記事・レポート
「半端な気持ちで来るな、本気で来い!」藤巻幸大×奥山清行
日本元気塾 第3期開講プレ対談 第2弾
日本元気塾
更新日 : 2012年02月14日
(火)
第2章 行動から生まれた縁をつないで、日本をプロデュースしたい
藤巻幸大: 僕は1982年に伊勢丹に入ったんだけど、きっかけは多分『太陽』です。
奥山清行: 『太陽』って、雑誌の?
藤巻幸大: そう。あれを小中高と与えられて、読んでいたんです。母親の家系が芸術系で、親戚に文化人みたいな人が多かったので、勉強するよりも陶芸を見たりして。そういう環境で「美意識」を植えつけられたわけです。
奥山清行: 素晴らしいね。
藤巻幸大: でも大学で就職活動していたときは、何にもなりたいものがなくて、「このまま浪人かな」なんて思っていました。それがたまたま飲み会の待ち合わせで、生まれて初めて伊勢丹に行って、照明とかディスプレイとか、劇場みたいな環境に一目ぼれして「ああ、ここだ!」って。
でも、配属されたのは婦人服売場。最初は「男が女のスカートを扱うなんて……」と思ったけれど、3年ぐらいやっているうちに「この生地は誰がつくっているんだろう?」「服の構造ってどうなっているんだろう?」ということに興味がわいてきました。それでアパレルとか原材料のほうに人脈をつくって遊び仲間を増やしていたら、「お前、おもしろそうだからバーニーズに行け」と言われて、29歳でバーニーズ・ニューヨークに行ったんです。
奥山清行: それが今の藤巻さんの活動に、どうつながっているんですか?
藤巻幸大: バーニーズの買い付けで世界を回っているとき、アメリカの百貨店に行けば1階にアメリカの物が置いてある、フランスの百貨店にはフランス製の物が、イギリスの百貨店にはイギリス製の物があったんです。でも日本の百貨店だけは、海外のブランドを入れていました。自国の文化を大事にしない日本はおかしいと思ったんです。それで伊勢丹に戻ったとき「日本のデザイナーをプロモーションする床をつくろう」と思って、1階に「解放区」をつくりました。
それからは日本のクリエイターや産地に関心が向くようになって、「世界中の産地と日本のデザイナーをつなぐ売り場をつくろう」と、伊勢丹の改革者になりました。そうこうしているうちに39歳で雑誌にカリスマバイヤーとして取り上げられて、このままいったら管理職になって、社長になれるかどうかはわからないけれど、そこそこいくだろうなって、キャリアの先が見えたので辞めたんです。
奥山清行: それ、俺がGMを辞めたときと同じですよ。
藤巻幸大: 僕は日本の場をつくりたいんです。場とプロデュースする力は多分あるから、プロデューサーになって日本の場をつくりたい。
奥山清行: 場をつくりたいというのは、国内に、それとも国外に? あるいは誰のために?
藤巻幸大: 舞台はどこでもいいと思ってます。日本人を覚醒させたいんです。日本人ってすごいと思うんですよ。四季をこんなに感じとれる民族はほかにないだろうし、裏路地の文化をわかる民族もきっとない。イタリア人独特のあの感性には負けるかもしれないけれど、平安時代の様子なんかを見ていると、日本人のほうが繊細な感性があると思う。
奥山清行: 僕の言うところの「個人力」というのが、多分世界の中でも飛び抜けてあるのが日本人。イタリア人より、はるかにある。
藤巻幸大: 決断力は弱いかもしれないけれど、「個人力」があるというのは同感です。僕も4年前から完全に個人で立ってみようと思って、自分の会社を立ち上げました。そうしていろいろな会社の顧問をやって衣食住の全てに関わるようになったら、地域の産業振興の人たちと出会うようになって、宮城県や茨城県の知事さんをはじめ、全国から依頼が来るようになったんです。全部、巡り合わせの縁です。
この縁をつないで、場を仕組みたいんです。地方に奥山さんのようなトップレベルの人が入ったら、絶対に化学反応が起きると思うんです。しかも、ものをつくるだけじゃなくて、売る場もプロデュースする。場としては伊勢丹のような百貨店はもちろん、インターネット業界のトップともつき合いがあるから、ネットで売ることもできます。
奥山清行: うちの営業の名刺、持ってもらおうかな(笑)。
藤巻幸大: それ、やりたい!「俺が日本のPR担当だ。俺に任せれば、全部PRしてやるぞ」というところまでいきたいんです。
奥山清行: 藤巻さんの場合、立場は違っても、それを今までずっと継続してやってきているよね。
藤巻幸大: バイヤーからプロデューサーに立場は変わったけれど、20年前にアメリカに行ったときから、やっていることは変わらないですね。範疇がだんだん広がって、いろいろ産地を回っているうちに、結局大事なのは「暮らしぶり」なんだってことがわかりました。暮らしの中の服だけをやってもしょうがない。暮らしぶりならタオルも要る、つくるならいいタオルをつくりたいし、机だっていいものをつくりたい。
奥山清行: 同じだ! 僕は立場は逆だけど、ものをつくっていると、それを売らなきゃいけないじゃないですか。
藤巻幸大: そうか! 僕は売っているうちに、いいものをつくりたいと。
奥山清行: そうなるでしょう? 俺の場合は、いくらいいものをつくっても、ろくな売り方をしてくれなかったから、自分で売るようになったんです。すると産業全体を見なきゃいけないから、地場産業でも大企業でも、コンサルタントとかプロデューサーのような立場になった。すると今度は人も育てなきゃいけないことに気がついた。
藤巻幸大: 20~30代を育てないとダメですよね。だから僕もこの日本元気塾とか、明治大学の特任教授とか、いろいろやっているんです。
奥山清行: 仕組みとしてつくっても、人が育たないと続かないからね。
奥山清行: 『太陽』って、雑誌の?
