CATALYST BOOKS vol.4
理解を深める1冊
Index
~知能には法則があるのか?生物がいかに世界を見ているかを知る本~
高梨直紘さんのカタリスト・トークでゲストにお迎えしたゲームAI開発者の三宅陽一郎さん。デジタルゲームの中に登場するモンスターなどのキャラクターの知能を作るお仕事をされています。 人間ではないモンスターの知能を作る三宅さんは「どんな動物でも、知能は同じ原理で働いているのだろうか?」「知能には普遍的な法則があるのではないか?」ということを日々考えています。
生物の知能の起源にまで遡り、一般的な知能はどのような環境下にも存在し、知能の個性を決めるのは、その生物が住む環境にあると解説する三宅さん。
彼の人工知能の研究では、色々な生物を観察して、知能の原理を理解してコンピューターやロボットで実現していきます。これまでのご経験から、人間以外の生物を含め、この宇宙の中で知能を作ろうとしたら、そんなに自由度がないのではないか、と考えていらっしゃいます。
今回は、日々、生物の知能の原理について考えている三宅さんが次の3冊をカタリスト・ブックスとしてご紹介くださいました。
『生物から見た世界』(ユクスキュル・著/クリサート・著)
もともと生物解剖学者だったユクスキュル氏。戦争によって研究費を得られなくなったため、生物がどうやって世界を見ているかという別の研究を始めたといいます。生物が生きているまま実験をして、その生物が捉えている世界を探求し、「環世界」という概念を提唱しました。
環世界とは「それぞれの生物がこの世界をどのように認識しているか」ということで、つまり、それぞれの生物にとっての主観的世界のことを指します。ユクスキュル氏は、生物が行動するために主観的な世界が構築されると考えましたが、この環世界の考え方は人工知能の研究では非常に重要な概念だと三宅さんは言います。特にゲームの中のクリーチャーに主観的世界、環世界を構築することが三宅さんのお仕事だと言っても過言ではなく、人工知能にも哲学にとっても重要な本として、ご紹介くださいました。
『意味の深みへ~東洋哲学の水位~』(井筒俊彦・著)
井筒氏は20か国語くらい使いこなす語学の天才、と三宅さん。イスラム文化の研究者として名を馳せ、東洋でも西洋でも知らないことがない博覧強記なお方だと三宅さんは絶賛します。 東洋と西洋の交差する地点の話題について井筒氏の視点で書かれたエッセイであり、一見すると、全ての章が全然違うテーマを扱っているように見えて、実は東と西を統一した視点で捉えようとするところが軸となっている本だといいます。
我々がいかに世界を分割して捉えているかが書かれている本書は、人工知能にとって重要な示唆を与えてくれるもので、何回読んだか分からないくらい愛読されているそうです。
『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』(三宅陽一郎・著)
東洋哲学を通して人工知能を語ろうと試みる三宅さんの著書。東洋哲学と人工知能をそれぞれロジカルに分析し、AI専門家にも、哲学の専門家にも読まれる骨太な一冊です。 普段、日が当たらないAIの夜の部分を描き出し、知能の輪郭を書いたとおっしゃる三宅さん。普段、なかなか触れることができない知見に触れたい方にお勧めです。
~オードリー・タン氏も訓練して身につけた「他者の靴を履く」能力~
台湾デジタル担当大臣のオードリー・タン氏にインタビューを行って数々の関連書籍を出版されている、台湾在住ノンフィクションライターの近藤弥生子さんをお迎えして台湾のリバースメンター制度についてお話をお伺いした軍地彩弓さんのカタリスト・トーク。
従来型のメンターは年長者が若者の指導的立場にありますが、台湾では35歳以下の若手イノベーターが大臣のメンターとなる「リバースメンター制度」が2014年に導入され、オープンガバメントの中で若い世代の意見が積極的に政策に反映されています。オードリー氏自身がリバースメンターとして大臣に政策アドバイスしていたことがあり、広く知られるようになりました。
イベントでは、日本ではあまり知られていない「リバースメンター」のコンセプトについて、台湾政府の教育部青年発展署に取材にも行ってくださった近藤さんが詳しくお話をして下さいました。
