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G8洞爺湖サミット「シェルパが語る首脳外交の舞台裏」

BIZセミナーその他
更新日 : 2008年11月03日 (月)

第7章 議長にとって一番大事なのは「自分の意見を言うこと」ではない

洞爺湖サミットのシェルパを務めた河野雅治さん

河野雅治: 福田総理の議長としての指導力については見えないところがあるので、評価が定まっていないのだろうと思いますが、私は総理をお支えしていて、こんなに頼もしい議長はいないと心の底から思いました。

議長にとって一番大事なのは、自分の意見を言うことではないのです。みんなに意見を言わせることなのです。そして、議論を集約させるということです。自分の意見を不必要に深追いしたら、そのサミットは失敗します。過去にそういうサミットはいくつも例がありました。

総理はその点は、自分の意見はなるべく最小限に抑え、ところどころで日本の立場を差し込みつつ、状況を見て、例えばメドベージェフ大統領がジンバブエの問題で孤立したときには、二度三度とメドベージェフを指して、「あなた、言いたいことがあるんじゃないですか?」と、何となく彼の立場を守るような姿勢を示し、議論を集約させました。これは見事なものだったと思います。

そんな中で、シェルパはどういう役割を果たしたのか。これは私も8年に1回の議長を司った身の不運を嘆きましたけれど、やってみて、これは去年のサミットに行ったのと、10倍は違う忙しさ、つらさ、大変さでした。とにかく年が明けてから昼夜を問わずシェルパとの間の連絡が始まるわけです。

昔だったら、こんなことはなかったでしょう。今は電話あり、電子メールあり、ファクスあり、カンファレンスコールありで、とにかく朝から晩まで、いろいろな国のシェルパが話をしてきます。そういったことがずっと続いた180日間でした。

4回、シェルパ会合を日本で開催しました。最後はサミットの前夜、洞爺湖で会合を開き、文章をまとめ上げるということになったのです。皆さん、(2008年)1月中旬の第1回のシェルパ会合は、実はここでやったのです。六本木ヒルズのご協力を得て、ここで第1回の会合をやったところ、集まったシェルパはみんな喜びました。「マサ、次もここでやってくれ」と。

でもそのとき私どもはもう準備をしていて、第1回目は六本木、2回目は石川県の加賀、3回目は京都、4回目は洞爺湖、最後も洞爺湖ということを決めていたので残念ですが、六本木ヒルズでは1回しかできませんでした。しかし、最初に、まさにこのフロアでシェルパ会合をやったということで、私にとっては非常に思い出のあるフロアです。

大変華やかに、なごやかに始まった会合でしたが、その中でやっていた議論は厳しいものでした。あのときは、気候変動を中心とした対立が延々と続いて、我々はげっそりして食欲もないような状態でした。しかし一歩外に出ると、この雰囲気。そんな中でシェルパ会合は始まりました。