66ブッククラブ 第4回
『ウーバーランド』を読む
第2章 周縁的な資本主義という可能性
アカデミーヒルズとコンテンツレーベル「黒鳥社」による読書会、「66ブッククラブ」。12月3日に行われた第4回ではアレックス・ローゼンブラット『ウーバーランド』を取り上げ、上智大学法学部教授・楠茂樹氏をゲストに招いて議論を行なった。読書会にはこれまでと同じくデザインシンカーの池田純一氏がゲストとして参加。池田氏はただUberの危険性を指摘するだけでなく、そこに一縷の望みを見出そうとする。参加者は池田氏が選んだ3冊の本を通じて、Uberがつくり出したような「ネットワーク」がオルタナティブな資本主義へ開かれていく可能性を知ることとなった。
TEXT BY SHUNTA ISHIGAMI
PHOTOGRAPH BY MASAMI IHARA
池田純一 (デザインシンカー)
ギグ・エコノミーのような新たな経済を可能にしたプラットフォーマーの功罪を問う『ウーバーランド』。同書を読み解く第4回の「66ブッククラブ」で法学者の楠氏が提示したのは、アルゴリズムやプラットフォームを一種の「宗教問題」として捉えなおせる可能性だった。
他方でデザインシンカーの池田純一氏が選んだ3冊『プレイ・マターズ』『マクドナルド化する社会』『マツタケ』は、「アルゴリズム」の外側に出る可能性やそのオルタナティブを提示するものだったといえるかもしれない。
「Uberのユーザーはアントレプレナーたれと扱われたものの、結局アルゴリズムのなかで子飼いのドライバーになってしまったわけですよね。『プレイ・マターズ』を読むと、アルゴリズムを“ゲーム”とみなして遊べる可能性が見えてくるかもしれません」
池田氏はそう語り、まずミゲル・シカール『プレイ・マターズ』を紹介した。現代ゲームスタディーズの第一人者であるシカールによるこの本は、ビデオゲームやスポーツからUXにアノニマスのハクティビスト活動まで、さまざまな事例を引きながら「プレイ(遊び)の生態系」全体を描きだしている。
本書のなかでも注目すべきフレーズとして池田氏が挙げたのが、「月を指差しているのに月ではなく指を見るのはマヌケだ。ゲームは指であって遊びこそが月なのだ」だ。このように「ゲーム」と「プレイ(遊び)」を区別することが、アルゴリズムを考えるうえでも重要だと池田氏は続ける。
「たとえばゲーム批評といいつつソシャゲやEスポーツについて話しても、『ゲーム』のなかに閉じられてしまう。ぼくらはプレイについて考えるべきなのに、みんなゲームのことしか考えていない。それはアルゴリズムの外側に行く方法を考えるうえでも役に立つかもしれません」
つづいて池田氏が紹介したジョージ・リッツア『マクドナルド化する社会』は、『ウーバーランド』以前から同種の問題が存在していたことを教えてくれる。1990年代に日本で翻訳された同書は、1980年代に書かれた著者の論文を書籍化したものだ。フランチャイズ型のネットワークビジネスによって効率性や計算可能性、予測可能性が制御可能となり、社会が急速に「マクドナルド」のようになっていったことが明らかにされている。
「ジョージ・リッツアは1970年代からマクドナルド化が進んだと書いていて、その先に回転寿司やコンビニのようなモデルがつくられていきました。こうしたネットワーク化が社会を変えるようになってからそれなりの年月が経っているわけです。Uberのみならずネットワーク化そのものがぼくたちの労働や消費を変えてきたことを知るうえで読んでみると面白いはずです」
もちろん、マクドナルドとUberがそっくり重なるわけではないだろう。池田氏が「フランチャイズは不動産ビジネスですがUberは動産ビジネスですよね」と語るとおり、確実に時代的な変化は起こっている。
最後に池田氏が紹介した『マツタケ』は、マツタケをある種の“主人公”として据えた“マルチスピーシーズ”民族誌だ。アメリカ・オレゴン州、フィンランド・ラップランド、中国・雲南省におけるマルチサイテッドな調査にもとづき、日本に輸入されるマツタケのサプライチェーンの発達史を多角的に描いていく。