台湾にある若者の意見を政治・政策に反映させるための仕組みの中で、とりわけ画期的なのがプラットフォーム「Join」です。「Join」は、選挙権を持たない子どもや外国籍の人でも「居留証」と台湾の携帯番号があれば政府に意見を提出でき、60日以内に5,000人の賛同を得られれば、政府は何かしらの回答をしなければならないというルールの下で運営されています。「Join」を通して女子高生の意見が政策として採用され、台湾では2019年7月からプラスチックストローがチェーン店の店内で使用禁止になりました。女子高生の提案から社会が変わることが実際に起きているのです。
しかし、仕組みやプラットフォームを真似れば台湾のようにできる、というわけではありません。それらが活用されるためには、リバースメンターのコンセプトが社会に浸透していることが必要ではないでしょうか。
今回ご紹介いただいた本は、リバースメンターを実践する上で必要なマインドセットを教えてくれる『他者の靴を履く~アナーキックエンパシーのすすめ~』(ブレイディみかこ・著)です。
入閣時に「ソーシャルイノベーション」「オープンガバメント」「若者の政治参加」の3つをミッションに掲げたオードリー氏。近藤さんはこの本を読んだときに、オードリー氏が実践していることが書かれていると感じた、と言います。
この本で「他者の靴を履く=エンパシー」とは、「他者の感情や経験などを理解する能力」と定義されています。エンパシーは「能力」なので、身につけるものである、と書かれているのです。
オードリー氏は自分の視野が狭いことを前提にしており、これまで「他者の靴を履く」訓練を重ねてこられた、と近藤さん。もともと天才児と言われるオードリー氏が、エンパシーを身につける練習を重ねたからこそ、相手の立場に立って聞くことができるようになったと考えています。
「シンパシー」と「エンパシー」の違いについてもこの本で触れられています。「シンパシー」は特定の状況で特定の人に対して共感する気持ちであり、「エンパシー」は相手に制約を持たず、「同じ意見や考えを持たない人、共感できない相手だとしても、相手の立場を理解する力」だといわれています。
私たち一人一人が「他者の靴を履く」ことを心掛けることによって、若い世代と年配の世代が分断することなく、それぞれの意見に耳を傾け、より良い社会のために互いの意見を受け入れていけるのではないか、と近藤さんは問います。
リバースメンターは、若者の声が正しいと主張するものでも、年長者は退くように主張するものでもありません。年長者と若者が相互に理解する努力をし、ともに社会を前進させてこうという姿勢を持つことが「エンパシー」であり、これが社会に広がることで、リバースメンターを実践する土壌が整うのではないでしょうか。
「他者の靴を履くこと」とはどういうことなのか、なぜそれがいま必要なのか、ということが書かれている本書は、リバースメンターの本質を理解することにつながる1冊となるでしょう。
~複数の自己を使い分けた江戸文化から「未来の働き方」を考える~
「オフィスと働き方の未来」をテーマに、メディア美学者の武邑光裕さんをゲストにお迎えした藤沢久美さんのカタリスト・トーク。武邑さんは、知識労働者の最新動向から生じる働き方の変化をグローバルに俯瞰して捉え、そこから「能動的プライバシー」と「アバター文化が生み出す新しい経済的な個人主義」というキーワードを導き出し、解説してくださいました。
労働者の動向に関しては、特に米国でニュースとなっている「大量退職」が顕著なものとして紹介されました。1か月で400万人以上の人々が自主的に仕事を辞める選択をしている背景にあるものとして、個人の価値観の変化が挙げられます。それはソーシャルメディア上に180万人の規模で広がるAnti-work(反仕事)の議論にも表れており、9時から5時までオフィスに縛られて働くというライフスタイルからの離脱が始まっていると武邑さんは考えます。
今まで私たちは一日の大半の時間を一つの会社に身を捧げ、自分の個性を一つの会社に合わせて生きてきました。しかし、自分の中にある複数の「自分らしさ」を大切にして生きていきたい、自分を一つの会社に閉じ込めずに解放したいと考える人たちが増加し、リモートワークや副業を認めない企業は労働者から選ばれなくなってきています。武邑さんからは「オフィスの終焉」という言葉も飛び出すなど、「オフィスと働き方の未来」は大変革のうねりの中にあることを感じさせられます。
その動きは今後、メタヴァース上での多様な自己表現とも相まって進展していくと考えられています。実はそれが日本文化、日本人のアイデンティティに合致するものだということを明らかにしているのが、今回ご紹介いただいた本です。
