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天上の舞 飛天の美
世界遺産・平等院鳳凰堂に秘められた美と感性

神居文彰住職が語る千年のストーリー

教養文化キャリア・人
更新日 : 2014年06月06日 (金)

第6章 「仏後壁」に描かれた平安の息づかい

神居文彰(かみい・もんしょう/平等院 住職)

 
鳳凰堂の歴史上初の試み

神居文彰: 平等院のご本尊、阿弥陀如来の背後には、仏が放つ光を表す大きな光背(こうはい)があります。2つのお月様が重なった「二重円相光背」です。光背のなかにおみえになる菩薩は、今回の展覧会で寺外初公開となった「阿弥陀如来坐像光背飛天」です。雲中供養菩薩は彩色の仏ですが、飛天は漆を使って金箔を置いた、金色の仏です。

阿弥陀如来と二重円相光背のさらに後ろには、巨大な板壁「仏後壁」があります。高さ3.4m、横幅3.7mという巨大な板に描かれた仏画です。修理を行うため、2004年に阿弥陀如来像を動かしたことで、鳳凰堂の歴史上初めて正対して見ることができました。その機会にできうる限りの調査を行い、描かれていた絵だけでなく、下絵や描き直しの線までも浮かびあがらせました。

山や海とともに描かれている伽藍には仏がおみえになり、中空では飛天が軽やかに舞い踊っています。下のほうには、仏を拝みに行く人々が並んでいます。また、平安時代の移動手段と言えば、牛車を思い浮かべるかもしれませんが、ここには象に牽かれた車が描かれており、大陸の文化とのつながりが感じられます。

さらには、舞を踊る人、笛や鼓を奏でる人も描かれており、とても楽しげです。この舞楽の演目は、平安期につくられた慶祝の舞「延喜楽」(えんぎらく)であることも分かりました。他寺様にも同様の絵画がありますが、残念ながらほとんど江戸時代につくり直されたもの。実は、こうした平安時代の正確な有職故実(※編注)を読み取ることができるのは、いまやこの壁画だけなのです。

もう1つ特徴的だった点は、霞の描かれ方です。鳳凰堂の東側には、宇治川が流れています。万葉の時代から、川霧とともに流れの速い川として有名でした。水温と大気の温度差により生まれる霧は、ゆらゆらと立ちのぼるだけでなく、川の流れに乗り、たなびく。仏後壁は、抽象的なテーマにより描かれたものではなく、非常に写実的に描かれた壁画だったのです。

わずか4mmの飛天が現代によみがえる

神居文彰: 今回の展覧会に合わせ、私たちは1つの実験を行いました。仏後壁に描かれた飛天の復元模写に挑戦したのです。飛天のお顔はわずか4mm。小指の爪よりも小さい。おそらく日本の絵画史上、最も小さい天人像です。しかし、とても柔らかに微笑んでおり、体を包む天衣(てんね)も軽やかに描かれています。その輪郭をなす線は、下絵を描くことなく、淀みのないひとすじの墨線で描かれていました。

飛天の姿を復元模写していただいたのは、日本画家でもある東京藝術大学の荒井経・准教授です。しかし、再現するまでに1カ月かかりました。荒井氏は「何と小さい。難しい」と言っていました。それほど、ためらいのない筆の運びを再現することは難しかったのです。

また、飛天の手には蓮の花があり、中空に白い花びらを散らしながら舞っています。蓮は非常に生命の長い植物です。たとえば、1951年に発掘された大賀蓮は2000年前、藤原泰衡の棺から発見された中尊寺蓮は850年前の古代蓮だと言われています。平等院でも、以前の庭園発掘調査の際に古代蓮の種が見つかり、現在は阿字池に咲いています。

古代蓮のなかで白い花をつけるのは、平等院蓮だけです。仏後壁に描かれていた花びらには、銀箔が施されていました。銀雪という言葉があるように、銀は光り輝く白とも捉えられるでしょう。また、平等院蓮は白いつぼみが開こうとする瞬間、先端がほんのり赤くなる。仏後壁の蓮にも、先端に朱が差してありました。つまり、仏後壁に描かれていたのは、先人が空想した極楽浄土の花びらではなく、創建当時の平等院に咲いていた白い蓮だったのです。こうしたところからも、平安の息づかいが感じられるのではないでしょうか。

※編注
有職故実
朝廷や公家、武家に伝わる行事や儀式・制度・習慣など。

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