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民主主義を支えるデンマークのメディアは何が違うのか?
<イベントレポート>

更新日 : 2024年06月18日 (火)

【後編】「どんな国でありたいか」は国民一人ひとりの「どう生きたいか」の結晶


開催日:2024年2月28日イベント詳細はこちら
スピーカー:ニールセン北村朋子 (文化翻訳家/Cultural Translator)
浜田敬子 (ジャーナリスト / 前 Business Insider Japan 統括編集長)

ヘイトをラブで返す住民の動きが、報道の姿勢、あり方を変えた。
ニールセン:「Constructive Journalism(建設的なジャーナリズム)」の事例で、ひとつ思い出したことがあります。私の住んでいるデンマークのロラン島は、地域の経済活動の基幹となってきた造船業がなくなってしまった後に経済が弱くなり、一時的に社会的弱者が増えたエリアです。空き家問題、ホームレス問題など、地域に関するネガティブな報道が多くなり、社会保障費がかかっているエリアだというイメージがついてしまいました。極端にそういった報道が多くなったことで、よく知らない人には、あのエリアはそういうところ、とイメージが固定化してしまうのです。
そして数年前、第二の公共放送であるTV2が、このエリアがどれだけ問題を抱えているか、ということを伝える番組を作り、放送しました。そこには真実もあるけれど、メディア側の悪意も感じ取れる内容でした。そのような番組が放送されるとわかったときには、さすがにロラン島の住民も、これを黙って見過ごすのはやめよう、反発しよう、と立ち上がりました。でも、単純に番組に対して文句を言ったり、ひどい言葉を浴びせたりすることは彼らと同じレベルになってしまうから、ロラン島とファルスタ島のいいところを集めて(言葉だったり、画像、映像だったり)それを#lollandfalsterlovestormというハッシュタグをつけて共有し、SNSを占拠しようというムーブメントを作りました。これにはロラン島とファルスタ島の住民だけでなく、両島を訪れたことがある人々も加わり、たった一晩で、SNSはロラン島とファルスタ島のいいところで埋め尽くされたんです。
そこからTV2は謝罪に追い込まれました。「放送された番組の内容は両島の全てではないかもしれない。これからの番組づくりでは気を配り、公正な調査報道に努めます」といった内容でした。ヘイトをラブで返した住民の動きが、報道の姿勢、あり方を変えたという事例です。それ以降、ネガティブ、ポジティブ両方の面を伝えるようになってきたと思います。ラブで返したからこそ対話が生まれて、そういった流れにつながった、とても興味深い動きだと思います。

浜田:メディアだけが発信する当事者ではないということですね。オーディエンス側もなんらかのアクションを起こして、双方向で対話が生まれてメディアが変わっていった、と。

ニールセン:はい。日本に帰ってきてテレビを見ていると、本当にみんなこういう番組を見たいのかな、と思う時があります。たくさんチャンネルがあるのにどのチャンネルも似たような番組のときがあったりしますし、報道バラエティーみたいな番組も多くて、これをみんなが望んでいるのかな?と思います。でも、それは見ている側が意見を言わなければならないのかもしれません。番組を作っている人は意外と気づかなかったりします。いわゆるクレームではなく、もっと建設的に、「こういう番組を見たい」「こういう情報をもっと知りたい」と、普段の毎日のなかで伝えていければ、日本のメディアももっと変わるような気がします。
「やり残したことは、明日絶対にやろう」と、腹7分目でやめておく
浜田:日本の報道のありかたが変わらないのは、やはり社内の多様性の無さに問題があると思います。昔に比べれば、だいぶ女性記者やディレクターは増えてきましたが、現場では長時間労働が常態化していて、それで会社が回って、成り立っています。キャップ・デスク・部長クラスはまだ男性が多く占めていますし、全国紙、テレビ局ではニュースの優先度を決める人が偏っています。それは男女というだけではなく、似たような属性、似たような価値観の人で決めているのです。 例えば、日本人・同年代・24時間働いてOKという価値観を持ち、地域や家庭にあまり関わってこなかった人たちがニュースを決めていたら、当然内容が似通ってきます。イデオロギーの違いはあっても、“何が”ニュースなのか、という価値判断がとても似ている、ということです。もちろん、若い人の価値観はだいぶ変わってきていますが。
様々なメディアの現場からは、女性は辞めてしまうという話を聞きます。それは、女性が色々と提案してもなかなか採用されず、硬直化した現場の状況を変える前に、心が折れてしまうのだと思います。また、長時間労働という、働き方の問題もあります。子育てとの両立ができない、転勤が多くて家族がバラバラになってしまうからやめてしまうケースも多いです。以前、北欧メディアのシンポジウムに参加した際に、多様性をもたせるため、会社内の女性管理職の構成比を変えるなど、かなり組織を変えて意識改革をしている話を聞いたことがありますが、デンマークのメディアではどうですか?

