記事・レポート

石田衣良 x 幅允孝『言葉のリズム、本の呼吸』

いまから目を逸らさず、ありのままを表現する

更新日 : 2013年10月18日 (金)

第8章 よく噛みしめて、読む

写真左:幅允孝 (ブックディレクター)写真右:石田衣良(小説家)

 
本と友達になるつもりで

幅允孝: 石田さんの普段の本の読み方は、小説を書く参考書として読むのか、それとも、自分のストレスアウトのために読むのか、どちらが中心でしょうか?

石田衣良: もちろん、両方です。たとえば、皆さんも10代の頃、勉強するときの参考書の読み方を身につけたと思います。僕の場合、目の前に10冊、20冊と本を積み、その中から試験に必要だと思う部分を抜き出すのが速かった。いまも資料となる本を読む際は、あまり時間をかけず、必要な部分をピックアップする読み方をしています。一方で、自分の好きな本を読むときは、まったく違います。じっくりと楽しみながら、自由気ままに読んでいます。

幅允孝: 最初の1行から最後の1行まで、よく噛みしめながら読むと。

石田衣良: もちろん。それが本を読むことの醍醐味ですから。最近、小さいお子さんを持つお母さんから「速読」に関する質問を受けますが、僕はお勧めしていません。たとえば、高級なフレンチレストランに行くとしますよね。前菜から始まり、メインディッシュ、デザートまで。どれも本当においしそうなのに、それらをわずかな時間で一気に平らげたいと思いますか? それは、人間として最低です(笑)。

幅允孝: もしくは、「メインだけください」と言うのも最低です(笑)。

石田衣良: 同じように、本を読むときは、ゆったりと自分の時間をつくり、1行ずつ噛みしめながら、その本と友達になるつもりで読むのがいいと思います。

本を取り巻く不可解な空気

幅允孝: 日本には何となく、「本をたくさん読んでいる人がエライ」といった空気があります。あれはいったい何でしょう? たとえ1冊でも、自分の中に深く突き刺さった本を持っているほうが、価値があるように思うのですが。

石田衣良: 日本はやはり、戦後の高度経済成長を経てきた中で、「頑張った人がエライ」という空気が社会に広がっていった。その流れから、本をたくさん読んだ、あるいは、たくさん持っていることに価値が置かれるようになったのだと思います。

幅允孝: もう1つ、途中で読むことを止めてしまったときに抱いてしまう、「この本に負けた……」といった敗北感や恥ずかしさ。あの感情も不思議です。日本人は「自分がバカだったから、理解できなかった」と、自分のせいにしがちです。しかし、海外の方は同じようなことになると、基本的に著者のせいにする。「なんでオレが分かるように書かないんだ」と。こうした違いも、結構おもしろいと思うのですが。

石田衣良: 日本人は、何事に対しても真面目すぎるのだと思います。確かに、難解な本を読むと挫折することは多いですよね。しかし、実はその挫折が、いい経験となるのです。挫折をするまでに読み進めていた中で、人生に役立つヒントは、多少なりとも拾えているはずですから。それだけでも、本を手に取った価値は残りますし、読書としては十分だと思うのです。