記事・レポート

Hack the Body~障がいを「可能性」に変える

遠藤謙がつくる、人間を進化させる義足

更新日 : 2015年04月15日 (水)

第6章 義足の選手が健常者の記録を破る日


 
オスカー・ピストリウスの衝撃

遠藤謙: 皆さんも、パラリンピック陸上競技の中継で、「競技用義足」を見たことがあると思います。あのカーボンファイバー製の板バネは、ひたすら速く走るためだけにつくられており、開発には最新の科学技術が役立てられています。

従来、パラリンピックは「障がい者のリハビリテーションの延長線上にあるもの」と捉えられてきました。しかし、少なくとも義足の世界では、南アフリカ共和国のオスカー・ピストリウス選手の登場により、その捉え方が大きく変化し始めています。

ピストリウス選手は先天性の病気により、赤ん坊の頃に両足膝下を失いました。けれども、学生時代にカーボン製の義足を手に入れた彼は、並々ならぬ努力を重ね、ラグビー、テニス、レスリングなどに挑戦した後、2004年アテネパラリンピックで各種の陸上短距離種目に出場し、次々と従来記録を塗り替えていきました。

2007年、義足の選手として初めて健常者の国際大会に出場し、好成績を残した彼は「翌年の北京オリンピックに出場する」と宣言し、世界の人々を驚かせました。しかし、国際陸上競技連盟(IAAF)は「カーボン製の義足は、人間の足よりも有利である」とするドイツ人研究者の調査結果を根拠に、出場を認めませんでした。

そこで彼は、僕がいたMITやコロラド大学の研究室を訪れ、義足の優位性について徹底的に調べました。やがて、「義足は有利にならない」というデータを得た彼は、スポーツ仲裁裁判所(CAS)への提訴に踏み切りました。数カ月もの長い審理が行われた結果、CASはIAAFの主張を覆し、ピストリウス選手のオリンピック出場を認めたのです。

残念ながら、この時はオリンピックの参加標準タイムに届かず、出場は果たせませんでしたが、次のロンドンオリンピックでは見事出場権を勝ち取り、彼は史上初めて、義足をつけた選手としてオリンピックの舞台に立ち、400m走と4×400mリレーに出場しています。

レーム・マルクスの跳躍

遠藤謙: 現在、オリンピックとパラリンピックの100m走優勝タイムには、まだ1秒強の差があります。一方で、長い歴史の中で縮まらなかった大きな差が、わずか数年のうちに急激に詰まっている、という事実もあります。ピストリウス選手の活躍が、大いに影響しているのです。

従来、健常者の人々には「障がい者は、どう頑張っても健常者のレベルに到達できない」という思いがあり、同じく障がい者の側にも「どうせ無理だ」といった思いがあったはずです。ピストリウス選手の活躍は、健常者の意識だけでなく、障がい者の意識も大きく変えました。その変化は、競技用義足開発のスピードアップを喚起し、ブラジルのアラン・オリベイラ選手のように、さらに進化した義足をつけ、ピストリウス選手を上回る活躍を見せる選手達も現れ始めています。

今後、技術の進化により競技用義足の改良が進み、同時に、パラリンピック選手のスキルが向上していけば、健常者の世界記録を上回る日が必ずやってくると思います。そうなれば、足がないという身体的特徴は、誰も体験しえなかった速さに到達できる、無限の可能性を秘めた「余白」であると、世界中の人々が認識するはずです。

そうした未来は意外と早く訪れるかもしれません。ドイツにレーム・マルクスという、右足に義足をつけた走り幅跳びのパラリンピック選手がいます。彼の自己最高記録はなんと8m24cm。ちなみに、健常者における日本記録は8m25cm、世界記録はマイク・パウエル選手の8m95cmです。

走り幅跳びでは、助走のスピードが重要になります。かつて、世界記録保持者だった米国のカール・ルイス選手は、100mを9秒86で走りました。一方、マルクス選手は平均11秒台。このタイムだと、健常者の場合、走り幅跳びの記録は7m程度です。ならば、技術の進化により、マルクス選手が9秒台で走れるようになったとしたら、走り幅跳びではどれほどの大記録が生まれるのか? 僕のワクワクは尽きません。


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