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ロボットは人間になれるのか? ~ロボット、人間らしさの追求~

読みたい本が見つかる「カフェブレイク・ブックトーク」

カフェブレイクブックトーク
更新日 : 2011年03月04日 (金)

第6章 未来ロボット

六本木ライブラリー カフェブレイクブックトーク 紹介書籍

理想の女性像を求めて

澁川雅俊: 『未来のアトム』(田近伸和著、01年アスキー)という本は、今から10年前のロボット論考で、先に紹介した『ロボットとは何か』『ロボットは涙を流すか』『ロボットという思想』などと同様に「人間とは何か」という未知の問題と科学技術の可能性という重い課題に挑んでいます。630ページを超える大著ですが、序文でこう述べています。

『「鉄腕アトム」を実現することこそ、ヒューマノイド造りに携わる日本のロボティクス研究者たちの目標であり、夢なのだ。その結果、いずれ「鉄腕アトム」は実現するだろうという漠とした安易な期待と予測が、ヒューマノイド造りに携わる研究者たちの間のみならず、社会全般に漂っている。だが、「鉄腕アトム」は本当に実現できるのだろうか? 私は、この本の中で、私たちが一般にイメージしているところの「鉄腕アトム」が実現することはないはずである、と述べている。だが、ここで私が実現しないといっているのは、あくまで私たちがイメージしているところの「鉄腕アトム」——「過去のアトム」であり、「現在のアトム」である。だが、「未来のアトム」はどうだろうか?』

美女像

この著者は、リラダンという19世紀フランスの作家が書いたSF『未来のイヴ』(ヴィリエ・ド・リラダン著、斎藤磯雄訳、96年東京創元社)に着想を得てそのイメージを創り上げたようです。ところでこの『未来のイヴ』という作品は、「アンドロイド」という用語を最初に使い、後の多くのこの種の作品に影響を与えたことで知られています。

その作品の内容は、ヴィーナスの化身のごとき美貌をもちながら、卑俗な魂をもった歌姫を恋人にした青年貴族が、彼女の知性の欠如に絶望し、苦悩した。それを見兼ねたある発明家はその貴族の若者のために彼女の美を写したイヴを創造する、というものです。

この物語はさらに、ギリシア神話「ピグマリオン」を下敷きにした作品でもあることも知られていますが、その神話はこういうものです。「ピグマリオンは、ギリシア神話に登場するキプロス島の王。現実の女性に失望していた彼は、あるとき自ら理想の女性ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちにガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらに彼は食事を用意したり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願った。ピグマリオンがその彫像から離れないようになり、次第に衰弱していく姿を見かねたアフロディテがその願いを容れて彫像に生命を与え、彼はそれを妻に迎えた」。

『機械仕掛けの歌姫』(フェリシア・ミラー・フランク著、大串尚代訳、10年東洋書林)などは、この神話やリラダンやプルーストやサンドやバルザックなどの美女への憧れについて書いたフェミニズムの研究書ですが、人間らしいロボットの希求という観点からすれば、このブックトークで取りあげていいものの一つでしょう。

さて長々とギリシア神話に端を発する理想の女性像とロボットのイメージについて述べましたが、もうお気づきでしょう。〈未来のアトム〉は、早い話が、人間と結婚して、子どもを生むことができるというのです。大変なことになりました。人とロボットの合いの子が生まれるとかロボット同士の2世誕生などというのは、たしかに妄想なのです。しかし「人間の機能をロボットに置き換えて、置き換えて、それでも最後に残るものが、人間の本質である」(『ロボットに人間を感じるとき』)を素朴にとらえればそういうことでしょう。『機械=身体のポリティーク』(中山昭彦・寺田司雄編著、06年青弓社)に収録されている小論「マッドサイエンティストの子供たち」では、それがチャペックなどの初期の人造人間小説のモチーフになっていると述べられていますが、ロボットの人間らしさというのは究極的にはそういうことなのでしょう。

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