記事・レポート

LIVING WITH BOOKS

更新日 : 2020年12月15日 (火)

第3章 時節柄にまつわるブックトーク

ブックトーク(#4〜49)のあらまし
澁川雅俊:テーマは、時節柄、今日的話題、アニヴァーサリーな出来事、新刊図書の特筆すべき出版傾向や意外性などに着目して決めるが、それはある意味で広大で深遠な書物世界を垣間見る切り口となる。
 
時節柄の本のかずかず
時節、つまり春夏秋冬にふさわしいトークにはこんなタイトルが並んでいる:「辞書・辞典の季節」(#04/2008.4.28)、「‘天の川’の先の先」(#06/2008.7.15)、「旅先で気になる建物たち」(#09/2008.11.19)、「桃の節句の閨秀時代小説〜しなやかに、しかししたたかに」(#24/2012.3.2)、「人はなぜ旅に出るんだろう」(#29/13.10.25)、「秋の夜長の書物語り」(#33/2014.9.19)、「大人のための読書論」(#37/2015.12.15)、「月とかぐや姫」(#36/2015.9.24)、「そうだ、どこか遠くに出かけよう!」(#43/2017.11.17)、と。
♯春は、辞書・辞典
辞書や辞典を季節性の明確なものとして取り挙げるのは、一見不審に思われるだろう。新しい季語や季題が増えている最中でもさすがに採択されていないが、これらの本は春の息吹が満帆である。出版社や書店は、進学祝いのギフトブックとして定着しているこれらをこの時期に品揃えに勤しみ、店頭に面出しで、積み上げる。辞書・辞典は座右の書の典型で、誰もが知っている本なのだが、その数も種類も多く、したがってそれらに熟知している人は少ないので、時に応じて使いこなせないことが多い。トークの内容は、国内だけでも現在約8000点(国語辞典60パーセント、外国語辞典40パーセント)に数えられるこれらの本の全貌を明らかにしようと試みている。
♯女流時代小説作家の雛祭り
学問・芸術にすぐれた女性たちを「閨秀」と呼ぶ。いま、少なくとも文学の分野では、この熟語がとりわけ意味をなさない。女流作家が優れた作品を世に出しているからである。 このトークの内容はオピニオン・アーカイブには掲載されなかったが、以下の作家たちが桃の節句の雛壇に並んでいる。まず、最上段に杉本苑子と永井路子が肩を並べる。両者は閨秀時代小説の大御所作家。第二段目には普通は左・右の大臣人形が置かれるのだが、トークでは平岩弓枝、北原亞以子、竹田真砂子の三大巨匠作家。第三段には、実力派作家である澤田ふじ子、山崎洋子、宇江佐真理、杉本章子、松井今朝子、藤原緋紗子と並び、以下気鋭作家の宮部みゆき、あさのあつこ、諸田玲子、畠中恵、築山桂が第四段に、そして期待される新進作家たち朝井まかて、浅野里沙子、梶よう子、永井紗耶子が第五段目に来ている。このトークは2012年の催しなので、いまでは各段の作家たちをそれぞれもう一階級昇格させ、第六段目にその後の閨秀作家を追加する必要があろう。
♯「我」の始まりは46億年前、そしてその前に100億年もの時が流れた
晴れた夏の夜空にくっきりと横たわる、芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天の河」を思い浮かべながら決めた「‘天の川’の先の先」、もちろん宇宙がテーマである。旧約聖書の冒頭にある「天地創造」の大叙事詩を地球の誕生とすれば、それより先の先に宇宙の誕生があり、それが成長して天体・星座などが繚乱とする長い、長い時が流れた。近年の宇宙物理学の急展開によっていろいろなことがわかるようになり、「夢とロマンに満ちた宇宙」などという誘い文句で、この分野の一般書がたくさん世に溢れるようになった。
♯「この月の月」
月は物理的実体として、人類が地球上に生まれるずっと前から天にあり、昼の太陽に替わって暗黒の夜空に光り輝き、この地上を照らしてきた。ゆえにその存在と私たちの関係は、殊のほか密なるものがある。詠み手知らずの句、「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」はよく知られている。もちろん「この月の月」とは仲秋の名月。「かぐや姫」も時節柄の話題。トークでは、「雪月花」や「花鳥風月」などと古来より愛でられた月の文学性を語る本を集めた。なかでもあの『源氏物語』にも引き合いにされている日本最古の優れた創作文学『竹取物語』に焦点を当て、千年以上にもわたってなぜ「かぐや姫」が親しまれてきたかを探っている。
♯旅は、春夏秋冬
極寒や梅雨時には敬遠されるものの、旅は時節それぞれに味わいがある。ここでの旅は、仕事のそれや義理がけのそれはまったく除外するにしても、いろいろな旅があり、それだけにいつも多くの本が書店の棚を賑わせている。これまでに3回もトークのテーマに取り上げたが、もちろんそれぞれに異なった視点から本を集めてストーリーを創ってみた。「旅先で気になる建物たち」では、旅の道すがらふと見つけた、案内板もなく、ただ悄然とそこにあるような建物に目をつけてみた。「人はなぜ旅に出るんだろう」は、ブッセの詩「山のあなた」が発端となったトーク。「そうだ、どこか遠くに出かけよう!」では、ブックトークの話題にふさわしく、自分を開放するために旅に出てみるのではなく、どこにも行かない、豊かな旅を発見するための方法をさまざまに探してみた。
♯読書の秋
読書にかかわる本は非常に多い。何を読むべきか、いかに読むべきか、読んだ結果をどう生かすべきか、と喧しいばかり。それは、それらの大本に、あなたにとって「本とは何か」という、実に重い問題があるからだが、その解は、読書家の数だけ、非読書家の数だけ存在する。したがって関連の本が非常に多い割には、「秋の夜長の書物語り」、「大人のための読書論」、「書物のエスプリ」の3回しかトークを組めなかった。
書物に関する想いは人それぞれで、時と場所、それを手にした際の感情によっても異なる。しかし、総じて言えるのは、書物は生活の拠り所、人生の糧となりうるということ。糧とは、第一義は生命活動を支える食物だが、時として精神活動の根源を支えるものも意味する。人びとの心を揺り動かし、力づけるものは他にも多々あるが、書物もその一つであることは間違いない。
ところで書物とは何か? 古来、数多くの愛書家たちが問い続けてきた。しかし、未だその本質や実体をひと言で表した人はいない。それでも人びとは、貴賎や老若男女を問わず、「本は孵化器だ」「本は憩いだ」「本は子守唄だ」などと、身近にあるものごとに‘見立て’ながら書物との親密な関係を続けてきた。こうした‘見立て’を通じて、エスプリということばの原義はさらなる広がりや豊かさを示している。アルゼンチンの文豪で、大の読書家でもあったJ・L・ボルヘスは、『夢の本』〔河出書房新社、2019年〕、『語るボルヘス』〔岩波書店、2017年〕の中で「人間が創り出したさまざまな道具のなかでも、最も驚異的なのはまぎれもなく書物である。それ以外の道具は身体の延長にすぎない。たとえば望遠鏡や顕微鏡は目の延長でしかない。しかしながら書物はそれらのものとは違う。書物は、‘記憶と想像’である」とその所信を書いている。