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「池上彰が紐解く、アラブの今と未来」in 六本木アートカレッジ

~アラブ美術のツボがわかるニュース解説~

政治・経済・国際文化教養
更新日 : 2012年09月13日 (木)

第3章 イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教の流れを汲む

池上彰(ジャーナリスト/中東調査会会員/東京工業大学教授)

池上彰: 今から1400年ほど前、サウジアラビアのメッカというところに、ムハンマドという商人がおりました。彼が洞窟にこもって瞑想にふけっていたとき、突然、何か黒いものに体を押さえつけられて「誦(よ)め」と言われます。読み書きができないムハンマドは「誦めません」と言って逃げ、奥さんにその出来事を話します。すると「それはきっと神様のお告げだから、暗記して、人々に伝えなければいけない」と言われます。それ以降ムハンマドは、黒く大きなものに度々抑えつけられては誦んだものをそのまま人々に伝えるようになったのです。

黒く大きな力で抑えつけたもの、それが大天使ジブリールです。アラビア語ではジブリールですが、英語ではガブリエルです。キリスト教でマリアに処女懐胎を告げたのが大天使ガブリエルです。神様は人間に言葉を直接は話しません。必ず仲介役のような、通訳のような役割の者が入ります。この構造は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通しています。

ムハンマドは「神様の言葉を預かった人」という意味で「預言者」と呼ばれます。言葉を“預かる”から預言者であって、未来を“予言する”予言者ではありません。預言者ムハンマドが神様の言葉を人々に伝え、人々はひたすら神に帰依します。「イスラム」という言葉には、帰依するという意味があります。イスラム教は「神様にすべてを委ねて、心の安寧を得る」という宗教なのです。

ムハンマドが亡くなった後、信者たちは暗誦していた言葉を本の形にまとめます。それが「コーラン」(クルアーン)で“最後の”啓典です。なぜ最後かというと、「これまで神様は、ユダヤ人に神の言葉を伝えた。しかしユダヤ教徒は教えを守らなかった。そこでイエスに改めて神様の言葉を伝えた。しかしキリスト教徒も教えを守らなかった。そこでムハンマドを最後の預言者として言葉を伝えた」とされているからです。イスラム教徒にとっては、旧約聖書も新約聖書もコーランも、いずれも神様からの言葉であって大事な啓典ですが、神様が最後に与えたコーランが一番大事な啓典になっています。

イスラム暦の第9月——イスラム暦は月の満ち欠けで1年が決まる太陰暦なので、私たちの太陽暦とは少しずつずれています。そのため、いわゆる9月ではありません——は、ラマダンといって、イスラム教徒は日の出から日の入りまで断食しなければなりません。私たちは「なぜだろう?」と思いますよね。でもイスラム教徒は、そういう疑問は絶対に持ちません。なぜならコーランにそう書いてあるからです。神様がそうおっしゃったのだから、疑問を持つ必要はないのです。

豚肉を食べてはいけないのも、お酒を飲んではいけないのも同じです。ただし、お酒は「酔うと喧嘩したり、神様のことを忘れたりするから飲んではいけない」とコーランに書いてあるので、信者の中には「神様のことを忘れない程度だったらいいんだ」と解釈して、少量なら飲む人もいます。それから、当時のお酒はぶどう酒でしたので、コーランには「ブドウ酒を飲んではいけない」と書いてあります。だから「ビールを飲んじゃいけないとは書いていないよね」と言ってビールを飲む人もいます。一口にイスラム教徒といっても、実は多様性があるのです。

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池上彰が紐解く、アラブの今と未来
池上彰 (ジャーナリスト/中東調査会会員/東京工業大学教授)

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