藤巻幸大: そう。あれを小中高と与えられて、読んでいたんです。母親の家系が芸術系で、親戚に文化人みたいな人が多かったので、勉強するよりも陶芸を見たりして。そういう環境で「美意識」を植えつけられたわけです。
奥山清行: 素晴らしいね。
藤巻幸大: でも大学で就職活動していたときは、何にもなりたいものがなくて、「このまま浪人かな」なんて思っていました。それがたまたま飲み会の待ち合わせで、生まれて初めて伊勢丹に行って、照明とかディスプレイとか、劇場みたいな環境に一目ぼれして「ああ、ここだ!」って。
でも、配属されたのは婦人服売場。最初は「男が女のスカートを扱うなんて……」と思ったけれど、3年ぐらいやっているうちに「この生地は誰がつくっているんだろう?」「服の構造ってどうなっているんだろう?」ということに興味がわいてきました。それでアパレルとか原材料のほうに人脈をつくって遊び仲間を増やしていたら、「お前、おもしろそうだからバーニーズに行け」と言われて、29歳でバーニーズ・ニューヨークに行ったんです。
奥山清行: それが今の藤巻さんの活動に、どうつながっているんですか?
藤巻幸大: バーニーズの買い付けで世界を回っているとき、アメリカの百貨店に行けば1階にアメリカの物が置いてある、フランスの百貨店にはフランス製の物が、イギリスの百貨店にはイギリス製の物があったんです。でも日本の百貨店だけは、海外のブランドを入れていました。自国の文化を大事にしない日本はおかしいと思ったんです。それで伊勢丹に戻ったとき「日本のデザイナーをプロモーションする床をつくろう」と思って、1階に「解放区」をつくりました。
それからは日本のクリエイターや産地に関心が向くようになって、「世界中の産地と日本のデザイナーをつなぐ売り場をつくろう」と、伊勢丹の改革者になりました。そうこうしているうちに39歳で雑誌にカリスマバイヤーとして取り上げられて、このままいったら管理職になって、社長になれるかどうかはわからないけれど、そこそこいくだろうなって、キャリアの先が見えたので辞めたんです。
奥山清行: それ、俺がGMを辞めたときと同じですよ。
藤巻幸大: 僕は日本の場をつくりたいんです。場とプロデュースする力は多分あるから、プロデューサーになって日本の場をつくりたい。
奥山清行: 場をつくりたいというのは、国内に、それとも国外に? あるいは誰のために?
藤巻幸大: 舞台はどこでもいいと思ってます。日本人を覚醒させたいんです。日本人ってすごいと思うんですよ。四季をこんなに感じとれる民族はほかにないだろうし、裏路地の文化をわかる民族もきっとない。イタリア人独特のあの感性には負けるかもしれないけれど、平安時代の様子なんかを見ていると、日本人のほうが繊細な感性があると思う。
奥山清行: 僕の言うところの「個人力」というのが、多分世界の中でも飛び抜けてあるのが日本人。イタリア人より、はるかにある。
藤巻幸大: 決断力は弱いかもしれないけれど、「個人力」があるというのは同感です。僕も4年前から完全に個人で立ってみようと思って、自分の会社を立ち上げました。そうしていろいろな会社の顧問をやって衣食住の全てに関わるようになったら、地域の産業振興の人たちと出会うようになって、宮城県や茨城県の知事さんをはじめ、全国から依頼が来るようになったんです。全部、巡り合わせの縁です。
この縁をつないで、場を仕組みたいんです。地方に奥山さんのようなトップレベルの人が入ったら、絶対に化学反応が起きると思うんです。しかも、ものをつくるだけじゃなくて、売る場もプロデュースする。場としては伊勢丹のような百貨店はもちろん、インターネット業界のトップともつき合いがあるから、ネットで売ることもできます。
奥山清行: うちの営業の名刺、持ってもらおうかな(笑)。
藤巻幸大: それ、やりたい!「俺が日本のPR担当だ。俺に任せれば、全部PRしてやるぞ」というところまでいきたいんです。
奥山清行: 藤巻さんの場合、立場は違っても、それを今までずっと継続してやってきているよね。
藤巻幸大: バイヤーからプロデューサーに立場は変わったけれど、20年前にアメリカに行ったときから、やっていることは変わらないですね。範疇がだんだん広がって、いろいろ産地を回っているうちに、結局大事なのは「暮らしぶり」なんだってことがわかりました。暮らしの中の服だけをやってもしょうがない。暮らしぶりならタオルも要る、つくるならいいタオルをつくりたいし、机だっていいものをつくりたい。
奥山清行: 同じだ! 僕は立場は逆だけど、ものをつくっていると、それを売らなきゃいけないじゃないですか。
藤巻幸大: そうか! 僕は売っているうちに、いいものをつくりたいと。
奥山清行: そうなるでしょう? 俺の場合は、いくらいいものをつくっても、ろくな売り方をしてくれなかったから、自分で売るようになったんです。すると産業全体を見なきゃいけないから、地場産業でも大企業でも、コンサルタントとかプロデューサーのような立場になった。すると今度は人も育てなきゃいけないことに気がついた。
藤巻幸大: 20~30代を育てないとダメですよね。だから僕もこの日本元気塾とか、明治大学の特任教授とか、いろいろやっているんです。
奥山清行: 仕組みとしてつくっても、人が育たないと続かないからね。
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