記事・レポート

生きるためのさまざまな力

カフェブレイク・ブックトーク第11回

更新日 : 2009年06月15日 (月)

第2章:生きるために必要なさまざまな〈力〉



澁川雅俊: いま新刊書の中にそういう事例がたくさんあります。実に数多くの新語というか、珍語というか、はたまた戯語が使われている本がたくさんありました。数えてみるとは50語ほどありました。そうした造語は今後も増えそうです。 

 ところで、もともと〈力〉とは、ものを運んだり、動かしたり、畑を耕したり、あるいは飛んだり、跳ねたり、走ったり、するときにつかう筋肉の力、すなわち「筋力」を意味していました。それは私たちに備わった身体的能力ですが、ものを運んだり、動かしたり、畑を耕したりする目的、あるいは期待される結果がすべて私たちの豊かな(お金だけでなく気持ちも豊かな)生活づくりにあったことから、「頭脳的筋力」に比喩的に延用されて知的能力の意味にも使われるようになりました。

広辞苑でそれらの能力を示す単語・熟語・語句を調べてみたところ、全部で114語を数えることができましたが、それらは身体的能力を表す単語が多く、知的能力を示すものはそれほど多くありません。そうしたところに〈力〉が本来身体的能力あるいは「身体的筋力」を意味していたことが伺われます。

老人力などは身体的能力に端を発している力ですが、さまざまな危機を乗り越えても子どもが欲しいと願う根底に何があるかを追究している『出産力』(雪野智世著、08年主婦と生活社)もその大事な能力の1つです。もしあの厚生労働大臣が「出産力を発揮して頂いて、わが国の発展に寄与していただきたい」と述べていたなら、辞職することはなかったのではないでしょうか。

『老人力』は日本語力を破壊する?

ことさら負の状態を強調する老人力や老後力、あるいは忘却力や鬱の力などは、〈力〉の本来の意味が何かを作り出す源泉であり、またその方法であるとする辞書的立場から、『問題な日本語』(北原保雄編著、07年大修館書店)は、こうした風潮を不適当だとしています

そういう考え方は確かに『日本語力崩壊』(樋口裕一著、01年中央公論新書)に繋がるかもしれません。面白いことに、この本自体が初等中等教育における国語教育の現状を批判し、その改善策として本や新聞を読むことを勧めているにもかかわらず、皮肉にもその書名に「日本語力」という辞書にも出ていない熟語が使われています。

しかしその内容はともかく、そうした造語はただ単に「生活のための能力」と十把ひとからげにしてしまうのではなく、その中にさまざまな〈力〉があって、それらのすべてが必要なのだと私たちに気づかせてくれる点で、かつて私がこのブックトークのシリーズでとりあげた「品格」本よりインパクトがあります。

※書籍情報は、株式会社紀伊国屋書店の書籍データからの転載です。

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