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カフェブレイク・ブックトーク『にじみ出る素養~「品格」を問う~』

更新日 : 2008年08月07日 (木)

第4章 「文明とは人の安楽と品位との進歩を云うなり」(福澤諭吉)

『文明論之概略』

澁川雅俊:フォーラムのコーディネーターは議論を総括して、「他を思いつつ、グローバル時代に生き抜く己を確立することが品格の復権につながる」とまとめています。その論調から私は、日本近代化状況下における福澤諭吉の独立自尊と同じニュアンスを読みとりました。そして私は福沢が『文明論之概略』(『福澤諭吉著作集第4巻』、02年慶應義塾大学出版会刊)で文明とのかかわりで品格をとらえている一節を思い出しました。

福澤はこう述べています。

「……文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云うなり。衣食を饒(ユタカ)にして人品を貴くするを云うなり。或は身の安楽のみを以て文明と云わんか。人生の目的は衣食のみに非ず。若し衣食のみを以て目的とせば、人間は唯蟻の如きのみ、又蜜蜂の如きのみ。これを天の約束と云うべからず。或は 心を高尚にするのみを以て文明と云わんか。天下の人皆陋巷(ロウコウ)に居て水を飲む顔回(ガンカイ)※の如くならん。これを天命と云うべからず。故に人の身心両(フタツ)ながらその所を得るに非ざれば文明の名を下すべからざるなり。然(シカ)り而(シコウ)して、人の安楽には限りあるべからず、人心の品位にも亦極度あるべからず。その安楽と云い高尚と云うものは、正にその進歩する時の有様を指して名(ナヅ)けたるものなれば、文明とは人の安楽と品位との進歩を云うなり。又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、人の智徳の進歩と云て可なり。」(1875年)

※顔回とは孔子の愛弟子で名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという。夭折したため孔子の後継者にはなれなかった。

福澤の文章は古風な文体ですから一度の黙読で読解することは容易でないのですが、かつて文学者江藤淳(元慶應義塾大学教授)が語ったように「福澤の文章は、3度音読すれば自ずと理解」できます。ぜひ上文でおためしください。 さて『文明論之概略』ですが、これは、長い間に培われた封建社会の因習から日本人自らを解き放ち、19世紀欧米の政治・経済・社会体制をグローバルスタンダードにして新しい日本を創成することの重要性を説いた評論です。1875年の刊行ですから、いまから133年前の頃の日本の状況を背景にした考察ですが、日本人の自尊と日本の独立への強烈な気概は、いまの世にも必要です。

※書籍情報は、株式会社紀伊国屋書店の書籍データからの転載です。

福沢諭吉著作集〈第4巻〉文明論之概略


岩波書店