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伝統と現代の融和を求める旅

日本元気塾セミナー in 根津美術館
館長・根津公一×建築家・隈研吾×日本元気塾塾長・米倉誠一郎

日本元気塾建築・デザイン文化
更新日 : 2010年11月08日 (月)

第4章 自然と人間の関係をデザインする

内田和成氏

隈研吾: 桂離宮に感激したタウトは、後日『日本美の再発見』という本を書いています。(タウトが来日した)1933年ごろは、コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエという大スターが近代建築運動というのを始めたころですが、その運動に対してタウトは批判的でした。

「ヨーロッパの近代建築運動というのは、結局はまだ形を追求している。それに対して日本の建築は自然と人間の関係をデザインしている。日本の建築は古い伝統的なものだけれども、実はヨーロッパの先をいっている。先進的な未来の建築だ」ということを書いています。

その後タウトが熱海につくったのが『日向邸』です。タウトが手掛けたのは地下室の一部だけですが、崖地になっていて、地下なんだけれど窓があって海が見えるようになっています。タウトは「海と人間が向き合うように窓を全開したい」と、ドイツからわざわざ金具を取り寄せて、当時はなかった全開できるガラス戸をつくったのです。それから敷地の傾斜を利用して、床や畳の部屋を段状にしました。上の畳の部屋にゴロンと寝転がって外を見ると、また海が違って見えて最高なんです。海と人間の関係をデザインしようとしたんです。この建物は小さいのですが、タウトがすごいと感じた日本建築の未来性が込められたデザインになっています。

ところが当時の日本人はそれを理解しなかったんです。「ヨーロッパからタウトという有名な建築家が来たけれど、変な日本もどきをつくった」としか見られなかったんです。傷ついたタウトは失意のうちにイスタンブールに行ってしまいます。

イスタンブールには、ボスポラス海峡が見える丘の上にタウトが最後に建てた自分の家が残っています。日本ふうのデザインで瓦屋根です。八角堂というのが日本にありますが、八角形の家で海がパノラマで見えるすばらしい家です。タウトはその家に引っ越す直前に倒れて亡くなってしまったのですが、彼は日本を初めて世界に紹介した1人です。

私が熱海に『水/ガラス』をつくるために敷地を見に行ったとき、隣のおばさんが出てきて、「あなた建築屋さん? だったらぜひうちを見て」と言って案内されたのが日向邸だったんです。まさか自分の設計するものの隣に日向邸があるとは思わなくて、もうびっくりして。そのあたりからタウトに興味を持っていろいろ調べたら、そういうことがわかってきたのです。
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~館長・根津公一×建築家・隈研吾VS米倉誠一郎 新創事業の全貌を語る~

日本元気塾セミナー in 根津美術館
伝統と現代の融和を求める旅
根津公一 (根津美術館 理事長兼館長)
隈研吾 (建築家)
米倉誠一郎 (日本元気塾塾長/法政大学イノベーション・マネジメント研究科教授/ 一橋大学イノベーション研究センター名誉教授)

3年半に及ぶ休館を経て2009年10月に新創オープンした根津美術館に、日本元気塾塾長・米倉誠一郎氏と実際に訪れるフィールドワークセッション。 昭和16年(1941)、初代根津嘉一郎氏の遺志によって南青山に開館し、国宝7件、重要文化財87件、重要美術品96件を含む、約7千件の日本・東洋の古美術品によ....


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