『江戸とアバター~私たちの内なるダイバーシティ~』(池上英子・田中裕子 著)には、江戸時代の文化が多彩な小規模コミュニティ(連・社・座・組・講など)によって華開き、当時の日本人が複数の異なる名前を使い分けて多様な自分を表現していたことが示されています。
例えば、連は俳句を詠むサロン、座は興業を行うための場所、社は仕事など同士が集まって結成した団体、講はメンバーシップのための講座。固定された身分社会の裏で、こうしたコミュニティの中で複数の自己を能動的に使い分けてきた江戸の日本には、しなやかで自由な分身文化が存在していました。
「プライバシーとは自己を世界に対し選択的に開示する力」という著名な言葉を引用し、それを「能動的プライバシー」と表現する武邑さんは、日本文化のDNAがまさに、選択的自己表現、能動的プライバシーを包摂していたとみています。
複数の人格を話し手が演じる落語やコスプレ文化など、現代に引き継がれているものもありますが、近代化の過程で一人の自分に自我を押し込めてきた日本人は、複数の自己をマネジメントする能力、文化を失ってしまいました。武邑さんは、いまこそ私たちは江戸時代の分身文化から学ぶべきと考えます。
いまデジタルネイティブ世代の若者は、裏アカウントやサブアカウントを含めると20以上の個性を使い分ける人もいます。リモートワーク、ブロックチェーン、暗号通貨、NFTなど、Web3の世界では人々が既存のシステムから脱出を図る現象が見られ、まさに、Anti-workの動向に見られるように人々が自らの主権を取り戻そうとする経済的個人主義と分散化の動きが起きているのです。
江戸の人たちが多様なコミュニティに属していたように、一人の個人が多様なアイデンティティを駆使しながらデジタル空間の中で様々な仕事を行うことによって、自分の特化したものを発見していき、そこから公益のために自分が何を提供できるのかを考える---。そのような経済的な個人主義の動きが加速していくことが今後起こると想定される、と武邑さんは分析します。日本人のアイデンティティの視点から未来の働き方について思考を深めたい方にお勧めの本です。
~経済の根本に迫ることは、人間とは何かを考えること~
哲学者・荒谷大輔さんのカタリスト・トークのテーマは「経済のリデザイン」。現代の資本主義経済の問題点が指摘される中、私たちが理想とする新しい経済のあり方はどういうものなのかを模索しています。
シリーズ第4回は社会学者の大澤真幸さんをゲストにお招きし、1月に出版された大澤さんの著書『経済の起原』をベースに、経済はそもそも何なのか、資本主義経済の先にある社会とはどういうものなのか、についてお話いただきました。
今回のカタリスト・ブックスは、まさにトークのベースとなった大澤さんのご著書『経済の起原』です。ここでは、本書のエッセンスをお話いただく中で大澤さんが示したキーワードとなった「贈与」と「コミュニズム」を中心にご紹介します。
大澤さんが本書で迫ったのは「経済を基(もと)から考える」ことです。経済の根源に向き合うことは、経済の領域を超えて「人間とは何か」ということを考えていくことに他なりません。特に大澤さんは、経済の最もプリミティブな形態である「贈与」という極めて人間的な現象に注目します。誰かに何かを渡す「贈与」という行為は、非常に複雑で不思議な性質を持ちます。
誰かに何かを贈られると、お返しをしなければならず、贈与は負担となります。そして贈与は互酬化(義務化した相互のやり取りが発生)します。しかし、すぐにお返しをすると傷つけることもあります。贈与は互酬性に向かうものと、反対の力が働くときがあるのです。 一方で大澤さんは、与えたものが優位に立ち、力関係を生み出す贈与は、政治的権力の起原でもあることを浮き彫りにします。
大澤さんは、資本主義を乗り越えて別のタイプの社会に移行するとしたときに、「能力に応じて貢献し、必要に応じて取ることができる」構造を持つ「コミュニズム」に可能性を見出します。しかし、そこにも「贈与」は関係しています。自分が採ってきたものを「みんなのもの:コモンズ」にする、という行為はある種の贈与だからです。
しかし「贈与」は権力関係や格差を生んでしまうことから、その点がコミュニズムでも問題となります。はたして、権力関係や格差を生まない「贈与」は可能なのでしょうか?「最初からみんなのもの」になっている、共同寄託の形であればそれが可能だと大澤さんは考えます。例えば、採った瞬間に獲物がコミュニティみんなのものになる、狩猟採集民の社会がそれに該当します。しかし、それは「みんな」ありきで「個」が存在しない、規模が小さい社会でしか成立せず、現代社会にそのまま適用できません。
