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更新日 : 2014年01月06日 (月)

第8章 エッセイ絵本と詩の絵本 その2



●自分史絵本

詩人長田弘が訳した『百年の家』(J.パトリック・ルイス作、ロベルト・インノチェンティ絵/講談社〕は、100年前にリフォームされた石造りの家が[ 8]そこに住み着いた家族の栄枯盛衰を淡々と語るというものです。原作者は米国の詩人で画家は前に挙げた『ピノキオの冒険〈新装版〉』を描いた画家です。また詩人で児童作家の岸田衿子の思い出に安野光雅が絵をつけた『ソナチネの木』(青土社)やこの画家自身の「昔、子どもだった大人たち」のための絵本『木のぼりの詩』(日本放送出版協会)は老芸術家の自分史と言えるでしょう。多少こじつけがましいのですが、シンガーソング・ライター中島みゆきが同郷の画家味戸ケイコの絵で飾っている『時代』(サンマーク出版)も彼女の人生を詩に託した自分史絵本でしょう。

ちょっと変わったこんな作品も自分史絵本に含めていいでしょう。一つは『山本容子の姫君たち』、もう一つは『山本容子のジャズ絵本』(講談社)です。前者は、『源氏物語』、『竹取物語』、『落窪物語』、『とりかへばや物語』、さらには『不思議の国のアリス』などの主人公とこの銅版画家自身の幼い頃のことを重ね合わて、「少女」の魅力を絵と文で綴っています。後者は、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、「センチメンタル・ジャーニー」、「マイ・ファニー・バレンタイン」、「サウンド・オブ・サイレンス」、「モナ・リザ」ほかの1930~50年代のジャズの名曲に対する自分の思いをイメージに置き換えています。


●詩の絵本

詩に絵をつけた詩画集は非常に多いので、金子みすゞのものだけをここに取り上げました。『金子みすゞ童謡絵本』(矢崎節夫選/JULA出版局)の『キネマの街』(深沢邦朗絵)と『海とかもめ』〔尾崎眞吾絵〕は、若くして亡くなった閨秀詩人の作品に現代の画家が絵をつけた詩の絵本です。彼女の詩は、遺稿が発見され全詩集が出版されるまではあまり知られていなかったようです。全集刊行後その詩は小学校の国語教科書に掲載されたり、歌手CHIHIROが曲を付けて歌ったり、彼女の生涯が映画化あるいはTVドラマ化されたりしていまでは広く知られています。とりわけ「こすずめ」や「こだまでしょうか」は3.11後日本中の人々の口の端に上るようになっています。

ところで彼女の詩の抒情性に魅了された画家中島潔は『みすゞ憧憬』(二玄社)という詩の絵本を出していますが、これはまさに詩画共鳴する典型といえる秀作です。

●絵本詩

宇野亜喜良は絵本制作中いつも「絵を描きながら詩を、詩を書きながらイメージを」がぐるぐるしていたと述懐しています。そのようにして作られた作品は、詩の絵本を超えて〈絵本詩〉と言うべきでしょう。このタイプの絵本は、たとえば現在米国のポップアート・イラストレーション界で活躍しているマーク・ライデンの『ザ スノーヤク ショー』(ピエブックス)のように画集とも絵本ともとれる作品もありますが、森美術館でも大がかりな作品を発表した鴻池朋子の『みみお』(青幻舎)と『焚書 World of Wonder』(羽鳥書店)はその典型です。この画家は室内外を問わず人間を取り巻く環境の下で、絵画、彫刻、アニメーション、絵本、ゲームソフトなどの手法を駆使して次々と作品を生み出しています。

『みみお』は、想像上の生物が冬眠から目覚め、再び冬眠する春夏秋冬の時の流れを端正で気品が滲み出る画家自身作の和英の詩文とともに静かに悠々と描き、『焚書』は前の本で謳われた一年という短い時間を宇宙的な時間の流れに一転し、地球の誕生から終焉までの物語をダイナミックに語っています。しかし画家は最後の見開き頁に己のしっぽに噛みついて書物に巻き付いている蛇の絵を描いています。それは、私たちの世界はいつかは終焉するけれども、その後長い時間を掛けて別の新しい惑星としてリニューアルされることを意味しています。そしてそこに描かれているウロボロスは書物が地球の一部始終を記録してきたことを象徴していますが、「本は森羅万象の写しなり」と考えているこのブックトークの語り手にとってそれはまさにわが意を得たりです。と同時に歌謡曲「もしもピアノが弾けたなら」を思い浮かべてしまいました。もちろん私の場合は「もしも上手に絵がかけたなら」ですが。

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