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住職に学ぶ、集中力を高める方法

~六本木で煩悩リセットいたしませう~

更新日 : 2010年02月15日 (月)

第6章 この世に快楽は存在しない。あるのは刺激だけ

小池龍之介氏

小池龍之介: 仏教の本質の1つは「快楽というものは存在しない」ということです。頭で存在すると思い込んでいるだけで、それは存在しないのです。存在するのは「刺激」だけです。刺激が常にビリビリッと入力されて、それが増えたり減ったりしているだけなのです。

自分を苦しめた仕事が「ヨッシャー、終わった」となると、「ああ、苦痛が減って気持ちがいい」と認知します。そうすると、「次こそはちゃんと計画を立ててコツコツこなそう」と頭では思うのですが、腹の底ではまったく反対のことを考えています。「ギリギリまで手をつけなければ、あとで快楽が生じるからまたやろう」と。こうして前よりもさらに追い詰められないとできない性格が形成されます。

この状況において「コツコツやろう」と表面で思ってもまったく無意味です。刺激にしがみつく心が業になって、どんどん雪だるま式に業を増やしていって、地獄へまっしぐらに進んでいくからです。

脳が「快楽である」「苦痛である」「ニュートラルである」と感じているのは、すべて錯覚、幻想です。1種類の刺激しか頭には入力されていないというのが真理です。これは『一切皆苦』、つまり人が認知するすべてのことは苦しみしかないということです。苦しみという表現を現代的に言い換えれば、『一切皆刺激』といってもいいと思います。

あらゆる体験は、ただのビリビリッという刺激があるだけなのです。いっぱい送られてくる刺激を「こういう組み合わせだから、これは快楽である」「この組み合わせはつまらないから、興味がない」「こういう組み合わせなので苦痛」と仕分けているだけなのです。

仏道の瞑想では、心が「苦痛だ」「快楽だ」と勝手に幻想をつくり出していくのを少しずつセーブしていき、物事をありのままに見られるようにします。ありのままに見られるようになると、「ああ、刺激が入ってきているだけだな」とわかるようになります。すると、「ほめられようがけなされようが、どちらにしてもビリビリした刺激が入力されてくるだけで、本質的な差はない」ということがわかってきます。

そうすると、ちょっとしたことでいちいち心に波風を立てて、舞い上がったり、落ち込んだりしなくなります。「きょうは上手くいった」とはしゃいだり、「きょうはダメだった」とがっくり落ち込むような浮き沈みから解放されて、そのときになすべきことに心を集中できるようになるのです。(終)

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