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民主主義を支えるデンマークのメディアは何が違うのか?
<イベントレポート>

更新日 : 2024年06月18日 (火)

【前編】「建設的なジャーナリズム」を通じて民主主義に貢献する



世界で何が起きているのかを、海外在住のジャーナリスト、起業家、活動家の視点を通して解説するWorld Report​​シリーズ。第7回は、デンマークより来日したニールセン北村朋子さんに「デンマークのメディア」をテーマにお話いただきました。聞き手は、ジャーナリストの浜田敬子さん。​​あらゆる角度でデンマークという国そのものに関心を寄せる浜田さんに、日本のメディアとの対比を含めて掘り下げていただきました。​​

開催日:2024年2月28日
登壇者:
ニールセン北村朋子 (文化翻訳家/Cultural Translator)
浜田敬子 (ジャーナリスト / 前 Business Insider Japan 統括編集長)
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デンマークは、生きていく上での不安が少なくなるようにセッティングしている国
浜田:ジャーナリストの浜田です。個人的にもデンマークについて興味津々で、今編集長をしているリクルートワークス研究所が発行する『Works』という雑誌でも、デンマークに関する記事を連載で取り上げています。今日はデンマークについて、特にジャーナリズムについて、より深くお話を聞けることを楽しみにしてまいりました。どうぞよろしくお願いします。

ニールセン:よろしくお願いします。まず自己紹介をいたします。私は文化翻訳家です。日本とデンマーク、そして北欧を繋げるうえで、言葉の翻訳だけでは理解できないことも多いので、文化背景を補足するような、ちょっとおせっかいな通訳、解説をする仕事をしています。 デンマークは世界幸福度ランキングが上位の国として知られていますが、私は日本も子どもと若者がハッピーな国になってほしいと思っています。日本は大人も忙しいけれど、子どももすごく忙しそうですよね。子どもにはゆったりと過ごしてもらいたいという夢があり、日本がそういう社会になってほしい、と思っています。

最初に、デンマークという国についてご紹介しましょう。
デンマークはスウェーデンとドイツに挟まれた、九州くらいの大きさの国です。多くの島々からなる国で、首都コペンハーゲンも島にあります。大陸とつながっている場所があるのに、そこに首都を置いていないのは世界的に珍しいです。私はロラン島という島に住んでいます。今作られている海底トンネルが開通すると、ドイツと電車で7分、車で10数分で行き来できるようになります。


※ニールセン北村朋子さん スライドより

国土面積は九州と同じくらいで、グリーンランドとフェロー諸島が自治領になっているので、それを含めると広いです。デンマーク自体の人口規模は日本の小さな県くらいです。圧倒的に日本のほうが大きい国ですが、一人当たりGDPをみるとデンマークは日本の倍くらいです。小さい国なのですが、自分たちの強みをよく知っていて、それをうまく生かしている国と言えます。

デンマークは、ものごとの「そもそも」を考えるのが得意な国だと思います。定期的に「そもそも」を見返しています。いくつかの事例をご紹介をします。

「そもそも教育とは?」 1844年以来、一方通行の教育から、教師が教壇から降りて、教科書に頼らない対話で学びを深めていくという教育に変わってきています。前回のイベントで詳しくお話をしましたが「民主主義のための学校」と言われる社会人のための教育施設「フォルケホイスコーレ」もデンマーク独自のものです。

「そもそも映画とは?」 ハリウッド映画の真逆を行くルール(監督のクレジットを入れない、照明を使わないなど)で作る映画運動(ドグマ95​​)が起こりました。その結果、とてもオリジナリティのある映画が作られるようになり、国際的な賞を取るようにもなりました。

「そもそも食とは?」 デンマークは、もともとはそこまで食文化が豊かとは言えず、食にこだわりがあるとは言い難い国でした。でも2004年頃からニュー・ノルディック・キュイジーヌ運動が起こり、どんなものを食べたらこの先も幸せになるか、を考えるようになりました。(デンマークのレストラン「ノーマ」が「世界のベストレストラン50」のランキングで世界1位になり、この潮流は北欧全体に拡がった。)

