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【第6回】世の中は「虚構」で成り立っているという衝撃
更新日 : 2024年12月24日
(火)
【第6回】世の中は「虚構」で成り立っているという衝撃
社会心理学者の小坂井敏晶さんという人がいます。先月、お住まいのあるフランスから日本に4年ぶりに帰国された際に開催された特別講義に参加しました。講義のテーマは「教育で差別はなくせるか」でした。どんなお話しだったかは後半に書きます。
小坂井さんのことを知ったのは、10年ほど前に『社会心理学講義』という本を読んだのがきっかけです。あまりの衝撃で、読後しばらく仕事が手につかないほどだったのを覚えています。何が衝撃的だったのか。そこには、自由、平等、平和、人権といった価値を守るための民主主義や自由市場などの社会制度は、そうした価値が実現されないことを前提とした虚構であると書かれていたのです。
どういうことでしょうか。たとえば、富を再配分するという国家の役割があります。富める者から集めた金を貧しい者に分配するという社会制度は、「平等は善」という思想に基づいてつくられたものです。しかしそれでも富める者の全財産を没収して、すべての国民の完全平等を目指すことはしません。個人の才覚によって稼いだお金は個人に帰属するという経済的自由主義に基づく価値も尊重されるべきだからです。ただその才覚は環境や生まれ持った能力と切り離して考えることはできません。そこまでリセットできるような完全な平等社会とは、完全な管理社会を意味します。そこではある日突然、こんな手紙が届くかもしれません。
あなたの能力は他の人々に比べて劣ります。でも、それはあなたの責任ではありません。愚鈍な遺伝形質を授けられ、劣悪な家庭環境で育てられただけのことです。だから自分の劣等性を恥ずかしがったり、罪の意識を抱く必要はありません。この不幸な事態を補償し、あなた方の人生が少しでも向上するように、我々優越者は文化・物質的資源を分け与えます。あなたが受け取る生活保護は、欠陥者として生まれた人間の当然の権利です。劣等者の生活ができるだけ改善されるように、社会秩序は正義に則って定められています」
(*巻末参考文献 からの引用)
完全な自由を追求すればこの逆になります。不平等や格差は放置され、強者は何の制約も罪悪感もなく弱者から搾取することが道理になります。どちらも地獄の世界です。地獄を回避するには、格差や不平等の解消を目指しつつ、その完全解決を目指さないというムリゲーが開発されました。いまわたしたちが社会制度として受け入れているものの正体は、このムリゲーなのです。それを小坂井さんは「虚構」と呼んでいるのです。
社会制度の虚構性を暴きつつも、小坂井さんはそれを否定しているわけではありません。社会の構成員が不満を申し立てることが可能で、よりよい生活がありうることを信じられる虚構のシステムは、あらゆる価値を普遍的なものとすることを否定する「開かれた社会」という側面を持つからです。しかし「開かれた社会」とはすべてが相対化される社会でもあります。「なぜ不平等はいけないのか」「なぜ人殺しをしてはいけないか」という答えのない問いに対して、正解はないけれども括弧つきの解を与えることで社会が維持される。この不完全で未完結のシステムによって全体主義への暴走にブレーキがかかるのです。
宗教が支配的だった時代は身分制を含めた社会の秩序は神の存在によって裏書きされていました。神なき時代には身分制の根拠はなくなります。平等をうたう近代民主主義は、啓蒙主義の時代を経て宗教(神)が後退していくのと入れ替わりで確立していきました。ただそれで不平等がなくなるわけではありませんでした。平等社会をうたいながら格差が生まれる原因をごまかし続けるために登場したのが自由意志という概念です。誰にでも平等な権利(や機会)が与えられており、人生においてどんな選択をするのも個人の自由なのだから、その結果格差が生じても仕方がないという自己責任の考え方がそこから導かれます。
これもまた「虚構」であると小坂井さんは言います。個人の能力は遺伝や環境で決まるところが大きく、どんな能力が社会的に評価されるかは時代によっても変わる。端的にいえば能力も運次第なので、自己責任論は論理的に破綻している。しかしそれを正しいことにすれば、平等の原則と不平等な現実にうまく折り合いをつけられる。逆にそうでないと社会が機能しなくなるので、人間は自由意思によって行動した責任を自らが負うという虚構がつくられたというわけです。