ニールセン:まず、男女に限らず、色々なジェンダーの方がいるとみんなが認識していますし、ジェンダーに関するニュースも多い。そうなると現場に当事者の目線はかかせないので、必要とされる場所に必要な人がいる、ということはすごく大事だと思います。また、労働条件は労使協定でしっかり話し合って決まっていきます。基本的に、テレビ、記者、カメラマンなどメディア関連業務であっても、週37時間労働、残業はなし。サービス残業はあり得ません。
日本からのテレビ取材で、デンマークのカメラマンの方と仕事をしていると、16時になったら「じゃ、そろそろ終わる時間なので」と切り上げようとします。日本のディレクターさんは「え?まだ全然撮れていないんだけど、、、」と困惑するのですが「いや、子供のお迎えがあるので」となります。「それは奥さんに頼めないの?」と問うと、「奥さんも働いているので。じゃあ、誰かこの中から代わりにお迎えに行ってもらえますか?」と、そういう感じです。前もって言ってなければ本当に帰りますし、残業や休日出勤は手当が割増になるので、極力平日の昼間に撮るんです。限られた時間、労働で人権を守るということが、きっちり行われています。

浜田:デンマークは労働時間が短くても「競争力ランキング」が高い。どんなふうに仕事をしているのか、全く信じられなかったですよ。16時台に帰れるってどんな仕事なの?と思いました。でも、管理職も、国の官僚も16時に一旦帰って子どものお迎えをして、残った仕事を家で1時間くらいはやるかも、みたいな感じなんですよ。おそらく社会全体でそういう働き方だから、メディアだけ特別に長時間労働、というのはあり得ないわけですよね。

ニールセン:そうですね。逆に長時間働いていたら、どうしてそんなに働いているの?という目で見られます。労働生産性が高いのは、ちゃんと休んでいるからだと思います。完全に仕事から離れられる時間があって、それでリフレッシュして次に向かうことができる。例えば、サッカーのデンマーク代表は、1日に1時間半しか練習しないんです。その時間の中で何をするか、どういう練習するかを選手に決めさせる。デンマークの監督から、日本や韓国は長時間練習していて飽きないの?と聞かれたりします。彼らの話によると、1時間半だとやりたいことの全部は練習できない、そこで、「ああ、これは今日できなかったな、明日は絶対これを練習しよう」というモチベーションになるのだそうです。腹7分目でやめておくのがコツなんだよ、と話してくれました。デンマークの人はみんなそのような考えで働いているのだと思います。嫌になるまでやらない、というのが大事だということですね。

浜田:それはよくわかります。日本では、ジャーナリストや、クリエイティブな現場の人は、時間をかければかけるほどいいものが生まれる、人生を全て賭けてやれ、という風潮が強い。でも、私が『AERA』の編集長時代は、スタッフの3分の2が女性で、そのうち半分が子育てもしていてお迎えで早く帰る働き方でした。しかし、彼女たちの出してくる企画がクオリティが低いかというと、逆なんです。限られた時間で成果を出そうとするから、ものすごく必死で、工夫をしながらやっている。さらに、生活の中でママ友や地域の人と話すことも多くなり、新しい視点、企画、アイデアを次々出して来ていました。居場所が複数ある人のほうが、豊かな発想があるんだと実感しました。男性も時間の期限を決めて働いたほうが、リフレッシュできて、新しい発想も湧いてくると思いますが、なかなか日本でそこが変わりませんね。
すべての仕事において「やらないことを決める」
ニールセン:実はこの前、厚労省で働く人向けにワークライフバランスについての勉強会をやってきました。そこでは「(休みたくても)休めない」という悩みが多かったです。

