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今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える

~『白洲次郎 占領を背負った男』著者北康利、竹中平蔵が白洲次郎を語る~

更新日 : 2009年11月26日 (木)

第7章 「プリンシプルのない日本」と言われないために

竹中平蔵氏

竹中平蔵: 私たち一人ひとりが、確立した“プリンシプル”を持ち、力強く行動していくためにどうしたらいいか。北さんからいくつかのヒントがありました。「危機管理能力」「人脈」、そして「イーグル・アイ」です。

ロナルド・A・ハイフェッツというアメリカのリーダーシップ論の権威は「バルコニーに駆け上がれ」という言葉をよく使います。何か問題が起きたらバルコニーに駆け上がって見てみろ。そうしたら全く違う新しいものが見えてくる。まさに「イーグル・アイ」ですが、どのような訓練をすれば身につけられるとお考えですか。

北康利: ひとつには、いろいろな局面を経験することだと思います。しかし、一人の人生では大きな危機を解決する経験を何回もできません。私が伝記を書くのは、「この人はどうやって生きたのか」を何回も反芻して、いろいろなケースについて考えることが重要だと思うからです。

人生は予行演習のない航海であり、辺りは真っ暗闇です。しかし昔の人はそこに灯台を立ててくれています。確かに環境も状況も違うかもしれませんが、歴史は繰り返す。先人が同じようなことを予行演習してくれているので、その材料を集めるというのは大事なことだと思います。

竹中平蔵:  次に「危機管理」ですが、これは危機を起こさせないためのアーリー・ウォーニングであるというご指摘でした。一種の洞察力であり、シミュレーションですが、どうしてそれが日本ではなかなかできないのでしょうか。白洲には『プリンシプルのない日本』という著作がありますが、どうして日本人は“プリンシプル”を持てないのでしょう。

ある社会学者の分析ですが、「『人間』は人の間と書く。この言葉があるのは日本と韓国だけで、ほかの国では『人』、ヒューマン・ビーイングだけだ」と言います。「間違う」「間が悪い」「間が抜ける」など、日本には「間」がつく言葉がすごく多い。ものすごく間柄を重視しているのです。

だからこそ、とげとげしくない心地よい社会ができ、そこが日本のよさでもあるのだけれど、ちょっと単純化して言えば、間柄にこだわるがゆえに“プリンシプル”を貫けないという面があると思うのです。私たちはそれをどう克服していったらいいのでしょうか。

北康利: 日本人のすごさは「間」の力を持っていることです。どうして日本に、世界で一番短い詩、俳句が生まれたのか。それはバックグラウンドに、「皆まで言わなくてもわかるでしょ?」という意識があるからで、五七五でも十分伝わるわけです。

人間力は、人と人がぶつからないと生まれません。傷つき、嫌な思いをすることから逃げて、ニートになったのではそれを磨けない。だから、より一層一人になってしまう。この負のスパイラルが日本人に起きているのではないでしょうか。だから傷つくのを恐れず、人と会って話をする時間を増やそうじゃないかと思うのです。

福沢諭吉は最初に演説が必要だと言い、交詢社という場をつくりました。アカデミーヒルズも、みんなが集まって、いろいろな人の話を聞いて意見交換をしていく場です。そこの中から、自分がアウフヘーベン(止揚)していくものが生まれるのだと思います。

関連書籍

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北 康利
講談社

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今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える
北康利 (作家)
竹中平蔵 (アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学名誉教授)

戦後の激動の時代に、日本に誇りを持ち、日本のために自分の役割を誠実に全うした白洲次郎の「生き方」から、我々は多いに学ぶことができるのではないでしょうか。
今回は北康利氏と竹中平蔵アカデミーヒルズ理事長が「今の日本人に求められる“プリンシプル”とは何か」を、白洲次郎の生き方から議論します。


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