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福原義春氏が語る「未来をつくるイノベーションのための文化資本」

VISIONARY INSTITUTE - 2010 Seminar

BIZセミナー文化教養
更新日 : 2011年02月21日 (月)

第6章 日本は外国文化の衝撃を新たな力に変えて発展した

福原義春氏

福原義春: 歴史を振り返ると、日本文化には二度の発展期があった私は考えています。1つは奈良・平安、つまり大きく言うと天平文化が花開いた時代、もう1つは明治です。いずれも外国の文化がドッと流入してきた時代です。衝撃を受けた日本文化は、外国の文化をそのまま受け入れるのではなく、古い文化との間に大きな融合のエネルギーを発生させました。その結果、新しい高いレベルの日本文化ができたのです。

奈良・平安時代ですと、空海をご存知だと思います。空海は和漢複合文化の実力派で、外からの文化の衝撃を受け止めて、それまでの文化と融合させ、さらに日本文化を高めた人物です。空海は遣唐使船に乗りましたが、台風で中国の海岸に漂着してしまい、そこから長安に行くことがなかなか許されませんでした。そこで上申書を書いたのですが、それが中国の高官でも書けないような実に見事な書であり、内容だったため、許可が下り、長安に行けたのです。

空海は中国に行けば中国文化そのものを体現する行為をし、中国文化を日本に持って帰ってきたら、今度はそれを全く日本的な表現に変えていったのです。ある意味で二重の世界を持っていながら、1つの高い文化レベルのものを編み出したのです。

海外文化の二度目の衝撃は、明治維新の開国です。そのとき西洋の新しい文化を吸収した人たちの多くは、寺子屋で四書五経などの漢籍を暗唱して育った人たちでした。彼らは寺子屋で身につけた和漢の教養の上に洋学の教養を新しく吸収し、融合してレベルアップすることに成功したのです。

内村鑑三の『代表的日本人』、新渡戸稲造の『武士道』、そして岡倉天心の『茶の本』、この3冊は日本語で書かれたものではありません。1900年前後に英語で出版されたのですが、日本人が英語で書いた本が海外で大変評判になり、後に日本語に翻訳されたのです。この3人は江戸の市民文化に由来するような和漢の素養の上に、キリスト教のような西洋の文明を重ねて身につけた人たちであったと思います。

このように、歴史的にも、全く違った2つの要素を組み合わせて新しいプログラムをつくるということを日本はやってきたわけです。それがどうして今はできないのでしょうか。

第二次大戦後に米国文化が流入してきた時も、文化の発展のチャンスだったと思います。しかしその時、私たちは既に日本固有の文化を喪失していました。そのため衝撃を吸収するどころか、米国文化と同化するだけが理想になってしまったのです。

空海や明治の3人の人物は、デュアルスタンダードを実現して新しい日本文化をつくりました。その行動力と知力、発信力が、今の日本に大事なものなのです。

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該当講座

第4回 未来をつくるイノベーションのための文化資本
福原義春 (株式会社資生堂 名誉会長)

福原義春(㈱資生堂 名誉会長)

未来の日本創造になくてはならないこと、イノベーションのために私達が一度立ち止まって考え抜かなくてはならない、私達の文化資本の本質についてお話いただきます。


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