記事・レポート
未来を変える人たち
発展途上国に明るい光を投げかけるBRAC(バングラデシュ農村向上委員会)の活動
更新日 : 2009年07月15日
(水)
第1章 バングラデッシュ独立運動から生活復興支援へ
この10年間で貧困層が10%以上減少したというバングラデシュ。その背景には、貧困層の起業を支援するマイクロ・ファイナンス(無担保小規模融資)などの存在があります。それを30年前から支えてきたのがファザル・H・アベド氏です。イデオロギーではなく社会企業で問題を解決する氏のアイディアと戦略に迫ります。
講師:ファザル・H・アベド BRAC創設者兼会長
モデレーター:米倉誠一郎 アーク都市塾塾長/一橋大学イノベーション研究センター長・教授
米倉誠一郎: ここ1~2年、社会企業ということばをよく耳に接するようになりました。やはりイデオロギーでは、世界の貧困は解決されない。富を分けるのに、社会主義は機能したけれども、富をつくるということに関しては、資本主義のパワーを使わなければいけない。ただ資本主義のパワーは、貧困を拡大する方にも向くし、社会的な大きな問題を解決する方法にはつながっていない。
そこで我々は、ビジネスやイノベーションという概念をもって、社会の問題を解決する新しい道にやっと気がつきました。それを、30年も前からやっているこのアベドさんに、我々が学ぶべき時代が来ているのです。今日はお呼びできて、本当にうれしいと思います。
アベドさんは、ブリティッシュインディアで生まれ、その後グラスゴー大学に行き、海洋建築を学んだ後、会計学を専攻して、オイル会社のシェルに勤めました。独立の後、バングラデシュがサイクロンの災害に見舞われたことをきっかけに、非営利機関BRAC(バングラデシュ農村向上委員会)を立ち上げたということです。
ファザル・H・アベド: このような機会を与えてくださり、誠にありがとうございます。私が取り組んできた「社会開発」という旅は、37年前に始まりました。それは、バングラデシュ独立戦争の終結後でした。戦争中インドへ渡った1,000万人もの難民が、バングラデシュに戻り始めた頃です。我が国では、家、道路、鉄道、橋などすべてのインフラが破壊されていました。バングラデシュは、その廃墟から新しい国を作らなければなりませんでした。
戦争中、私はバングラデシュ独立運動のため、ロンドンを拠点にヨーロッパの多くの首都で援助を求めました。独立によって、海外における私の役目は終わったため、私はロンドンに所有していた自宅を13,000ポンドで売却しました。1971年当時の時価で、40,000ドルでした。その40,000ドルを使って、私は、バングラデシュの辺鄙な地域で生活復興支援を始めました。政府の支援は、そのような辺鄙な地域にまでは絶対に行き届かないと思ったからです。
そこには200の村があり、18万人が住んでいました。その多くはインドから戻った難民で、住む家はおろか、何も持っていませんでした。牛が殺されたために農業はできず、漁師は船さえ持っていませんでした。
まず、彼らの生活を保障することが、私の一番の目標となりました。初めの5カ月間の活動計画は、私の資金とイギリスの支援団体「オックスファム」から供与された当時の200,000ポンドを投入して行いました。これにより18万人全員が家を建てられ、生活復興支援をひとまず成功させることができました。
約1年半の月日をかけてその仕事を終えたとき、私は、「ここで引き上げてしまったら、彼らの生活は一生変わらないか、また元に戻ってしまう」と感じました。そこで、私と200人の生活復興支援スタッフは、国の長期発展というコミットメントを掲げたのです。人々が貧困から抜け出すための一生をかけたコミットメントでした。
最初の計画では、どこでも再現できる貧困撲滅モデルを開発することが目標でした。健康、教育の普及、水、衛生、女性向けの家族計画指導および子どもの免疫等の問題を解決すれば、貧困は縮小していきます。また、貧困層がより良い暮らしを得るために、農耕法の改善、園芸および漁業等の様々な分野で開発を始めました。さらに5年を費やし、人々が早く貧困から脱却できるよう、多くの生活改善モデルを考えたのです。
そこで我々は、ビジネスやイノベーションという概念をもって、社会の問題を解決する新しい道にやっと気がつきました。それを、30年も前からやっているこのアベドさんに、我々が学ぶべき時代が来ているのです。今日はお呼びできて、本当にうれしいと思います。
