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今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える

~『白洲次郎 占領を背負った男』著者北康利、竹中平蔵が白洲次郎を語る~

更新日 : 2009年10月02日 (金)

第2章 白洲次郎に備わっていたプリンシプルと危機管理能力

北康利氏

北康利: 今日のテーマは、“プリンシプル”についてです。白洲自身は“プリンシプル”を「筋」、または「武士の一分」と表現していますが、私は「生きる上での美学」だと思っています。これは、「自分はこういう生き方をしたい。そうすれば納得できる人生になる」ということを心の中に持つということです。

かつて三島由紀夫は『英霊の声』の中で、「などてすめろぎは人間となりたまいし」と書き、天皇陛下が人間宣言をしたことで、戦前あった天皇制という1本筋の通った美学がなくなった、これでは日本の美しい社会は崩れてしまうと嘆きました。つまり、三島は国全体に美学が必要だと考えていたわけです。

ところが私は白洲の人生を学んでから、三島由紀夫は間違っていると思ったのです。一人ひとりが“プリンシプル”を持った生き方をする。そういう人間が増えれば、社会全体も美学や品格が持てるはずであり、「政治家が悪い」「市町村が悪い」「先生が悪い」ではなく、「まず自分がしっかりする、これがスタートライン」だと気づいたのです。

日本にはこれまで3回危機がありました。ひとつは元寇、もうひとつは植民地化されるかも知れなかった明治維新、もうひとつは戦争に負け、ついに占領された時です。

国が占領されることがいかに屈辱的で、誇りを持って生きるとことがいかに大事なことかということを伝えるため、この本のタイトルを『占領を背負った男』としました。100年に一度の津波にあたふたする日本人に、私は、「白洲次郎や吉田茂は、立国以来の危機に敢然と立ち向かったのだ」と言いたかったのです。

“プリンシプル”と似た言葉に“ディシプリン”がありますが、これは規律という意味です。“プリンシプル”は誰かが決めたものではなく、一人ひとり違っていてもいいのです。それを持っている人間がいかに強いことか。国がひっくり返っても、自分自身にしっかりした美学があれば揺るがない、ぶれないのです。

少子化が進む中、一人ひとりがしっかりしないと今の繁栄を続けていくことはできません。「ニートです」「パラサイトです」という人ばかりでは、この社会はやってはいけない。その意味でも“プリンシプル”を、もう1回見直してみようということです。

白洲次郎にもうひとつ備わっていたもの、それは危機管理能力です。昔から経営者はリーダーシップ論を学んでいました。しかし近年、経営者は「重要なのはリーダー論より危機管理能力である」ということに気づきはじめました。

危機管理能力というのは、危機が起きたときにそれをマネジメントすることではありません。起こるであろう危機を予知して、それを抑えていくのが最高の危機管理者です。それをすれば、周りから見るとその人は「ぶれていない人」になるのです。

白洲は日米開戦に徹底して反対でした。ケンブリッジに学んだ彼からすると、日本は勝てないとわかっていたので、一所懸命抵抗しましたが、開戦してしまいました。緒戦で日本は勝ちに勝ちました。提灯行列で「勝った、勝った」と国民がはしゃいでいる中、彼は、町田市の鶴川に農家と畑を買いました。

提灯行列のさなか、白洲には日本が焦土となり、その後に食糧危機が来ることがわかっていたのです。吉田茂が白洲を右腕にした理由はいろいろありましたが、「先を読む勘を持っている」ことも大きかったと思います。 “プリンシプル”を持つこと、危機管理能力を持つこと、この2つを若い人たちにもぜひ持ってもらいたいと思います。

関連書籍

白洲次郎 占領を背負った男

北 康利
講談社

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北康利氏が、過去にアカデミーヒルズに登壇した際のイベント・レポート

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~『白洲次郎 占領を背負った男』著者北康利、竹中平蔵が白洲次郎を語る~

今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える
北康利 (作家)
竹中平蔵 (アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学名誉教授)

戦後の激動の時代に、日本に誇りを持ち、日本のために自分の役割を誠実に全うした白洲次郎の「生き方」から、我々は多いに学ぶことができるのではないでしょうか。
今回は北康利氏と竹中平蔵アカデミーヒルズ理事長が「今の日本人に求められる“プリンシプル”とは何か」を、白洲次郎の生き方から議論します。


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