自然、環境は、本当は動的なものであり、いろいろなレベルで物質的に、情報的に、エネルギー的につながっています。にも関わらず、私たちはそれらを部分だけで見て、その中でロジックをつくり、効率を求め、ストーリーを構築しているのではないか。それを言わんがために、「コルティジャーネ」のお話をしたわけです。


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