記事・レポート

MBA僧侶が編み出すコミュニケーションのカタチ

松本紹圭:目覚めの技術としての仏教

更新日 : 2013年03月14日 (木)

第1章 仏教をコンテンツとしてみる

私たちにとって、仏教はどこか遠い存在なのではないしょうか? 日常とはある種断絶していたお寺と地域に行き交う人たちの距離を、まったく新しいアプローチを用いることによって縮めたのが、東京・神谷町にある光明寺の僧侶・松本紹圭さん。「お寺カフェ」や「インターネット寺院」をはじめ、松本さんが編み出したコミュニケーション手法とは? 仏教をコンテンツとして捉えた際の魅力とともに語っていただきました。

ゲストスピーカー:松本紹圭(僧侶)

松本紹圭(僧侶)
松本紹圭(僧侶)

 
幼い頃から抱いていた、死後への恐怖

松本紹圭: 私は見ての通り、普通のお坊さんです。では、なぜここに立っているかというと、仏教の世界で今までにない新しいことをやってきたからだと思っています。例えば、お寺の中でカフェやライブを開催しているのです。なぜ、これらを始めることになったのか。実は、私がお坊さんになったきっかけが関係しているのです。

私はもともと、お坊さんの家に生まれたわけではありません。ただ、生まれた家のすぐ近所で祖父が住職をしていて、近くにお寺がある環境で育ちました。子どもの頃、ちょっと怖いなと思うことがありました。何かというと、おそらく皆さんも経験があると思いますが、「死んだらどうなるんだろう?」ということを考えたのです。その怖い感覚を祖父に相談すると、仏教の本を貸してくれました。その辺りから、仏教や思想に興味が出てきたのです。大学に入る頃になっても、仏教や思想への興味は続いていました。そこで東京へ出て、哲学を勉強することにしたのです。

本屋さんで負けている、伝統仏教

松本紹圭: そんな中、本屋さんに行くと、自己啓発コーナーが盛り上がっていました。仏教のものから仏教以外のものまで、いろいろな種類の本が並んでいます。小さい頃から伝統仏教に親しんできたので、浄土真宗の親鸞聖人がおっしゃっていることは「すごいな」と思います。しかし、本屋さんに行くと「あまりすごくないぞ」という本もたくさんあり、それが平積みで置かれてよく売れています。お坊さんの孫としては「伝統仏教も、もっと頑張った方がいいのではないか」という気持ちがムクムクと湧いてきました。

赤門から仏門へ

松本紹圭: もう一つ、これからはコンテンツの時代だろうと考えていました。皆さんもスマートフォンやPCを持っていて、常にインターネットにつながっている状態だと思います。そうやってインフラが整ってきたら、これからはコンテンツが重要です。でも新しくて本当に価値のあるものが、そうそう作れるわけでもない。そこで、1000年という蓄積がある仏教のコンテンツを生かせないかと考えたのです。「これから価値を持つようになるに違いない」と先物買いのような気持ちでした。

仏教コンテンツは私にとって宝の山でした。けれど、他のお坊さんを眺めてみるとそんな様子はありません。「しめしめ、これはチャンス」と思っていたら、どうでしょうか。最近、本屋さんやメディアで、仏教が取り上げられる機会が多くなってきたではありませんか。「たぶんこっちに何かあるんじゃないか」という予感が、社会の中で共有されてきたのではないかと思っています。

そんな思いがあって、新卒で神谷町の光明寺に入りました。東大を卒業してお寺に入ったので、友達からは「赤門から仏門へ」ともいわれました。お寺の求人はリクナビなどのサイトに登録しても募集していません。直接お寺を訪ねて「何でもしますから」と置いてもらったのです。実はその頃、就職も考えていて「広告代理店が面白そうだな」と思っていました(笑)。そういう方面への興味は、お坊さんになったいまも、かなり生かされています。