同書は一見UberはおろかGAFAやプラットフォームとも関係がないように思えるが、じつはオルタナティブなネットワークや資本主義について教えてくれるものでもある
本書はマツタケをめぐる移民・難民の動きや生態資源の扱いなどさまざまなテーマが扱われているが、なかでも池田氏は同書を通じて「スケーラビリティ」のあり方を考えなおしていくことにヒントがあるのではと語る。
「スケーラビリティは『規格普遍性』、ノンスケーラビリティは『規格不能性』と訳されます。GAFAやウーバーランドは小さいことも大きいことも同じ理屈で行えますと主張していて、ひとつの規格が広がっていくことを想定している。でも、そうではない可能性もあるんですよね」
わたしたちが「資本主義」について語るとき、スケーラビリティはとかく自明のものと考えられがちだ。GAFAの覇権は、その自明性によって加速されたと言っても過言ではない。けれども、スケーラブルであることだけが資本主義のあり方ではない。資本主義は一種類しかないものではない。池田氏は「ペリキャピタリズム」なる概念を紹介し、べつの資本主義の可能性を提示する。
「ペリキャピタリズムとは、資本主義の縁の部分に注目しようということ。じつは周縁に目を向けると資本主義にもいろいろなかたちがあるのだとわかる。『マツタケ』のような人類学的なアプローチは、人間にとって普遍的な話をしながらもどこか土着的な部分を明らかにしているのが面白いですよね。経済学はもはや工学化してしまったので、逆にノンスケーラビリティがいまは面白いのかなと」
Uberが生み出した「ウーバーランド」は、個人を搾取する恐れのある危険な存在かもしれない。だからといって、Uberのようなプラットフォーマーが実現するネットワークそのものが悪いわけではないだろう。『マツタケ』が人類学的フィールドワークによって明らかにしたように、多様な取引関係が広がることで生まれたネットワークが、オルタナティブな資本主義や経済システムをもたらす可能性は大いに残されているのだから。
『プレイ・マターズ』
ミゲル・シカール 「ゲーム」からしか「遊び」を捉えてこなかった従来のゲームスタディーズに異議をつきつけ、多様な事柄がかかわるひとつの生態系として遊びを捉えなおす重要性を提示する快作。「ロジェ・カイヨワやホイジンガが書いたような遊びの哲学を書き換えようとしていますよね」と池田氏が語るとおり、単に多様な遊びを分析するのみならず人間にとっての遊びのあり方そのものを問い直そうとしている。
『マクドナルド化する社会』
ジョージ・リッツア
世界12カ国で翻訳出版されベストセラーとなった本書は、マクドナルドが実現した仕事のマニュアル化や効率化、モデル化が世界中を席巻していると指摘する。その傾向はますます強まり、いまやわたしたちはマクドナルド化を意識することさえなくなってしまっただろう。「Uberだけが悪いわけではなく、数十年前からぼくたちはこうしたシステムのなかで生活しているんですよね」と池田氏。
『マツタケ』
アナ・チン
日本に輸入されるマツタケのサプライチェーンの発達史をマツタケのみならず、マツ類や菌など人間以外の存在から叙述する一冊。人工栽培できない“不確定”な存在としてのマツタケについて考えることは、さまざまな不確定性の絡み合う現代社会を考えることでもあるのかもしれない。池田氏は「Uberのようなネットワークにべつの発想をぶつけられるのが面白い。ネットワークのスプロール化には希望があるのではと思います」と語る。
<次回、66ブッククラブ 第6回はこちら>
66ブッククラブ 第4回 インデックス
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第1章 “宗教問題”としてのアルゴリズム
2020年01月29日 (水)
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第2章 周縁的な資本主義という可能性
2020年01月29日 (水)
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