そして、このスライドにあるように様々な世界ランキングでも、デンマークは上位に入っています。


※ニールセン北村朋子さん スライドより

「腐敗認識指数」ではずっと1位です。これは政治腐敗、経済、産業界の腐敗に厳しい、ということです。今日のテーマに関わる「民主主義指数」も高いです。後ほど詳しくお話しますが、幼稚園の時から民主主義という言葉を聞いて育つなど、民主主義を非常に大切にしている国だといえます。

また、「報道自由度」も上位です。日常の会話でも、メディアでも、あまりタブーがないですね。一方「ジェンダーギャップ指数」は23位と微妙な位置です。国会議員は女性が多いですが、企業のトップはまだ女性が少ないですし、給与格差もあったりします。それにしても、日本は125位で、あまりにも低いですね。

デンマークは高福祉高負担の社会である、ということはよく耳にすると思います。医療は無料なので病院には会計の窓口がありませんし、年金、介護も手厚く保障されています。教育費は小学校から大学院までかからないので、子どもたちは生まれた環境に左右されず、望めばどんな学びでも受けられます。その原資になっているのが税金。税金は高いです。入ってくる収入の半分は税金でおさめるという感じですし、消費税は25%、軽減税率もなし。やはり物価は高いと言われますね。その代わり、法人税は若干低くおさえられています。
デンマークは幸福度が高い国と言われますが、裏を返せば、不安を上手に取り除いている、できるだけ生きていく上での不安が少なくなるようにセッティングしている国と言えると思います。


そして「多様性を認めて、生かし合う社会」であるということはデンマーク、北欧の特長だと思います。苦手なことを頑張れとはあまり言わず、得意なことを伸ばそう、という社会です。得意を伸ばしていけば、他の人から見つけてもらいやすくなるという考え方なのです。将来何かやりたいと思ったとき、自分は英語は得意だけど、数学や国語が苦手だから、そこは得意な人を見つけて一緒にやってもらえばいい。例えると、色々な形をつなげ新しいものが生まれるレゴブロックのように(レゴ社はデンマークの会社)、一人で全部できる必要はないし、色々な組み合わせの妙が生まれ、イノベーションにもつながる、と教育現場でもよく言われます。
デンマークのジャーナリズムの歩み
ニールセン:今日の主題である、デンマークのジャーナリズムの紹介に入りたいと思います。デンマークのメディアのあゆみを簡単にご紹介しましょう。


※ニールセン北村朋子さん スライドより

1849年に民主化し、憲法が制定され、報道、結社、集会の自由が保証されるようになりました。民主化の流れのなかで、民主主義とは国民が議論をしてものごとを決めていく社会だから、まず国や地域のことに関して議論ができる国民を増やさなければならない、と考えられました。そこで、農民が農閑期に行ける学校として、フォルケホイスコーレ「人生の学校」が作られました。民主化する前に、すでに民主主義のための学校が作られていたんです。

1900年代に入り、1925年に公共放送局(日本のNHKにあたる)デンマーク放送協会(DR)が、1988年に第2の公共放送局(TV2)が、開局します。TV2は、DRがテレビを独占的に支配しないために、ライバルとして作られた局です。情報に偏りがあってはいけないですし、視聴者に選択肢を持たせるためですね。2022年にDRは受信料を廃止し、税金でまかなわれることになりました。これにはもちろん賛否両論があります。報道の独立性という意味で、国の税金でメディアをまかなうとはどういうことを意味するのか考える必要があるテーマです。ただ、受信料をなかなか回収できなくなり(特に若い人は払わない)、信頼に足り得る公共放送がなくなっていいのか、という議論から、そのように舵を切ったということです。これに関しては、未だ議論が燻っている部分だと思います。
「建設的なジャーナリズム」を通じて民主主義に貢献する
ニールセン:最近デンマークで注目されている「Constructive Journalism(建設的なジャーナリズム)」というものがあります。これまでのジャーナリズムは、隙をついて、厳しく糾弾する、というやり方でしたが、そうではなく明日のためのジャーナリズムをやっていこう、というのが「建設的なジャーナリズム」です
「建設的なジャーナリズム」を研究しているConstructive Instituteという機関が、デンマークにあります。そのサイトにある図(下記)を使って「建設的なジャーナリズム」の考え方をご紹介します。 土台となるのは3つの柱(図のグリーンの部分)です。

