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井上慎一CEOが語る日本初・本格的LCC「ピーチ」の戦略

アジアの空を、もっと近く、面白く

日本元気塾経営戦略キャリア・人
更新日 : 2013年10月24日 (木)

第2章 コストマネジメントとホスピタリティ


 
海外LCCを徹底リサーチ

井上慎一: アジア戦略室を立ち上げたのは2008年1月16日。新会社を設立したのは2011年2月10日です。当時、全日空の山元峯生社長からは「時間がかかりすぎだ!」と、何度もお叱りを受けました。この間、私は新たなLCCのビジネスモデルを探るべく、世界中を駆け回り、情報を集めていました。重視したのは、いわゆるインフォメーションではなく、インテリジェンスを集めること。

そもそもLCCは、1970年代後半に米国のサウスウエスト航空がビジネスモデルを確立し、世界に広がっていきました。1990年代には欧州に飛び火し、ライアンエアー、イージージェットなどが誕生しました。2000年代には東南アジアやオセアニア、2005年以降は南米、中東から、中国や韓国のアジア圏で立ち上がり、日本は最後です。最後発組としては、安全運航と価格だけで勝負することはできない。そう考えた私は、LCCの勘所や差別化要素を探るため、航空業界の国際会議に足を運び、海外のLCC経営者に直接インタビューを試みたのです。

とは言うものの、私はコネや人脈は持ち合わせておらず、ほとんどは体よく断られました。ある会議では、壇上から「この会場に、日本の大手航空会社からLCCを学びに来た男がいる。彼は会議終了後、自分たちでは到底真似はできないと悟るだろう」と言われたこともあります。それでも私はしぶとく声を掛け続けました。

花はその土地に合った咲き方をする

井上慎一: 香港で行われた国際会議でのこと。私はライアンエアーのパトリック・マーフィー会長(当時)に声を掛けました。わずか数年で同社を欧州最大のLCCに成長させた、航空業界において“レジェンド”と評される人物です。無理を承知で声を掛けました。「いまは忙しいから、後日私の事務所に来い」。思い掛けず、千載一遇のチャンスが巡ってきたのです。日を改め、私はジュネーブにある事務所を訪ねました。

はじめに私は、日本の航空局はこうだ、空港の規制はこうだと、日本でLCCを立ち上げる難しさを説明しました。ひと通り話を聞いたマーフィー氏は「それで君は何をしたのですか?」と穏やかに問いかけ、「君は航空局長に窮状を訴えたのか? 空港で直接交渉したのか? 人のせいにせず、すべてを一人称で語りなさい」と言いました。米倉先生と同じことを、マーフィー氏にも指摘されたのです。

マーフィー氏からは、具体的なLCCのビジネスモデルについて、数多くの示唆をいただきました。彼が最も強調したのは、コストマネジメント、ホスピタリティの大切さでした。この2つは、私たち日本人がコア・コンピタンスとしてきたもの。ならば、日本人が本気でLCCに取り組めば、とてつもないイノベーションが生まれるかもしれない。私の心は震えました。当時は海外の航空会社も日本市場を狙っていたため、とにかく急がねばとも思ったものです。

最後に、私がぜひ当社のアドバイザーにと依頼すると、承諾しつつもマーフィー氏は次のようにクギを刺しました。「欧州にLCCという種を植えれば、どのような花が咲くのかはわかる。しかし、日本にその種を植えたとき、どのような花が咲くのかまで、私はわからない。花はその土地に合った咲き方をする。わかるのは、君たち日本人だけだ」。


該当講座

アジアの空を、もっと近く、面白く

~日本初・本格的LCC Peach の戦略~

アジアの空を、もっと近く、面白く
井上慎一 (Peach Aviation 株式会社 代表取締役CEO)
米倉誠一郎 (日本元気塾塾長/法政大学イノベーション・マネジメント研究科教授/ 一橋大学イノベーション研究センター名誉教授)

井上慎一(Peach Aviation㈱代表取締役CEO)×米倉誠一郎(日本元気塾塾長/一橋大学イノベーション研究センター教授)
日本初の本格的LCC(Low Cost Carrier)として、2012年3月就航したピーチ。これまでの航空業界と異なるやり方で、安定的な低コストを実現させ、かつ可愛らしく、気軽に利用できるブランドイメージで、順調に顧客を広げています。人々のライフスタイルを変えるイノベーションの本質と、今後のアジアでの事業展開・戦略に迫ります。


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