記事・レポート
『美』という21世紀の文化資本
今、日本人が見失ってはならないこと
更新日 : 2010年02月17日
(水)
第5章 生きてきた環境の違いが、美意識の違いを生む
伊藤俊治: 福原さんはフランス人アーティストのセルジュ・ルタンスとのコラボレーションでパリに香水店「レ・サロン」をつくったときに、フランスと日本の美をつなぐ役割をなさったと思うのですが、フランスと日本の美の関係というのは、どうなんでしょうか。
福原義春: フランス人と日本人の感性は、結果としては似ています。けれど、そこに至る原因は全く違うのです。
最近『花時間』という雑誌に書きましたが、ルタンスは化粧品のイメージ広告に、「白い蓮の花の前に、モデルを座らせよう」と言うのです。私が「とんでもない。白い蓮は仏様のイメージがあるから、それは具合が悪い」と言うと、「仏様のイメージがあって何が悪い。あんなに美しい花はないじゃないか」と言うのです。最終的にはそのアイディアは取り下げてもらって、ほかのものにしてもらいましたが。
それが最近、雑誌である学者さんが、「インド仏教は中国にわたって、翻訳の間違いなどがあってそこで中国仏教に変わった。それが日本に来て、またすっかり変わってしまった。だから本来、蓮の花はおめでたい花なんだ」ということを書いていたのを目にしたんです。そうすると、ひょっとしたらルタンスの方が直感的には正しかったのかもしれません。
過程は全く違うのですが、蓮の花を美しいと思う心はどちらも同じです。文化には生活や、生活の歴史が関わっているのでそういう結果になるのですが、これはなかなか解決しにくいところでもあります。
伊藤俊治: ただフランスの場合は、フランスがフランスであり続けるための努力の総体として、美というものを一種戦略的な形で国家の礎に置いていますよね。その態度というのは、日本とは全然違うように思うのです。
福原義春: フランスは美を国のシンボルとして使って成功してきた体験を持っているわけですよね。日本には、残念ながらそれがありません。例えば明治時代には、仏像を安値で骨董屋さんに売って、それが海外に流出してしまったということがあったようです。
それは、私たちが本来持っているものを見失ってしまっていたということであり、そういうベースになるものを取り戻した方がいいと思うのです。取り戻すために、日本人というのは何だったのか、日本の文化というのは何であったのか、ということを考える必要があると思います。
やはり私たちは自然と一緒に生きてきたんです。だから夏になれば蛍を見に川辺に行き、そこで涼む。そういう生活をずっとやってきたのです。それが自然を征服しようとするヨーロッパの人たちと根本的に対立するところです。
自然と一緒に生きてきた結果どういうことが起きているかというと、例えば『風の名前』(小学館)という本があります。これは詩人の高橋順子さんがお書きになったもので、本には「芋嵐」「時津風」「薫風」など約300種類の風の名前が出ているのですが、この国には2,145の風があるそうです。こんな国って、ほかにないと思うのです。どうしてかというと、日本人は自然と一体になって生きてきて、自然の中にいろいろなものを見つけたり感じたりして、それを美として表現してきたからです。
それが今、私たちの多くは自然と切り離されて生きています。例えば高層マンションなど、風が完全にシャットアウトされているところに住んでいると、自然というものを感じる機会がないのです。
恐らくこれからエコロジー的な生活に回帰していくようになると思うのですが、そうすると自然との触れ合いというのをみんなが考えるようになるでしょう。すると再び日本人の美意識、あるいは感性みたいなものが豊かになるかもしれません。
伊藤俊治: 日本人は自然に対して、非常に特別な感情をずっと抱き続けてきて、自然の奥底にひそんでいる生命感の流れみたいなものを支えに生活してきたように思います。日本文化というのは掘り下げていくと、必ず自然や生命に関する鉱脈にたどり着きます。
この対談の最初に私が、「美が生まれるプロセスや、美が生まれる回路といったものが欠損しているんじゃないか」とお話ししましたが、それをどう取り戻すかを考えると、特に若い人たちは日本の美的経験の絶対量が非常に少ないので、自然の中に入っていくことによって、その感覚や体験を蓄積させていくしかないと思うのです。
福原義春: 自然と触れ合う時間を、年中でなくていいから、どこかで集中的にでもいいから、丸1日つくるとか、身体感覚としての自然というものをつくっていかないといけない気がします。
また、自然だけではなくて、いろいろな本物を見ないとだめだと思います。「日本文化」というと、ミニマリスムが特徴としてとらえられがちなのですが、着物の意匠や能衣装、日光の東照宮など、徹底的にデコラティブな美しいものもありますよね。そういうものをできるだけたくさん見なければだめだと思います。それも図鑑ではなく、本物を。
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