記事・レポート

書物の‘エスプリ’

本とは何か?~その答えを求めて

更新日 : 2020年03月17日 (火)

第1章 書物とは何か?



エスプリ(esprit)はフランス語で「精神」「知性」を指し、とりわけ、批評精神に富んだ軽妙洒脱な表現、当意即妙で端的な才気、あるいは溢れんばかりの機知といった意味も含みます。書物の‘エスプリ’とは、言うなれば、著者もしくは読者が自らと書物の関係について端的に発露したことばであり、それは書物の本質や実体を色濃く映し出します。今回のブックトークでは、書物の‘エスプリ’を喚起するような新刊書を集めてみました。

<講師> 澁川雅俊(ライブラリー・フェロー)
※本文は、六本木ライブラリーのメンバーイベント『アペリティフ・ブックトーク 第49回『書物の‘エスプリ’』(2019年12月20日開催)のスピーチ原稿をもとに再構成しています。



‘見立て’るものは人それぞれ
澁川雅俊:書物に関する想いは人それぞれです。時と場所、それを手にした際の感情によっても異なります。しかし、総じて言えるのは、書物は生活の拠り所、人生の糧となりうるものであるということでしょう。糧とは、第一義は生命活動を支える食物ですが、時として精神活動の根源を支えるものも意味します。私たちの心を揺り動かし、力づけるものは多々ありますが、書物もその一つなのかもしれません。

書物とは何か? 古来、数多くの愛書家たちが問い続けてきました。しかし、未だその本質や実体をひと言で表した人はいません。それでも人びとは、貴賎や老若男女を問わず、「本は孵化器だ」「本は憩いだ」「本は子守唄だ」などと、身近にあるものごとに‘見立て’ながら書物との親密な関係を続けてきました。こうした‘見立て’を通じて、エスプリということばの原義はさらなる広がりや豊かさを得ていきます。

アルゼンチンの文豪で、大の読書家でもあったJ・L・ボルヘスは、『夢の本』『語るボルヘス』〔河出書房新社〕〔岩波書店〕の中でこう述べています。「人間が創り出したさまざまな道具のなかでも、最も驚異的なのはまぎれもなく書物である。それ以外の道具は身体の延長にすぎない。たとえば望遠鏡や顕微鏡は目の延長でしかない。しかしながら書物はそれらのものとは違う。書物は、‘記憶と想像’である。」


書評からのテークオフ~書物エッセイ
澁川雅俊:「書物とは何か?」を考える上で最初に見ていくのは、広大な書物の海を泳いできた愛書家による書評、そこから発展した書物エッセイです。


『書物のエスプリ』〔山田登世子著/藤原書店〕は、文化や思想、ファッションなどにも精通するフランス文学者が、これまでに読んだ古典から新刊までの少なからぬ本について気楽に綴った書評・エッセイ集です。小説、思想、歴史、社会、風俗、モード、エロスなどの多岐にわたるテーマをもとに、著者の時々の想いが忌憚なく著されており、随所に軽妙洒脱なコメントが付されています。


『書物の愉しみ』〔井波律子著/岩波書店〕は、30年間に公表した書物エッセイを集積、編纂しています。著者は中国文学者ですが、学者の‘ガチ書評’ではなく、日常性に富んだ‘ソフト書評’とも言うべき一冊です。国内外の絵本から童話、小説やミステリーなどジャンルの枠を飛び越えながら、本を読む愉(たの)しさ、自らの知が展開することへの喜びを露わにしています。これらのことばに接した時、書物‘エスプリ’は初めから本に備わっているものではなく、「読者が読み取ったことをどう表現するか」にかかっているということがよくわかります。


『彗星図書館』〔皆川博子著/講談社〕は、直木賞などの文学賞を総なめにし、90歳を超えてもなお精力的に創作活動を続ける作家が、人生を通じて偏愛してきた本を脱線まじりの語りで紹介しています。作家は近年、幻想ミステリーや歴史ロマンの‘物語り紡ぎ’に意欲を燃やしていますが、その源泉はどこにあるのでしょうか。いわく、「それは本、とりわけ西欧の現代作家の作品を読み漁ることだ」と。なお、前作『辺境図書館』でも、作家の不思議な図書館に収められた風変わりな本が多数紹介されています。


もう一点、歴史ミステリー『薔薇の名前』で一躍流行作家となった記号論理(意味論)学者、ウンベルト・エーコの自伝的小説『女王ロアーナ、神秘の炎〈上・下〉』〔岩波書店〕を挙げておきましょう。交通事故で記憶を失った老古書店主が、生家に所蔵されていた祖父以来の蔵書を手がかりに記憶を取り戻そうとする物語です。幼い頃から読みふけり、脳裏に鮮明に記憶された絵入り本や漫画類を中心に、本と作家自身の成長との密接なかかわりを回顧しています。エッセイではなく小説ですが、書物の‘エスプリ’を如実に示す作品です。

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