記事・レポート

日本発「無印良品」から世界の「MUJI」へ
~ケロッグ経営大学院 モーニングセッションより

地球規模で「消費の未来」を見通す

更新日 : 2015年10月14日 (水)

第5章 日本から世界の「MUJI」へ


 
海外進出の変遷

鈴木啓: あくまでも私見なのですが、今回の講演のために当社の海外進出の変遷についてまとめてみました。

海外進出の第1ステージは、最初にロンドン店を出した1991年から1997年までかと思います。ロンドン店とほぼ同時に香港に、1995年にはシンガポールにも出店しました。当時の海外進出の形態としては、基本的に現地企業と合弁会社を設立しています。ロンドン店はリバティ百貨店、香港店は永安百貨と提携しました。

商品は日本で企画から製造まで行ったものを輸出し、現地には駐在員を派遣してディスプレイや接客など「無印良品」としての品質管理を行いつつ、スタッフは現地採用、というスタイルでスタートしました。事業運営については、日本の海外事業部が現地とのやり取りを統括し、その内容を日本の各事業部に伝える、という形態でした。

第2ステージは、1998年から2007年初頭まで。1999年からは、ロンドンに欧州事業を統括する現地法人が置かれました。このステージで大きく変わったのは、商品調達です。当時は欧州への年間輸入数量枠などの法規制があり、従来の日本からの輸出とともに、ロンドンの現地法人の中に商品企画開発機能が設けられ、そこで欧州で好まれるサイズ、販売時期などを考慮して商品開発が行われていました。

進出形態としては直営店が基本でしたが、ロンドンの現地法人とフランチャイズ契約を結んだ「ライセンスストア」(LS)と呼ばれる店舗を、2002年にアイルランドで、その後スウェーデン、ノルウェー、スペインにも出しています。



この時期は海外店舗を増やす方向に進んでいたため、フランスでは直営店を7店舗ほど出店し、イタリア、ドイツ、中国のほか、米国にも第1号店を出しています。一方で、当時はアジア金融危機などの影響により世界経済が不安定だったこともあり、海外展開の舵取りが難しい時期でもありました。

第3ステージは、2007年から現在に至るまで。進出形態については、国や地域に合わせてLSと合弁を使い分けつつ、基本的には直営化を強化しています。大きく変わったのは、事業運営です。2007年、日本本社の全部門をあげて海外事業部と現地法人を全面的にサポートする体制が構築されたことでグローバル化が本格化し、海外店舗の数も急激に増えていきました。

商品調達については、欧州の現地法人での企画開発は解消し、各国のニーズを踏まえつつ、すべて日本で一括して企画するようになりました。現在は、日本の商品企画部門がグローバル本部となり、海外市場を正しく把握した上で、無印のコンセプトを実現する商品を企画しています。生産については税制的なメリット、輸送距離のメリットを考慮しながら、その時点で最適な拠点を選択しています。

物流についても大きく変わりました。原産地からの直送を強化すると共に、2013年からはGDC(Global Distribution Center)を上海とシンセンに設けています。ASEANでもGTC(Global Transfer Center)を通じて、ASEANの各工場でつくった商品をハブ&スポークの形で集約し、そこから日本を含む各国に輸送しています。

このように、現在は全社をあげて海外展開をサポートしており、第1ステージの頃に比べれば、インフラもシステムもロジスティクスも大きく様変わりしています。商品企画の次のステージとしては、現地の文化や習慣をより深く掘り下げていく必要があると感じています。各国・各地域のニーズに適う商品を、その後のグローバル展開まで視野に入れながら企画していくことが大切になると考えています。



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日本発「無印良品」から世界の「MUJI」へ ~MUJIのグローバル展開に学ぶ~

鈴木 啓(株式会社 良品計画 取締役・執行役員/生活雑貨部長)8年半にわたる海外事業の第一線でのご経験を交えながら、良品計画のグローバル展開についてご紹介いただきます。


日本発「無印良品」から世界の「MUJI」へ
~ケロッグ経営大学院 モーニングセッションより
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