浜田:それは、先に「休む」と決めないとだめなんですよね。

ニールセン:そうなんです!デンマークは有給休暇を5週間取ると決まっているので、みんな完全に消化します。そのなかでやりくりできるようにする、そもそもその5週間をなかったことにして進めればいいんです。もちろん休む理由や何をするかを申告する必要はないですし、休暇中に仕事のメールをしたり電話をしたりして対応した場合、その休暇はやり直しになります。そのままにすると、休みの時間を削られたと損害賠償を請求されることもあります。そうなると、休暇に入る人には「楽しんできてね」となりますよね。

浜田:日本の現状では夢のまた夢ですね。私も昔、休暇中にポケベルをがんがん鳴らされて、こっちは休みなんですけど、、、みたいなことは普通にありました。

ニールセン:デンマークでは、休暇中の職場からの電話なんてみんな一切出ないですよ(笑)。デンマークは週37時間労働、金曜日は半日で、そうなったのが1990年です。日本は週40時間が法定労働時間で、統計では60時間以上働いている人もかなり多い。調べたところデンマークでは1900年頃、週60時間働いていたようです。デンマークにとって日本の労働時間は120年前の働き方、ということになりますね。休みを取ることに罪悪感を感じる、という風潮は本当に考え直したほうがいいです。休むことは人間としての権利ですから。

浜田:百歩譲って、週60時間働いている日本のほうが競争力が高ければいいですが(笑)、競争力ランキングもデンマークに比べてかなり低いわけで、これは何かがおかしい。 デンマークに関する記事を読んでいて「なるほど!」と思ったのが、デンマークでは、すべての仕事において「やらないことを決める」ということです。デンマーク人のジャーナリストが「デンマークにはCCメール(関係者をCCに入れて内容を共有すること)という概念はありません。CCはその人の時間を奪うことだから」と言っていました。これは本当に仕事において必要なのか、を真剣に考えているんです。 私もワーキングマザーなので、やらないことを決めて、5分刻みで何をやるかシミュレーションしながら働いてきました。時間が貴重であるという感覚を持つことで、クオリティを落とさず、逆にあげていくことができ、短時間でもいいものができるという実感があります。

ニールセン:もうひとつ、さきほど浜田さんがおっしゃっていた日本は転勤が多い、人事異動が多いというのも、多くの国民の時間を奪っていると感じます。デンマークには、どちらもありません。転勤は希望した人が行くもので、無理やり行かされることはないですし、あとは人事異動で役割や業務を交代をすることもないので、自分の専門分野を深めていくことができます。時間の使い方の無駄がない。日本では就業規則で決まっていない企業でも人事異動を実施しますよね、もちろん癒着を防ぐといった側面もあるとは思いますが、実際に今の状態でやっていてリスクがあるのか調べているのか、慣習でやっているのでは?という気がします。 デンマークは人事異動がないので専門性が高い人が多く、それ自体が知的財産になっています。日本人の能力はすごく高いと思うのに、そういうことでその能力と時間を削ってしまっているのはすごく残念だと思います。
話しあえば糸口が見えてくるという成功体験が、民主主義を支える


浜田
:デンマークでは時間に余裕があることが政治への信頼を高め、民主主義とも関係がありますよね。18時に家に帰れれば、家族でニュースを見ながら、政治的な話を家族でしたりする時間がありますよね。あとデンマークには、コミュニティディナーというのがあるんですよね。

ニールセン:はい。「フェレスピースニン(fællesspisning)」というもので、廃墟になった教会などを作り替えて、多いところでは、200人位の規模で、全然知らない人同士でご飯を食べるんです。初めて出会った人とテーブルを囲み、自己紹介をし、そこにあるものを分け合って食べるというルールです。そのなかでは必ず会話が生まれるんです。学生も老人も、年齢に関係なく、ざっくばらんに誰もが参加できます。そういう機会が常にあるのも、会話のタブーを減らすことにつながると思います。日本のように、大人は仕事、子どもは塾や習い事で日常が埋め尽くされていると、このように、いろいろな人と食卓を囲む機会はなかなか持てないですよね。デンマークにいると、民主主義が日常の中にあると感じます。

