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伝統と現代の融和を求める旅

日本元気塾セミナー in 根津美術館
館長・根津公一×建築家・隈研吾×日本元気塾塾長・米倉誠一郎

日本元気塾建築・デザイン文化
更新日 : 2010年11月04日 (木)

第2章 美術館の使命は3つ

内田和成氏

根津公一: 2000年に館長に就任したとき、学芸員から「蔵の瓦が破損して雨漏りする、カビが発生する、収蔵作品数に対して狭すぎる。何とかしてください」という声があがっておりました。そこで将来構想委員会を立ち上げ、外部の人にも入っていただき、約2年間調べていきました。その結果、新創工事では美術品を収蔵していた3つの蔵と旧本館を取り壊し、新たに本館をつくることになりました。

改めて「美術館の使命とは何か」と考えると、3つございます。1つ目は展示をして広く皆さんにお見せすること。2つ目は収集・保管・修復です。中でも維持・保管は大事です。100年、200年と次の世代につなぐために保管して、修復もしなければいけません。3つ目は調査と研究で、これは学芸員がいつもやっております。

私は初代の遺志を継いで、この3つの活動の中で第一に「貴重な日本の宝物を次の世代につなげる」ことを考えました。ですから本当は旧本館を建て替えないで収蔵庫の蔵を何とかしたい、というところからこのプロジェクトは始まったのです。

しかし調査の結果、昨今の地球温暖化や道路の排気ガス汚染が増加するなど環境が悪くなったため、大正中期につくられた「蔵」の自然換気では調整ができなくなっていました。そこで、蔵は平成2年(1990年)に建てた旧新館を収蔵庫に改築して、その中に移しました。

一方、旧本館は昭和29年(1954年)に今井兼次先生と内藤多仲先生が手掛けた瓦屋根の立派な建物で有名でしたが、片一方だけが2階建てという変わったつくりで柱がありませんでした。そのため耐震化が非常に難しく、美術品を傷めてしまう外光も入りますし、後から付けたために空調の効きも悪いということで建て替えることになったのです。

プロジェクトは「貴重な美術品と庭園の自然を守り、次世代に継承する」という使命を第一として、「東洋古美術を展示する日本を代表する世界一の美術館をつくる」ということをコンセプトにしました。

展示棟の設計では、5つのことを大切にしました。まず1つ目は目標の明確化。具体的な目標として、「美術品を美しく見せる展示方法」「館内のバリアフリー化」「耐震と免震」を掲げました。2つ目は運営管理者の視点。これは学芸員や我々が使う視点で施設をつくりたいということです。

3つ目はコミュニケーションの大切さ、これは価値観の共有です。4つ目はチームづくりとプロフェッショナリズム、5つ目はトップの関与です。このあたりは話すと長くなりますので簡単に事例を申し上げますと、私はしつこいぐらい打ち合わせに出ました。2週間に1回、初めの2年間で50回以上出ました。私が出ると隈先生も出て来ざるを得ないので、「こんなしつこい館長はいない。普通の美術館は、館長が会合に出てくるのは初めの1回か2回で、あとはみんなお任せなのに」と言われたことがございます。先生には、ちょっとお気の毒なことでした(笑)。

チームづくりでは、うちの学芸員が隈先生のところの事務所の方(隈研吾建築都市設計事務所)や施工の清水建設さんの方、それから照明やケースなど設備業者の方などでチームをつくり、全部で300回ぐらい打ち合わせをしました。それから、チームで隈先生と一緒に日本中の東洋美術品を扱う美術館を見て回り、裏の倉庫や使い勝手も見せてもらいました。同じものをみんなで見ることによって「あのときのあれはよかったよね」「これはやめようね」と、共通の認識ができたことが一番のポイントだったと思います。
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~館長・根津公一×建築家・隈研吾VS米倉誠一郎 新創事業の全貌を語る~

日本元気塾セミナー in 根津美術館
伝統と現代の融和を求める旅
根津公一 (根津美術館 理事長兼館長)
隈研吾 (建築家)
米倉誠一郎 (日本元気塾塾長/法政大学イノベーション・マネジメント研究科教授/ 一橋大学イノベーション研究センター名誉教授)

3年半に及ぶ休館を経て2009年10月に新創オープンした根津美術館に、日本元気塾塾長・米倉誠一郎氏と実際に訪れるフィールドワークセッション。 昭和16年(1941)、初代根津嘉一郎氏の遺志によって南青山に開館し、国宝7件、重要文化財87件、重要美術品96件を含む、約7千件の日本・東洋の古美術品によ....


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