小坂井さんのことを知ったのは、10年ほど前に『社会心理学講義』という本を読んだのがきっかけです。あまりの衝撃で、読後しばらく仕事が手につかないほどだったのを覚えています。何が衝撃的だったのか。そこには、自由、平等、平和、人権といった価値を守るための民主主義や自由市場などの社会制度は、そうした価値が実現されないことを前提とした虚構であると書かれていたのです。
どういうことでしょうか。たとえば、富を再配分するという国家の役割があります。富める者から集めた金を貧しい者に分配するという社会制度は、「平等は善」という思想に基づいてつくられたものです。しかしそれでも富める者の全財産を没収して、すべての国民の完全平等を目指すことはしません。個人の才覚によって稼いだお金は個人に帰属するという経済的自由主義に基づく価値も尊重されるべきだからです。ただその才覚は環境や生まれ持った能力と切り離して考えることはできません。そこまでリセットできるような完全な平等社会とは、完全な管理社会を意味します。そこではある日突然、こんな手紙が届くかもしれません。
社会制度の虚構性
「欠陥者のみなさんへ。あなたの能力は他の人々に比べて劣ります。でも、それはあなたの責任ではありません。愚鈍な遺伝形質を授けられ、劣悪な家庭環境で育てられただけのことです。だから自分の劣等性を恥ずかしがったり、罪の意識を抱く必要はありません。この不幸な事態を補償し、あなた方の人生が少しでも向上するように、我々優越者は文化・物質的資源を分け与えます。あなたが受け取る生活保護は、欠陥者として生まれた人間の当然の権利です。劣等者の生活ができるだけ改善されるように、社会秩序は正義に則って定められています」
(*巻末参考文献 からの引用)
完全な自由を追求すればこの逆になります。不平等や格差は放置され、強者は何の制約も罪悪感もなく弱者から搾取することが道理になります。どちらも地獄の世界です。地獄を回避するには、格差や不平等の解消を目指しつつ、その完全解決を目指さないというムリゲーが開発されました。いまわたしたちが社会制度として受け入れているものの正体は、このムリゲーなのです。それを小坂井さんは「虚構」と呼んでいるのです。
社会制度の虚構性を暴きつつも、小坂井さんはそれを否定しているわけではありません。社会の構成員が不満を申し立てることが可能で、よりよい生活がありうることを信じられる虚構のシステムは、あらゆる価値を普遍的なものとすることを否定する「開かれた社会」という側面を持つからです。しかし「開かれた社会」とはすべてが相対化される社会でもあります。「なぜ不平等はいけないのか」「なぜ人殺しをしてはいけないか」という答えのない問いに対して、正解はないけれども括弧つきの解を与えることで社会が維持される。この不完全で未完結のシステムによって全体主義への暴走にブレーキがかかるのです。
なぜ人は差別をするのか
さて、特別講義の内容を紹介しましょう。そもそもなぜ人は差別をするのかというところから講義は始まりました。差別とは通常「異質な者」を排除しようとする行為と考えられていますが、小坂井さんは、ことはそう簡単ではないと言います。自分とまったく違う他者をわたしたちは差別しません。むしろ「自分に近い存在」をもっとも激しく差別する傾向があります。その例として挙げられたのがヨーロッパにおけるユダヤ人差別です。自由・平等・友愛を掲げた1789年のフランス革命を経て、それまで居住区や職業を制限され、差別されていたユダヤ人はゲットーから解放され、急速に同化が進みました。ホロコーストはユダヤ人の同化がもっとも進んでいたドイツで起きました。社会における下位集団がその地位に甘んじている限り多数派からの差別は抑制されますが、支配的集団と同じ地位や権利を手にするようになると「我らと違う彼ら」は激しい差別の対象となるのです。異質だから排除しようとするのではなく、排除するために異質性を「捏造」するというのが小坂井さんの主張です。何か陰謀論めいていて少し混乱してくるのですが、あたりまえとされていることを疑うというのはこういうことなのかもしれません。