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「縄文の思考」~日本文化の源流を探る

更新日 : 2009年08月11日 (火)

第10章 縄文人に芽生えた「人間意識」

小林達雄 考古学者/國學院大學名誉教授

小林達雄: 縄文人は村で生活し、原に出かけていっては十分な話し合いのもとに原の恵みをとって利用していました。そのうちに縄文人は村の整備を整えていきます。それによって目にする景観——朝起きて目が覚めたとき目に飛び込んでくる近景としての村の景観、中景としての原の景観、そして遠景としての山の景観、その全体を覆いつくしている天蓋の役割をしている空、そういうものの中で人として非常に重要な意識に目覚めるのです。

自分たちが整備したこの村の空間、人工的な空間というのは自分たちだけしか持っていない。自分たちでつくって、自分たちの使い勝手のいいように設計して、どんどん村と原との景観上の違いをくっきりとさせていきます。

そのとき縄文人は、「俺たちはもはや動物ではない」と思ったのではないでしょうか。かつては自然的秩序の中で動物と同格でした。ところが「俺たちはちゃんとした生活の舞台、俺たち特有の舞台を持ち、動物たちの舞台とは別のものを持っているんだ」という景観の中で、「俺たちはもはや動物ではない」という自覚を得るきっかけを縄文人は手にしたのではないかと思います。

これは「人間意識」です。「自我意識」とは違います。近代ヨーロッパ以降芽生えた人間の自我とは別の人間意識です。人間対人間の中で、他人とは違う自分という自我意識とは区別されるものです。

縄文人が意識したのは、「自然と自然の秩序を構成しているいろいろな要素と俺たち人間とは違うよ」というものです。例えば、日本語の「ひと」というのは人を表します。「アイヌ」も人を表します。それからエスキモーの人たち、エスキモーは「生肉を食う人」というドイツ語系の呼称がなまったものですが、自分たちを「イヌイット」と呼ぶのです。これは我々が「ひと」と言って自分を呼ぶのと同じ、アイヌが「アイヌ」と自分を呼んでいるのと同じです。外国語にもみんな人を表す言葉があるのです。人というのは自分たちのことです。

なぜ自分たちを「自分たち」と言うのか。「自然と別の俺たち」ということで「人」という言葉を持つんです。私は縄文の定住的な村の営みからそのきっかけを得た可能性が極めて高いと思うのです。


該当講座

『縄文の思考』〜日本文化の源流を探る
小林達雄 (考古学者/國學院大學名誉教授)

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