Focus on solutions /問題を明らかにするだけでなく、考えうる解決策を模索
Cover nuances/入手可能なベストバージョンの真実を求めて努力する
・Promote democratic conversation/民主的な会話を促進する
 
その上に「批判的で建設的なジャーナリズムを通じて民主主義に貢献する」という目標が掲げられています。それが「明日のためのジャーナリズム」につながる、ということです。

ジャーナリズムの目的は、「速く伝えること」や「糾弾し責めること」から「インスピレーションを与えるもの」へ変化し、ファシリテーター的な役割として、人々に「今がどうで、未来はどうなるのか?」を提示し「どのようにすればいいと思いますか?」と考えさせる方へ移ってきています。以前はデンマークのテレビニュースも、強い口調の司会者が責める姿勢で批判的に訴えるような傾向でした。今は、穏やかに対話をしながらニュースを伝えるようになってきています。ドラマティックに報道するのではなく、偏らないように多様な意見に橋をかけて、お互いがどう思うかを知り、正しく理解して、報道するという風潮です。

浜田:日本でも少しずつ「ソリューションジャーナリズム」という言葉が出てきていますが、定着はしていません。「建設的なジャーナリズム」がデンマークで生まれた背景をもう少し詳しく伺えますか?

ニールセン:まず、批判的な事件、嫌な事象ばかりを取り扱うニュースが色々な形で増えましたよね。SNS上でも常にブレイキングニュース(速報)が流れていて、見ようとしなくても目に入ってきてしまう状態です。それをずーっと見せられ続け、もう見たくないと思う人々が多くなり、ニュース離れが起きてしまいました。もちろん、伝えるメディア側もそれが本意ではなく、問題を考えてほしくてニュースを出しているわけですが、そのやり方が逆効果になっているのだったら意味がないですよね。だから、どうしたらみんなが一緒に考えてくれるか、一歩踏み込めるようにするにはどうしたらいいか、という意識がメディア側に生まれたと思います。そこから、「建設的なジャーナリズム」に変わっていく時代になってきていると私は思っています。

浜田:なるほど。どちらかというとメディア側から、内発的に未来のメディアのあり方として生まれてきた、という感じでしょうか?

ニールセン:そうですね。あとは、やはり国民の意識の変化の影響もありますね。毎年統計で、どういうメディアをどれくらいの人が見ているかといったデータがあります。そこからニュースや報道を見ない人が増えているとわかり、メディアとしてそれはなんとかしなければなりませんから、その辺りが影響していると思います。
本来議論とは、勝ち負けや論破することが目的ではない
浜田:デンマークのニュース番組が穏やかな口調になってきた、というお話もありましたが、受け取る世代にも関係があるのかなと思いました。私は朝日新聞出版で『AERA』という雑誌を作っていました。1988年創刊で、当時大学生くらいだった人がずっと読んでくれていて、私が編集長の時は読者年齢はだいぶ上がってきていました。週刊誌なので、災害や戦争、国際問題、政治家スキャンダルなどの特集を毎週のように組んでいました。しかし、当時私は40代でしたが、もっと若い編集部のスタッフと話したとき、「〜の真相!」とか「〜の真実」といった見出しをもう見たくない、疲れる、圧が強い、と言うのです。

ニールセン:デンマークも強い口調が響く世代はあったと思います。以前は批判的でないとジャーナリズムではないと思う人も多かったです。しかし、もっといろいろな見方があるはず、というのが若い世代の考え方なので、圧が強い一言で切り取ったり、印象づけようとする言葉があると、拒否反応が出るという傾向はあると思います。

浜田:さきほど、「建設的なジャーナリズム」が生まれてきた背景に、ソーシャルメディアの影響も少しあるとおっしゃっていましたね。

ニールセン:はい。デンマークの政治家もSNSをかなり使うようになっています。でも、一般の人は美味しい物を食べた報告とか、友達の近況を見たくてSNSをやっていて、そこで政治に触れたいわけではないのに情報があがってくるわけです。ポップアップでニュースが出て、議論が始まったりしますよね。そういうものは疲れてしまうし、もう少しゆっくり考えさせてほしい、違う見方があるんじゃないか?そういう報道はできないのか?という反応が多くなってきたと思います。また、デンマークは早くからジェンダー問題について取り組んできていますけれど、もともとは画一的な男目線、女目線のニュースが多かったと思います。でも、世の中には色々な立場や目線があること、さらに移民もたくさん入ってきて、従来のデンマーク、北欧の見方だけではない考え方もあるという気づきがあり、一言で切り取るような伝え方に嫌悪感を覚える人は増えた気がします。

