記事・レポート

流行作家・楡周平のまなざし

小説家は「日常」を明視する~ブックトークより

更新日 : 2017年02月10日 (金)

第3章 企業人を鼓舞する経済小説~その2


「虚空」の業界に切り込む


澁川雅俊: 楡周平作品の標題は、いずれもシンボリックです。たとえば、『虚空の冠〈上・下〉』(2011年)は、何もない空間=マスメディア(新聞、放送、出版)の支配をめぐる物語です。

敗戦直後の日本、一人の若い新聞記者が船舶事故で九死に一生を得ます。事故原因を探り当てた主人公は、その秘密と引き換えに、新聞社内で出世の階段を上り詰め、メディアミックス業界を制覇します。その虚空を埋めるものは「コンテンツ」。それをめぐり、主人公と電気通信事業のベンチャー起業家との間で虚々実々の戦いが始まる……。読み進めていくうちに、ある新聞社の主筆と、放送局を買収しようとしたかつてのベンチャー起業家が頭をよぎります。

なお、同作品では、電子書籍のプラットフォームについてもフォローしていますが、現実世ではスマートフォンの進展により、デジタル本は隆盛しつつあります。

 
時代の波に翻弄される企業

澁川雅俊: 前述の『再生巨流』『ラストワンマイル』は、窮地に立たされた企業戦士とその同志たちの奮闘劇ですが、彼らのふとした思いつきが契機となり、社運をかける新機軸の立ち上げとその成功までが描かれています。それは、まさにイノベーション創出の現場を再現しています。

対して、『象の墓場』(2013年)は、130年以上にわたり写真・映画フィルム業界に君臨した企業が、デジタル化の急激な進展を読み切れず、没落していく様を描いています。従前の経営方針を過信する経営者と多数の社員には、マクロ経済戦略の要諦は思い当たらなかったに違いありません。作家はかつて、モデルとなった世界的フィルム会社に在職していただけに、1つひとつの描写にも臨場感があふれています。

「アベノミクス」は、現在のわが国における経済標語です。それ以前にも「デフレ脱却」「失われた20年(あるいは25年)」「バブル崩壊」などが、時々の景気を表す成句として喧伝されてきました。『修羅の宴』(2012年)は、わが国が経験した異常な好景気、いわゆるバブル経済(あるいは景気)の時代を描いた作品です。

主人公である高卒銀行員は、その銀行が融資した業績不振の老舗繊維商社に出向し、さまざまな策を弄して立て直し、さらにはその業態を拡張して総合商社へと発展させます。ところが、本業では大成功を収めたものの、金の亡者が渦巻くこの時期に、地上げを通じて取引してはならない人間に取り込まれ、果ては経済事案で指弾され、坂道を転がり落ちていきます。狂乱のバブル経済下、その一隅で起きた狂おしくも儚い物語ですが、モデルとなったのは、バブル崩壊から数年後、随分とマスコミを賑わしたあの人物です。

『砂の王宮』(2015年)は、太平洋戦争直後の「闇市」から始まります。主人公のモデルは、闇市からのし上がり、スーパーマーケットの黎明期にかかわり、やがては衣料品、家電、家具なども扱う総合スーパーを確立し、流通革命の旗手と称された実在の人物です。作家が紡ぎ出したこの栄枯盛衰の物語は、戦後70年のミクロ経済をつぶさに描写しており、その間の世相史も通観できる作品となっています。


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