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東日本大震災復興チャリティーセミナー

新しいニッポンを創るために!

アカデミーヒルズセミナー政治・経済・国際文化教養
更新日 : 2011年06月06日 (月)

第3章 3つの政策で脱原発・脱炭素社会のリーダーに

米倉誠一郎氏

米倉誠一郎: 確かにこういうときこそ原理原則は大事ですね。僕は復興税を払おうと思っていたんですけれど、考え直しました(笑)。今必要なのは「復興」ではなく「創造」だという点は、僕も竹中さんに同感です。復興は元に戻すことだからパッチワークですが、これはもう抜本的にやらなければならない。パラダイム・チェンジが必要だと思います。

今回の惨状を目にしたとき「これは初めてじゃないな」と思いました。1945年の東京と同じ光景です。あのときは上野から品川の海が見えたそうです。それが4、50年頑張れば、ビルが建ち並ぶ今のような姿になるわけです。広島や長崎もそうです。

日本はあのときパラダイム・チェンジしたんです。戦前は「日本には資源がない、島国で耕作面積も少ない、人口は過剰だ。だから南アジア、満州に出て行こう」という考えだったのを、「資源がない? だったら輸入すればいい」「島国? 良港に恵まれた最高の貿易立地じゃないか」「人口過剰? 優秀な労働力と巨大なマーケットが内需として存在するんだ」と、見事なパラダイム・チェンジをしたんです。これが実現できたのは西山弥太郎や井深大、本田宗一郎、松下幸之助、堤康次郎など、パラダイム・チェンジをすぐに体現した人たちがいたからだと思います。

終戦のとき52歳だった西山弥太郎は、鉄工所を鉄鉱石が採れる場所ではなく、千葉に造って原料立地をやめました。37歳だった井深大は、それまでは工業用としか考えられていなかったトランジスタから、みんながポケットに入れて聞くポータブルラジオを直感しました。そこに駆けつけた盛田昭夫は24歳です。56歳だった堤康次郎は東京大空襲のときに「ああ、日本は戦争に負ける。天皇制は廃止されるだろう。すると皇族たちが困っていい土地を売り出すに違いない。それを全部買い占めて“プリンス”ホテルをつくろう」と考えたんです。この構想力、すごいと思いません? 彼らはみんな、これから大衆の時代が来ると見通したんです。

これからどういう時代が来るのかは、もう明らかでしょう。日本はクリーン・エネルギーに基づいた脱原発・脱炭素社会のリーダーになるんです。そのためには3つのことが必要だと思います。1つ目は、たくさんの人を受け入れられるスマートシティ——竹中先生は先ほどエコタウンとおっしゃいましたが——を日本中につくっていくこと。2つ目は、道州制を導入すること。そして3つ目は、アファーマティブ・アクションとして、復興を担う企業の一割以上は5年以内に設立された新興企業や、“敢えて”海外企業にすることです。

なぜ“敢えて”海外企業を使うのかというと、日本のディベロッパーや建設会社が復興でエコタウンをつくったら、また同じことが起こるからです。海外企業を入れることで、「なんでそんな無駄なことをやっているんだ?」「どうしてこんな商慣習なんだ?」という気づきを得られるので、日本を根本的に変える余地が生まれます。それによって小さな企業にも新しいことが起こります。

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該当講座

アカデミーヒルズセミナー 東日本大震災復興チャリティー
竹中平蔵 (アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学名誉教授)
米倉誠一郎 (日本元気塾塾長/法政大学イノベーション・マネジメント研究科教授/ 一橋大学イノベーション研究センター名誉教授)

竹中平蔵(アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学)米倉誠一郎(日本元気塾塾長/一橋大学)
アカデミーヒルズセミナー東日本大震災復興チャリティー「新しいニッポンを創るために」では、この度の震災から日本が復興し、進むべき方向、そして新しい日本を創るためには、我々は何をしなければならないのか、について考えます。またセミナーの収益は被災地復興のために寄付する予定です。


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