本書では、色々な個がいる主体の複数性があって、かつ、垂直的な権力関係を発生させず、しかも、十分に普遍的で包括性のあるコミュニズムは可能かという問いを発し、それに対する大澤さんの理論から導き出された答が明示されています。
哲学者の荒谷さんとの対話を通して、大澤さんは現在の日本の哲学を取り巻く状況に危機感を持っていることを吐露します。古代哲学者の著名な言葉をなぞって物知りになるだけで満足する人が多く、その概念を使って自分の頭で物事を考えられる人が少ないことを憂いているのです。
資本主義の先にある新たな社会を構想するとき、「コミュニズム」の可能性がいま注目されています。古代哲学者が生み出した概念を使って熟考し、論理を展開する本書を読むことで、自分の思考訓練もできそうです。
~規定しないことから生まれる自由、不確実性から引き出される可能性~
カタリストの藤沢久美さんが一目見て虜になった、という異色の本棚があります。それを設計したのが今回ゲストとしてお迎えした、建築家の小林恵吾さんです。
リング状の形状で本を収納しつつ、本棚の中や周りに座ることができ、隆起しているところをテーブルにして作業もできる---これまでの本棚の常識を覆す全く新しい本棚を設計した小林さんが重視したのが「不確実」「自由」「公共」「広場」「可能性を引き出す」などの要素です。
オランダの建築家レム・コールハース氏が代表を務めるOMA/AMOのロッテルダム事務所に勤務していた小林さんが帰国したとき、日本では公園における禁止事項が多いなど、公共空間に自由がないことに驚きを感じ、このままだと都市が貧相になってしまうと危機感を抱いたといいます。
本来あらゆる可能性を引き出す場所であるはずの都市が、近代化とともに整然とゾーニングされ、整理・規定されていく中で自由がなくなって均質化していくことを危惧する小林さんは、「角を曲がる先に何があるか分からない」不確実で不安定な要素を建築に取り入れ、あえて境界をなくすことでそこにいる人々の発想を広げたいと考えています。
小林さんが手がけた本棚は、「家具より大きく、建物より小さい」規模感で、個人が自分に合った場所を探りながら、それまで気づかなかった行為や動作、楽しみ方を自分で発見するきっかけを作っています。そんな小林さんの考え方に影響を与えたのが、今回のカタリスト・ブックスです。
『テアトロン:社会と演劇をつなぐもの』(高山明・著)には、演出家の高山明さんの演劇に対する考えや想いが込められており、小林さんが建築を通してやろうとしていることをより具体的に意識させてくれた本だといいます。
テアトロンは古代ギリシャ劇場の客席だった部分で、それが劇場(シアター)の語源となっています。高山さんの演劇に対するアプローチは、舞台に演者がいながらも観客も演劇の一部になってしまうようなワークショップを彷彿させる独特のものがあるといいます。高山さんの作品は、その場所で成立する人との接し方、疑似的なコミュニティのあり方を色々な場所で展開していき、それがいつしか、実社会に溶け込んでいくことを目指しているのです。
小林さんは、そこに建築家のアプローチとの類似性を見出しています。建築は演劇のように場面展開を順序立てて人々をガイドすることまではできませんが、人々のふるまいや身体的動作や感情のきっかけを作ること、そしてそれが彫刻としてではなく、社会の一部に溶け込んでいくことを重視しているからです。本書は小林さんがデザインした本棚に込められた想い、小林さんの思想を理解するのにお勧めの1冊です。
Index
テアトロン
高山明河出書房新社
経済の起原
大澤真幸岩波書店
江戸とアバター—私たちの内なるダイバーシティ
池上英子 : 田中優子(江戸文化研究家)朝日新聞出版
他者の靴を履く
ブレイディみかこ文藝春秋
生物から見た世界
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル、ゲオルク・クリサート岩波書店
意味の深みへ 東洋哲学の水位
井筒俊彦岩波文庫
人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇
三宅陽一郎ビー・エヌ・エヌ新社
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