浜田:日本は男性は会社にずっといて、女性はそのためにワンオペで育児、仕事と家事で精一杯。これでは社会、地域のことに関心を持ち、そこで活動をしたり、議論したりする余裕もないですよね。だから政治への関心も下がっていく。デンマークの生活、事例を聞いて、なるほどそういうことか、と思いました。

ニールセン:デンマークの人は、対話から全てがはじまると思っています。くだらないこともいうし、発言にタブーはない。うちも家庭で息子と政治の話をしますし、性教育もするし、学校で起きたこと、ガールフレンドができたとか、宗教の話とか、ありとあらゆる話題があがります。

浜田:それが投票率80%の国につながるのですね。

ニールセン:国政選挙だと85%ですからね。

浜田:日本の若い世代に政治参加を促すために活動している一般社団法人NO YOUTH NO JAPAN​​代表の能條桃子​​さんという女性がいます。彼女はデンマークに留学していたのですが、そこで驚いたのは、学生や若い人がとにかく何でもよくしゃべることだ、と言っています。政治について議論をし、例え自分とは違う考え方の人がいたとしても、その人を攻撃するのではなく、そういう見方もあるんだと理解して、そこから合意形成をしていくトレーニングのような会話を毎日している、と。

ニールセン:それはそうですね。中学校から、選挙のときには本物の候補者が学校に来て議論をしたり、模擬選挙をやったりします。そこにはヒエラルキーもないし、聞いてはいけないこともないし、専門性がないから発言してはいけないということもない。年齢、ジェンダー問わず、忌憚なく話せる状況が幼い時からあるのが大事です。デンマークでは、合意形成を幼稚園からやっているんです。例えば、ブランコにどういうふうに乗るか、何回乗ったら交代など、子ども同士でルールを話し合って決めていきます。自分の意見を言ったらみんながいいと認めてくれた、これを言ったらみんなが嫌がった、など小さな成功や失敗を遊びのなかで経験していきます。それぞれ考え方は違っても、話しあえば糸口が見えてくるという成功体験があるのは、民主主義を支えるきっかけになっていくのです。

浜田:日本ではどちらかといえば、先生がルールを決めて、それを守っていくのがいいとされますね。デンマーク在住の私の知り合いが、夏休みに日本に来て、日本の学校に子どもを短期間だけ体験入学させたことがありました。すると、「うちの子はとにかくずっと1人で手を挙げていて、教室ですごく浮いていた」と言うんです。先生に「どう思う?」と聞かれても、クラスのみんなはシーンとしていて、その子は、正解かどうかはわからないけれど手を挙げる。正解を当てなければ発言してはいけないという空気というのでしょうか。

ニールセン:デンマークの教育では、正解は必ずしもひとつあるわけではない、ということを学んでいくのだと思います。正解を狙い撃ちしていくということもないし、正解がよくて間違いがよくないという考えもあまりないです。教育現場で試験のありかた、教え方、正解についての考え方を話すときによく言われることは、教育はアーチェリーの的みたいなものだ、という例えです。学習到達度調査(PISA)だと、真ん中の赤丸一つしか正解にはなりません。でも、アーチェリーは的の端っこに当たった時も得点がつきます。さらに、今の時代は赤丸が正解かもしれないけれど、時代が移っていくと、端っこのギリギリのほうが正解になっていくこともありますよね。だから、赤丸が正解、それ以外は正解ではないとしてしまうと、もしかしたら、未来の正解に近いもの、それがイノベーションかもしれないですけれど、そういった可能性を切り捨てることになってしまうかもしれない。だから、できるだけ惜しい、ギリギリのところも、ちゃんと見ていってあげることが教育だし、それが民主主義、対話につながると思います。
大事な問題は一言では言えない。物事を単純化しない、ということが大事。
浜田:日本では政治のことを話したりすると”意識高い系”なんて言われて揶揄される存在になってしまったりします。そういうことは、デンマークではありませんか?

