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意識のない死の世界へ。すでにある無意識を顕在化せよ

アートの本質に、横尾忠則と生駒芳子が迫る!

更新日 : 2013年04月04日 (木)

第2章 チャージしたいなら、何もしないのが一番だ

横尾忠則(美術家)

 
アーティストは受け身でいい

横尾忠則: シンクロニシティーは、努力しなくても勝手に起こります。いわば自然界の出来事なのです。そういった状況を引き寄せる力が、人間の中には備わっていると思いますよ。

だから、待っていればいいのです。「さぁ、何かやるぞ」と自分からわざわざ出掛けていく必要なんてありません。受け身になって「自分なりでいる」ことができれば、創造は十分にできるはずです。むしろ、その方が手っ取り早いし、よほど信頼できます。宇宙の摂理に便乗すればいいので、人間があれこれ考え過ぎると摂理から外れていってしまう。宇宙が自然に与えてくれる。それを利用すればいいと思っています。

生駒芳子: アートには、受け身の姿勢の方が必要なのでしょうか?

横尾忠則: うん、受け身でいいと思います。積極的に考えたり調べたり、いろんな経験をしたり、過去の記憶を引っ張り出してきたり……。そういうのは面倒ですよね。僕には幼い頃から結構老人のようなところがあったので、面倒くさいことはやりたくなかった(笑)。

創造とは、10代で背負った荷を下ろす行為である

横尾忠則: 僕は、昔からあまり変わっていません。ヒトは10代で性格のほとんどが形成されるのではないでしょうか。20代以降は、学習や経験や情報によって自分をつくり上げていきますよね。10代で形成されたものには、創造に関わる一番重要な核がすでにあるのではないかと僕は思います。自分に対してネガティブで不透明な部分、といえばよいのでしょうか。例えば,自身の恥ずかしいものやヤバイものエグイものというのは、10代の間につくられ、今でも持っているわけです。

僕の仕事でいえば、その不透明なものを創造によってどんどん吐き出していけばよいのです。吐き出したからといって、空っぽになることもありません。なぜなら、それは自分の奥底にたまってしまったものですから。幸いにも、僕らはものをつくることでそれを吐き出せる。僕の年令になると吸収するよりも、すでに吸収したものを表現を通して吐き出すだけです。

吐き出すことをしないと、非常に重くなる。ラクダが運搬物を背負っているようなもの、仏教でいえばカルマみたいなものです。背負ったまま生きていくのは、しんどいです。だから、ものをつくることで荷を下ろしていく。「いい作品をつくりたい」という思いよりも、背負っているものを軽くして生きていきたいんですよ。

チャージの勘違い

生駒芳子: 今日のイベントには「エネルギーチャージ」というタイトルが付いていますけど、チャージするよりも、荷を下ろすことが大切なのですか?

横尾忠則: チャージ、充電することの意味を、皆さん勘違いしているように思います。何もしないことが、チャージなのです。現代人には「常に何かをやっていなければ」という強迫観念があるんですね。だから、少しでも時間が空くと、役に立つと思い込んでいるものをどんどん詰め込んでいってしまう。仕事の合間に観光に行ったとしても、旅行先で色々なものを好奇の目で見て、さらにため込んでしまう。絶対にチャージになっていないと思いますよ。

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