記事・レポート

『美』という21世紀の文化資本

今、日本人が見失ってはならないこと

更新日 : 2010年01月13日 (水)

第1章 今、日本から美が失われつつある

今、世界が日本の伝統美に根ざしたデザインに注目しています。
しかし当の日本では画一的なデザインがあふれています。
それはなぜなのか、失われた美意識は取り戻せるのか——
資生堂名誉会長の福原義春氏と東京藝術大学教授の伊藤俊治氏が、
日本の美という文化資本の本質を解き明かし、その可能性を探ります。

スピーカー:福原義春 (株式会社資生堂 名誉会長)
スピーカー:伊藤俊治 (東京藝術大学 美術学部先端芸術表現科 教授)

伊藤俊治氏(左)福原義春氏(右)

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伊藤俊治: きょうは「『美』という21世紀の文化資本」と題し、私たち日本人が見失ってはならない美の本質についてお話ししたいと思います。

今、日本人の生活において、美というものがないがしろにされている印象があります。今の時代が画一的、表面的で何か味気ないものになってしまっているのは、美が生まれるプロセス、あるいは美が生まれる回路といったものが欠損しているからではないかという気がします。

実際、都市からメディア、政治経済に至るまで、美を見つけるのは非常に困難になっています。私は美術の世界に何十年とたずさわってきましたが、美術の世界でさえ、美を見つけることが難しくなっているのです。「美」や「美しい」という言葉が禁句になっているような、本末転倒した状況も一部にはあります。

よく質問されるのですが「美というのは一体何なのか?」と聞かれると、明確な答えを出すのは難しい。しかし確かなのは、美がなくなってしまうと私たちの生活が生きたものにならなくなってしまうということです。「美しい」と思うわれわれの感覚は、生きることの深い部分と結びついていて、私たちの生活や日常を支えている。企業や組織も同じようなことが言えるのではないかと思います。

最近、海外で日本の美やデザインが注目されています。それは漫画やアニメの比重が大きいのですが、2006年にパリに新しくできたケ・ブランリー国立美術館で、昨年(2008年)日本の美と文化を紹介する民芸や工芸の展覧会が開かれました。日本の風土や自然環境に直結した伝統のある形や色彩に、ヨーロッパの人たちは非常に敏感に反応していました。

それから、私が教鞭をとっている東京藝術大学では、先日(2009年5月)「資生堂・サントリーのデザイン展」という展覧会が開催され、多くの来場者を動員しました。日本独自の美意識のもと、日本の企業が長い時間をかけてつくり上げてきたデザインに、新しい光が注がれるようになってきているのだと思います。

これは企業が「美」という日本の文化資産から多くのインスピレーションを得て、商品をつくり出してきた証拠だと思います。有名社寺や日本美術の名作ではなく、私たちに身近な生活デザインの中にこそ、長い時間をかけて磨かれてきた美やデザインの本質が潜んでいるのではないかと私は考えています。

資生堂は1916年に意匠部という名の、宣伝広告やプロダクトデザインのセクションをつくり、日本の美の伝統に根ざした独自のデザイン活動を続けてきた企業です。自社の中で創造的なデザイナーをたくさん生み出し、優れたデザイナーを多く抱えた。そういう人たちの結集力が資生堂のアイデンティを形づくってきたのだと思います。企業と美意識について、福原さんはどのように感じていらっしゃいますか。

福原義春: 企業の美意識ということですが、そもそも美意識というのは日本人だけにあるのではなく、ドイツ人にもフランス人にもありますし、学校でも会社でもどんな団体でも、組織はみんな美意識を持っています。商品パッケージのデザインだけではなく、その会社の行動やマーケティングの方法を含めて、全て美意識に基づいてなされているはずです。

ですから、昨今の会社や経営者の行動で「おかしいな」と感じることは、ある種の美意識の欠如が原因だと思います。会社や国家は成り立ちによって、その美意識のレベルが規定されているのではないでしょうか。その後の努力で美意識を磨き上げるところもあれば、そうでないところもあります。それは、その組織を構成する人たちが努力するかどうかということに関わっていると思います。

私たち資生堂は明治5年に創業し、今年(2009年)で137年になりますが、初めのころはデザイン的な思想というものを必ずしも持っていませんでした。しかしある時期から、当時フランスで流行していたアール・ヌーボーやアール・デコといった新しいスタイルを日本のものに取り込もうと経営者が考え、デザイナーを集めて、会社のデザインの方向を決めたのです。

今「フランスで流行していたアール・ヌーボーやアール・デコ」と言いましたが、18世紀から19世紀末にかけて、ヨーロッパの美学や文明は行き詰っていました。そのときにヨーロッパの人たちは新しい刺激を求めて異国的なものを取り入れようとしたのです。その異国的なものというのは、実は中国や日本のものだったのです。ですから、一遍ヨーロッパで消化された日本的なものを、日本の私たちがまた取り込もうと考えたというわけです。

さらに面白いのは、そうして昭和のはじめに私たちが取り込んだものを、フランスで展覧会を開催したり、プロモーション・ビデオのようなかたちでお見せすると、フランスの美術学校の学生たちが興味深そうに鑑賞したり、熱心にメモを取ったりするのです。このように文化というのは、絶えず世界中を交流しているのです。

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福原義春 (株式会社資生堂 名誉会長)
伊藤俊治 (東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授)

福原義春(㈱資生堂名誉会長)
伊藤俊治(東京藝術大学教授)


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