宗教が支配的だった時代は身分制を含めた社会の秩序は神の存在によって裏書きされていました。神なき時代には身分制の根拠はなくなります。平等をうたう近代民主主義は、啓蒙主義の時代を経て宗教(神)が後退していくのと入れ替わりで確立していきました。ただそれで不平等がなくなるわけではありませんでした。平等社会をうたいながら格差が生まれる原因をごまかし続けるために登場したのが自由意志という概念です。誰にでも平等な権利(や機会)が与えられており、人生においてどんな選択をするのも個人の自由なのだから、その結果格差が生じても仕方がないという自己責任の考え方がそこから導かれます。
これもまた「虚構」であると小坂井さんは言います。個人の能力は遺伝や環境で決まるところが大きく、どんな能力が社会的に評価されるかは時代によっても変わる。端的にいえば能力も運次第なので、自己責任論は論理的に破綻している。しかしそれを正しいことにすれば、平等の原則と不平等な現実にうまく折り合いをつけられる。逆にそうでないと社会が機能しなくなるので、人間は自由意思によって行動した責任を自らが負うという虚構がつくられたというわけです。
道徳や法に客観的な根拠はなく、自由や平等を掲げた社会制度は虚構でしかなく、差別や戦争は絶対になくならないというのなら、どんな営みもただ虚しいだけではないか。小坂井さんの著書を読んでいるとそんな気持ちに襲われることもあります。しかし小坂井さんは、自分は敗北論者でも悲観論者でもないと言います。小坂井さんが唱えてきたのは、私たちが「当たり前だと普段信じて疑わない常識」の色眼鏡をはずして社会を見ることです。「差別をしてはいけない」「格差は解消すべきである」「人を殺してはいけない」「冤罪はあってはならない」「戦争はしてはいけない」とわたしたちは教わりますが、それはなぜかと問われて理路整然と説明できるでしょうか。説明はできないけれども「そういうものだ」と受け入れています。小坂井さんはこうした「べき論」の背後にあるものに目を向けよと言います。
世に氾濫する「べき論」
世には「べき論」が氾濫する。だが、それらは人間の現実から目を背けて祈りをささげているだけだ。集団現象を胎動させる真の原因は、それを生む人間自身に隠蔽され、代わりに虚構が捏造される。「べき論」は雨乞いの踊りにすぎない。(*巻末参考文献 からの引用)
平等な社会をどうつくるべきか。公正な社会とはどうあるべきか。あらゆる「べき論」には背後に論理の飛躍、もしくは論理の循環があります。それを隠蔽するために人間は「虚構」を生み出したのだとしたら、虚構について考えることは人間社会について考えることと同義であるともいえるでしょう。
虚構にはマスタープランもグランドデザインも最初から存在しません。人間の営みのなかから立ち現れてくる虚構は、それをうまくつかいこなす人がいてこそ機能します。いま民主主義の危機がいわれていますが、その背景にはデジタル通信技術の爆発的な普及により、虚構を虚構ならしめつづけることが難しくなってきたことがあるでしょう。剥き出しになって崩れつつある虚構のなかで保守もリベラルも自暴自棄になっている。それがいま多くの国で混乱を巻き起こしている状況なのではないでしょうか。こんなとき、過去の負債を一気に精算して「あるべき」未来を描くグランドデザイン、たとえば権威主義や全体主義への誘惑が強くなることを歴史は教えてくれています。
執筆者:中嶋 愛
編集者。ビジネス系出版社で雑誌、単行本、ウェブコンテンツの編集に携わったのち、ソーシャルイノベーションの専門誌、Stanford Social Innovation Reviewの日本版立ち上げに参画。「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」創刊編集長。スタンフォード大学修士修了。同志社大学客員教授。庭と建築巡りが好きです。
参考文献
社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉
小坂井敏晶筑摩書房
答えのない世界を生きる
小坂井敏晶祥伝社
責任という虚構 増補
小坂井敏晶筑摩書房
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