浜田:私は日本のテレビ番組でコメンテーターの仕事もやっていますが、ビシッと批判的なことをコンパクトに言うと爽快だと評価されたりします。しかし、それを若い人たちが見て、そんなに単純ではないよね、と言っているのを耳にしますよね。デンマークの場合、建設的な議論は政治の場面では先にあったのか、それともジャーナリズムが変わってくることで政治にも影響を及ぼしているのか、このあたりはいかがですか?

ニールセン:建設的な議論は、政治の場では早くからあったと思います。なぜかというと、デンマークは一党で政権を取ることが難しく、大体連立政権になることが多いので、コンセンサスをとっていかないとなかなか意見がまとまらず、建設的に話していくしかないのです。もちろん色々な政党があり、強い言葉でリードする政治家もいて、それが気持ちがいいと思う人はデンマークにもいるにはいます。でも、本来議論とは、勝ち負けや、論破することが目的ではありません。微妙に違う意見のグラデーションがあるなかで、自分はどのグラデーションまでは認められるか、理解できてもそこから先は認めることは難しいのか、そういう細かいニュアンスもちゃんと議論したい、という風潮も出てきています。

「ソリューションジャーナリズム」と「建設的なジャーナリズム」
浜田:私が『AERA』に異動した1999年ごろから、ニュースメディアとしては割と早く、個人の悩みにフィーチャーした内容をニュースとして扱いはじめました。当時男性中心だった朝日新聞のなかで、『AERA』編集部は比較的女性が多い職場でした。といっても3割くらいでしたが、私は『週刊朝日』から『AERA』に異動してきて、こんなに女性の多い職場は初めて!と思ったものです。
今は普通に新聞にも子育ての悩みや、女性の働き方、夫婦の悩みなどが大きな記事として掲載されますが、当時は新聞の生活面以外に掲載されることはありませんでした。『AERA』の女性スタッフは、自分たちが読みたいのはこういうニュースだ!と、積極的に企画を提案していました。そういう女性たちからの提案を受けて、当時の『AERA』はニュースは個人の内面、心の中にある、という路線を確立していったんですね。これがヒットして、部数が伸びました。当時のメディアの中では「共感型ジャーナリズム」を早く体現していたと思います。しかし、それを続けていると、若い人たちから、『AERA』は個人の悩みには寄り添ってくれて書いてくれるけれど解決方法が提示されない、と言われるようになりました。そこから、「じゃあ、どうする」といくつか解決策を提案するところまで意識するようになりました。

その後、2010年半ば朝日新聞の方でも新聞は「ソリューションジャーナリズム」という側面もないと生き残れないのではないかという議論が始まっていました。ちょうどその頃、朝日新聞の方に異動していた私は、例えば子供の貧困問題を伝えるだけではなく、子ども食堂に寄付を集めるクラウドファンディングと連動できないか、もっと言えば、メディアがハブとなって企業のスポンサーをつけて子ども食堂を支援できないかというアイデアを提案したこともあります。もちろん報道メディアは、中立性ということを厳しく言われているので、プレイヤーになることには社内ではいろいろな反対意見もありました。ですが、時には社会課題に対して当事者となって一歩踏み出す活動まで今の時代は求められているのかなとも思います。具体的に、デンマークでこれが面白いという事例があったらぜひ教えていただけますか?

ニールセン:メディア側から、実際にどういうふうに問題を解決しましたか?と問いかける番組は多いかもしれません。メディアが常に正しい答えを持っているわけではないので、こういう事例を知りませんか?と聞くと、誰もが当事者になりますよね。自分はこういうことができます、あの人に聞けば解決策を知っているかも、というふうに情報が集まり、双方向でコミュニケーションをとっていくのです。

浜田:実際に話してもらうんですね。少し前に西日本新聞が、あなたの代わりに取材します、何を取材してほしいですか?という募集をしていましたね。そういったことも「建設的なジャーナリズム」と言えるかもしれません。 

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