記事・レポート

語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

生と死の間(あわい)にあるもの/いとうせいこう×能楽師・安田登

更新日 : 2015年11月04日 (水)

第5章 文字としての言葉の「怖さ」


 
パーソナライズ小説『親愛なる』

安田登: 先ほど、文字というものは非常に強力なツールだと申し上げましたが、一方で、非常に怖いツールだとも感じています。いとうさんの『親愛なる』という小説にも、その怖さを感じさせるシーンが登場しますよね。

いとうせいこう: これは、1997年にメール配信のみで発表した『黒やぎさんたら』という小説がベースとなっています。申込みのあった読者に10個ほど質問を投げかけ、その回答に合わせて小説の細部にアレンジを加えることで、一人ひとりにパーソナライズされた小説が届く、というものです。

2013年末にこの小説をふと思い出し、翌年夏に『親愛なる』という新たなタイトルをつけ、4,000部限定で紙の本を販売したところ、2カ月で売り切れました。内容がパーソナライズされているのはもちろん、装丁には申込者の名前と住所が書かれている。まさに、世界に1冊だけの本が自宅に届くわけです。

安田登: そのしくみも面白かったのですが、内容も非常に面白かった。

いとうせいこう: 「言語の外の世界」というテーマがありました。

安田登: 小説の中で「あなたは、言語の中でしか話せない。そしていま、あなたは言語から疎外されつつある」という一文が登場します。これは非常に怖い文章です。人間は何かを表現したり、思考したりする際、言語が必要です。言語なしには何も考えることができず、世界を認識することもできないからです。一方で、その言語が時に我々を自己から弾き飛ばし、遠ざけるものにもなり得ると思うのです。

しかも、私たちは表意文字を使っています。表意文字は視覚情報が非常に豊富です。一度、その言葉を表意文字とともに認識すると、音声としての言葉とともに視覚情報としての言葉も同時に身につけてしまうことになり、そこから自由になることがとても難しくなる。

以前、中学生に「矛盾」の故事について説明したのですが、後で文句を言われました。「いままで自分は、心の中に『矛盾』というものがあるとは知らなかった。矛盾という言葉を知り、理解したことで、自分の心の中に矛盾があると気づき、何か嫌な気持ちになった。どうしてくれるんだ!」と。

何かモヤモヤしたものが、1つの言葉にぺたりと定着した途端、思考が限定され、その言葉に縛り付けられてしまう。そうなれば、本来の自分(自己)から離れた場所で、言葉だけが一人歩きしてしまう。言葉とはおそらく、遠い昔、どこかの誰かが恣意的に作ったものですが、にもかかわらず、我々の感覚や思考、行動、感情はそれに操られ、踊らされてしまう。

いとうせいこう: 「肩こり」という言葉が存在しなければ、肩はこらないかもしれない。それほど、言葉というものは、催眠や暗示の効果を内包したものであると。

安田登: だからこそ、私は本当に怖いツールだと感じているわけです。


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650年前から続く伝統芸能「能」は、死者と生きる者の話。能をフックに、私たちが忘れかけている、日本の文化、そして死生観について語ります。