記事・レポート

石田衣良 x 幅允孝『言葉のリズム、本の呼吸』

いまから目を逸らさず、ありのままを表現する

更新日 : 2013年10月07日 (月)

第2章 社会に広がりつつある「右傾エンタメ」

写真左:幅允孝 (ブックディレクター)写真右:石田衣良(小説家)

 
語ることが秘める強さと怖さ

石田衣良: 日本人の心が弱まっている、社会に不安感が広がっていることに関連して、僕はつい最近、ある言葉をつくりました。「右傾エンタメ」です。僕は、エンターテインメント系の小説が、だんだんと右側に傾いてきている気がしています。たとえばいま、戦争を題材にした作品、あるいは「この国のために何ができるのか」といったテーマが強調された作品が人気を集めています。今後、そうした本がたくさん売れるような世の中になったとしたら、とてもイヤだなと思うのです。

幅允孝: 「右傾エンタメ」は、心が弱まっているときに読むと、気持ちが良いものなのでしょうか?

石田衣良: 気持ちが良いし、安心するのだと思います。たとえば、戦争で亡くなられた方々は本当にお気の毒だし、当時を生き抜いた方々も大変だったと思います。しかし、それをある種のセンチメンタリズム、もしくは単に気持ちを高揚させる内容だけでまとめて、感動して終わり、というのは、何か違う気がするのです。

幅允孝: 事実を語ることは、決して悪いことではないと思います。けれども、「語る」という行為が秘める強さや怖さ、あるいは流れていく先などに対する想像があまりなされていない。確かに、そのように思われるエンターテインメント小説は増えているような気はしますね。

石田衣良: そうした小説を書かれた方々と話をすると、確固たる復古主義や右翼思想を持たれているわけではない。あくまでも小説を、読者を楽しませるエンターテインメントの1つとして捉えている。しかし、よく考えてみると、本当にそれでいいのかなとも思うのです。

表層をさらうのではなく、本質を見る

幅允孝: 「右傾エンタメ」ではありませんが、サン=テグジュペリの『人間の土地』という小説があります。飛行機乗りの主人公が砂漠に不時着し、圧倒的な乾きに苛まれる。大空で生きていた男が、地表と自分の強い結びつきを思い知る、といった内容です。文庫版(新潮文庫)の装幀と解説を、宮崎駿さんがされています。

宮崎さんが生み出すエンターテインメントにも、飛行機や戦車などがたびたび登場します。しかし、解説に書かれていますが、宮崎さんは圧倒的なテクノロジー、パワーやスピードに対する人間の憧れや衝動、それらが持つ「恐ろしさ」を、きちんと指摘しています。「戦闘機とは、何と暴力的な道具なのだろう」と。人間の歴史の中で、たくさんの人命を失わせる兵器として、どのように発達していったのかを訥々と書いています。

「右傾エンタメ」は、そこまで思いを馳せずに、小説の題材として取り上げてしまう危険性をはらんでいるように思います。

石田衣良: 多くの人に読まれるものを書くのであれば、表層をさらうのではなく、事実の裏にある本質まで考えて書く。それが大切ですよね。