アベドさんは、ブリティッシュインディアで生まれ、その後グラスゴー大学に行き、海洋建築を学んだ後、会計学を専攻して、オイル会社のシェルに勤めました。独立の後、バングラデシュがサイクロンの災害に見舞われたことをきっかけに、非営利機関BRAC(バングラデシュ農村向上委員会)を立ち上げたということです。
ファザル・H・アベド: このような機会を与えてくださり、誠にありがとうございます。私が取り組んできた「社会開発」という旅は、37年前に始まりました。それは、バングラデシュ独立戦争の終結後でした。戦争中インドへ渡った1,000万人もの難民が、バングラデシュに戻り始めた頃です。我が国では、家、道路、鉄道、橋などすべてのインフラが破壊されていました。バングラデシュは、その廃墟から新しい国を作らなければなりませんでした。
戦争中、私はバングラデシュ独立運動のため、ロンドンを拠点にヨーロッパの多くの首都で援助を求めました。独立によって、海外における私の役目は終わったため、私はロンドンに所有していた自宅を13,000ポンドで売却しました。1971年当時の時価で、40,000ドルでした。その40,000ドルを使って、私は、バングラデシュの辺鄙な地域で生活復興支援を始めました。政府の支援は、そのような辺鄙な地域にまでは絶対に行き届かないと思ったからです。
そこには200の村があり、18万人が住んでいました。その多くはインドから戻った難民で、住む家はおろか、何も持っていませんでした。牛が殺されたために農業はできず、漁師は船さえ持っていませんでした。
まず、彼らの生活を保障することが、私の一番の目標となりました。初めの5カ月間の活動計画は、私の資金とイギリスの支援団体「オックスファム」から供与された当時の200,000ポンドを投入して行いました。これにより18万人全員が家を建てられ、生活復興支援をひとまず成功させることができました。
約1年半の月日をかけてその仕事を終えたとき、私は、「ここで引き上げてしまったら、彼らの生活は一生変わらないか、また元に戻ってしまう」と感じました。そこで、私と200人の生活復興支援スタッフは、国の長期発展というコミットメントを掲げたのです。人々が貧困から抜け出すための一生をかけたコミットメントでした。
最初の計画では、どこでも再現できる貧困撲滅モデルを開発することが目標でした。健康、教育の普及、水、衛生、女性向けの家族計画指導および子どもの免疫等の問題を解決すれば、貧困は縮小していきます。また、貧困層がより良い暮らしを得るために、農耕法の改善、園芸および漁業等の様々な分野で開発を始めました。さらに5年を費やし、人々が早く貧困から脱却できるよう、多くの生活改善モデルを考えたのです。
未来を変える人たち インデックス
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第1章 バングラデッシュ独立運動から生活復興支援へ
2009年07月15日 (水)
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第2章 すべての家庭への徹底した公衆衛生教育
2009年07月30日 (木)
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第3章 社会開発のためのマイクロファイナンス事業
2009年08月12日 (水)
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第4章 すべての子どもたちのための高度な教育プログラム
2009年08月25日 (火)
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第5章 最貧困層から脱却するための支援策
2009年09月07日 (月)
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第6章 社会発展の鍵となる女性の力
2009年09月18日 (金)
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第7章 ビジネスは、貧しい人を助けることもできる
2009年10月06日 (火)
該当講座
いま、ダッカが熱い。「BRICs」に続く新興国「NEXT11」の一つであるバングラデシュ。かつては最貧国と言われたバングラデシュでは、近年5%成長という目覚しい発展が続き、この10年間で貧困層が10%以上減少したといいます。そこでは、まさに現代社会が直面する新しい資本主義の形が追求されているのです。....
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