ニールセン:あの子は政治の議論が好きだね、という一般的な言い方はありますけれど、揶揄はされないですね。意見を持っていないことのほうが不思議がられて、何が好きなの?あなたの意見はないの?と聞かれます。

あと、日本のテレビ局がデンマークにロケに来たときの、すごく面白い話があります。日本のディレクターさんがよく「今までいいお話を聞いてきたのですが、一言でまとめるとなんですか?」と、デンマーク人にまとめコメントを言わせたがるんです。でも、デンマーク人はそこから延々と喋る。私が通訳しているので、ディレクターさんに「一言でまとめてって伝えました?」と聞かれるので「言いましたけど、、、」となって、じゃあ、もうワンテイク!となり、またデンマーク人は長〜く喋る(笑)。仕方なく私がもう一度「短くしてほしいみたいよ」と言っても、「こんな大事なことを聞かれているのに、短く話せるわけないだろう」と言うんです。思いのたけは全部言いたい、それを遜色がないようにうまく編集するのがそちらの仕事なんだから、話す方に編集して喋れって言うの?まとめるのはあなたたちの仕事でしょう、というのがデンマークの人の考え方です。これは本当によくあることで、毎回すごく時間がかかります。日本側のスタッフにも毎回説明するのですが、いつも同じことが起きて頭を抱えています(笑)。でも、デンマーク人の言うことは一理あるな、と思いますよ。意図を汲んで編集するのがプロだし、話す側に編集させるのはおかしな話です。

浜田大事な問題はそんな簡単に言えない、物事を単純化しない、ということが大事ですよね。テレビに出ていると、「裏金問題について30秒でコメントをお願いします!」とか言われますよ。こっちはいっぱい言いたいことがあるのに(笑)。もう少し長い時間くれない?と思うことはあります。

ニールセン:短く言い切ってください、とかね。

浜田:そう!それは本当に言論を貧しくしていくし、考えている視聴者にとっては、そんな単純なことじゃないよね、と思うでしょう。そこからニュース離れ、メディア離れを起こしていく。

ニールセン:本当にその通りです。聞いていても、出来レースと言いますか、こういうことに帰結するんだろうなと予測ができてしまうんですよね。
「どんな国でありたいか」は国民一人ひとりの「自分がどう生きたいかの結晶」
ニールセン:民主主義とはなにか?とデンマーク人に聞くと、次のような答えがあがります。


※ニールセン北村朋子さん スライドより

私がデンマークで暮らしていて、非常にクリアだなと思うのが、いつも「どんな国でありたいか」を、政治の世界、地域、学校、家庭の生活の中でも、話し合う機会が多いということです。 例えば、今なら「持続可能性、たくましさ、自立性、多様性、柔軟性を持ち、争わず、できれば平和な社会でありたい」といった理想が出てくるでしょう。そして、そのために何が必要か?を考えると「教養、発想力、俯瞰力、対話、交渉力、実現力、ベースとなる食料・エネルギー・水を自給できていること、誰かに寄りかからず独立した意見を言える立場にある国であること」などが出てくる。それを教育から実践していこう、というのがデンマークの考え方です。

日本に置き換えて考えると、「どんな国でありたいか」というのが今はぼんやりしているのではないかと思います。70年代くらいまでは戦後からの脱却、世界に追いつけ追い越せで、がんばってきました。ある程度経済力がつき目標が達成されて、80年代からはこの経済力、経験、伝統をもって、どういう役割を世界で果たして行こうかというフェーズに入ったと思いますが、そこからがなんとなくぼんやりしている。もしかしたら、そのぼんやりが続いたことが、失われた30年、40年につながっているのでは、という気がします。「どんな国でありたいか」というのは、国民一人ひとりの「自分がどう生きたいかの結晶」だと思います。日本人は忙しくて、どう生きたいのかを考える時間も機会もない状況が続いているので、そういう時間を持てるようになることが国全体にとっても大事なのではないかと思います。

最後に、デンマークの人がだいたい誰でも知っている言葉を紹介します。デンマークの海運会社の会長Mærsk Mc-Kinney Møllerが言った言葉です。

Den der har evnen, har pligten. “能力のある者には、義務がある”
自分の能力を出し惜しみしないで、どんどん社会に共有していこう、ということです。

多くのデンマーク人はこれを胸にもっていて、自分の得意なことを、できるだけみんなと活かし合おう、と生きています。とてもいい言葉だなと思うのでみなさんに共有して終わりたいと思います。

浜田
:ありがとうございました

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