記事・レポート

カフェブレイク・ブックトーク「辞書、辞典の季節」

更新日 : 2008年07月11日 (金)

第11章 電子・インターネット辞典

「六本木ライブラリー」カフェブレイク・ブックトーク澁川雅俊さん

澁川雅俊: 批評といっていえないこともないのですが、辞典編纂の労苦を知ってか、知らずか新しい辞典(改訂版を含めて)が出されると、すぐにそれにケチをつけるという変な習性もあります。

例えば今回の『広辞苑』新訂6版が発売された直ぐ後の新聞報道に「広辞苑半世紀のミス」という見出しを社会面で見つけました。そのミスはこの辞典「芦屋」の項目の記述に間違いがあったというものです。間違いの内容は、芦屋を平安時代の歌人在原行平(『伊勢物語』の業平の兄)にまつわる恋物語の舞台としていることでした。その本当の舞台は須磨だったということです。もっともこの間違った記述は今度の新訂版だけではなく、初版からあったとのことですが、そのときから半世紀以上も訂正されなかったわけですから、編者も出版社も赤面の至りでしょう。

しかし24万語以上の日本語を扱うわけですからちょっとしたミスは大目に見たいものです。6版の改訂ではこの点は正される(※12)わけです。ただ思うのですが、最初にこの辞典を編纂したときに「芦屋」が収録されていて、源氏物語の重要な舞台の一つ「明石」と繋がっていた「須磨」を収録しなかったのはなぜなんだろう。
もしそれを取り上げていたらそうしたミスはなかったのではないでしょうか。

(※12)ミスを正すということに関してこんな話があります。本の世界でブリタニカ(Britannica)といえば、世界(最も権威のある)の百科事典とされています。もっともその“世界”は欧米が中心ですからアジアや日本については少し弱いところがあります。

それはともかくこの百科事典はOEDなどに御して英語の正しいスペリングの標準とされています。それはこの事典の編纂に際してそうあるべきだということを方針の一つとしたことです。いまこのことが行われているかどうか知りませんが、今から50年ほど前のことです。私の図書館学の教授の1人が体験談を話してくれたことです。当時ブリタニカのテキストにスペルミスを指摘したら、1語につき300ドルを報償として出すということになっていたそうですが、彼は自らスペルの間違った語を見つけ、まんまと300ドルせしめたということです。そのときその語が何であったか黒板に書かれたはずですが、なにせ半世紀も前のことです。それは忘れてしまいました。“WANTED $1000, DEAD OR ALIVE”などということが日常的な米国のことですから、そういう賞金稼ぎがあってもおかしくはありません。それを事典の権威を守るための仕掛けとしている点がプラグマティズムでしょうか。

『広辞苑の嘘』
この辞典に対する本格的な批判に『広辞苑の嘘』(谷沢永一・渡部昇一著、01年光文社刊)があります。これは第5版(99年刊)に対する批判ですが、帯表ではややセンセーショナルにこうありました。「広辞苑は間違いだらけである。記された語釈は要点から逸れている。うっかり信用したら恥をかく。勘違いした説明が多いから、真面目に受け取ろうものなら、頓珍漢を演じるおそれがある。火の用心、広辞苑用心」。この著者たちと出版社は今度の6版についても同じようなものを出すでしょうか?

『国語辞書事件簿』 『国語辞書-誰も知らない出生の秘密』
ただ単に揚げ足を取るだけでなく、辞典編纂の問題点を冷静に考察しているものもあります。『国語辞書事件簿』(石山茂利夫著、04年草思社刊)、『国語辞書-誰も知らない出生の秘密』(石山茂利夫著、07年草思社刊)などがそれで、長い間新聞記者をしてきた文章を書くプロの眼から『日本国語大辞典』、『広辞苑』、『広辞林』などの総合国語辞典の編纂にかかわる問題点をえぐり出しています。

特定の辞典に対する批評ではなく、辞典の編纂そのものに対する論評、『辞書の政治学-ことばの規範とはなにか』(安田敏朗著、06年平凡社刊)もあります。著者はことばと人びととの関係について研究している言語社会学者のようですが、論点をひとことでいうならば、辞典は日本人としての同一性を統一する装置だという視点から国語辞典を分析しています。

『問題な日本語-どこがおかしい?何がおかしい?』『続弾!問題な日本語-何が気になる?どうして気になる?』『問題な日本語〈その3〉』
問題はこの「規範」というキーワードを私たち自身でどう解釈するかですが、例えば『問題な日本語-どこがおかしい?何がおかしい?』(北原保雄編、04年大修館書店刊)、『続弾!問題な日本語-何が気になる?どうして気になる?』(北原保雄編著、05年大修館書店刊)、『問題な日本語〈その3〉』(北原保雄編著、07年大修館書店刊)、『新・にほんご紀行』(山口仲美著、08年日経BP社刊)が指摘していることどもを見聞きするにつけ、私たちにはいつもちゃんとしたことば(話しことばと書きことば)を使うようにすべきでしょう。

『新・にほんご紀行』
私も私自身のことばの自律性を大事にしたいと常々心掛けていますが、そう心掛けるにつけても辞典はすぐに手の届くところに備え付けています。なぜならそれは、人びとが認識している限りの森羅万象の隅々にまで至ることができる最初の手掛かりであり、そこから一人ひとりが新たに森羅万象の境界線を広げることができるからです。森羅万象の境界線を広げることは先端的科学の研究者のお家芸ではなく、私たち日常生活者の常日頃の生活の営みの中にも確かにあるのだと、私は思っています。

関連書籍

広辞苑の嘘

谷沢永一 渡部昇一
光文社



辞書の政治学—ことばの規範とはなにか

安田敏朗
平凡社


続弾!問題な日本語—何が気になる?どうして気になる?

北原保雄
大修館書店