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ロボットは人間になれるのか? ~ロボット、人間らしさの追求~

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カフェブレイクブックトーク
更新日 : 2011年03月07日 (月)

第7章 フィクショナル・ロボット

六本木ライブラリー カフェブレイクブックトーク 紹介書籍
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「ロボット三原則」

澁川雅俊: 人型機械ロボットというと、最初に、ASIMOくんを思い浮かべます。人型ロボットの製作は、これまでにお話ししてきたように、人間の願望、それもないものねだりの如きの願望がつくり出した想像上のSFクリーチャーを、もともと夢追い指向の技術者たちが後追いして実現しようとしてきた経過を辿って現在に至っています。

ASIMOを開発した本田技研工業は、どうも開発の動機を鉄腕アトムとし、その命名については、常に進化する技術の流動性という意味を込めたようですが、その名前に、たくさんのロボット短編小説を書いたアイザック・アシモフの名前がまったく無関係であったとは考えられません。そのアシモフが書いた短編は、いま『ロボットの時代〔決定版〕』と『われはロボット〔決定版〕』(共にアイザック・アシモフ著、小尾芙佐訳、04年ハヤカワ文庫)にまとめられています。

これらを読んでいない人でもこの作家の名前を知っているのは、「ロボット工学の三原則」という、ロボットとその製作者の倫理綱領を提唱したからです。ちなみにそれらはこういうものです。

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危害を看過することによって,人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。

第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

これらの原則は、最初に挙げたチャペックの本に書かれたロボットたち、つまり人間の代わりに戦争するために製造されたロボットたちがただただ人間になりたくて、最後にはすべての人間を殺してしまう、という発想と随分違うようです。しかし、ロボットを人間らしくすればするほど彼らがこれら三原則を逸脱してしまうのではないかという恐れが、アシモフの創作のモチーフにあったようです。つまりチャペックもアシモフも、人間ではないが人間らしいロボットを通じて人間の本性を書いているわけで、原則文のロボットを「人間」に、人間を「他の人々」と置き換えてみると、そのことがよくわかります。

『ファウスト』に書かれた人造人間

ところでアシモフは、作家である傍らで生化学を専門とする大学教授であった人物ですが、日本にも同じような経歴の作家がいます。それは『あしたのロボット』(02年文藝春秋)の作者、瀬名秀明です。彼は先挙げた『ロボットのおへそ』の共著者の一人ですが、ロボットならぬ遺伝子が人間を支配する恐怖のSF『パラサイト・イヴ』でデビューした作家で、薬学博士でもあり、大学の講師をしていた経歴をもっています。この本には、先にあげた『未来のアトム』の延長線上の短編小説が収録されており、ともに永遠ではない人間とロボットの切ない物語が描かれています。

ちょっと変わったロボット小説があります。それは『機械探偵クリク・ロボット』(カミ著、高野優訳、10年早川書房)です。2編のミステリーが収録されていて、いずれもアシモフの小説とほぼ同じ時期の原作ですが、ここに登場するロボットは、ちょうどそのころ発明された電子計算機をベースとした論理的な頭脳を装備されたロボットで、そのロボットが難事件を解くという物語です。このミステリーには、四角い頭に鋼鉄の身体、チェックの洋服を着て、頭にチロリアンハットを被っている探偵ロボットの挿絵が掲載されており、好ましきロボット像が描かれています。

そういう素朴なイメージは、子ども向けのロボット小説でしばしば描かれています。たとえば 『パパさんロボット 買いました』(森野さかな作・絵、10年論創社)や『月の上のガラスの町』(古田足日作、北見葉胡絵、10年日本標準)です。また『ロボットVS.人類 SFセレクション<2>』(カレル・チャペック、アイザック・アシモフ他著、赤木かん子編、05年ポプラ社)は、チャペック、アシモフほか、矢野徹、古田足日、星新一、ジェリー・パーネルなどのロボットに関する短編小説を子ども向けにアレンジして収録しています。これには手塚治虫の『火の鳥』も収められています。

ところで皆さん、あのゲーテの『ファウスト』に人造人間が登場することをご存じでしたか。私もその第2部までちゃんと読んでいないので、知りませんでした。誰もがその書名を知っているこの本は、他の古典文学と同様にこれまでにさまざまな訳本が出され、それらの多くが文庫化されているのですが、韻律を踏んだ文章で、しかもどういうわけかどれも難解な訳文であり、手は出すものの最後まで読み通した人は決して多くはないものの一つです。私も何度かトライしたのですが、読んでいません。

この本の中に人造人間が登場することは、『ファウストとホムンクルス—ゲーテと近代の悪魔的速度』(マンフレート・オステン著、石原あえか訳、09年慶應義塾大学出版会)という本で知りました。ただしゲーテの人造人間は、20世紀の機械的人造人間ではなく、バイオロイド型の人造人間で、小説に出てくるのはフランケンシュタインのそれのようにオカルト的な手段で造られたものです。その怪奇な人造人間を山本容子は、池内紀(オサム)の新訳『ファウスト〔第1・2部〕』(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ著、池内紀訳、山本容子挿絵、99年・2000年集英社)のカバーに描いています。

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