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今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える

~『白洲次郎 占領を背負った男』著者北康利、竹中平蔵が白洲次郎を語る~

更新日 : 2009年12月16日 (水)

第9章 白洲次郎の人格は、どのように形成されたのか

竹中平蔵氏

会場からの質問: お話を伺っているうちに、北先生の“プリンシプル”に興味を持ちました。北先生を通して我々は白洲次郎から学んでいるのですが、北先生は、どういうところで「俺がやらねば」という気持ちに至ったのでしょうか。

北康利: 私は1998年に親父をスキルス胃がんで亡くしました。ピンピンしていた親父が、たった3カ月の入院で死んでしまったのです。65歳でした。親父がリタイアして高いカメラを買って、リタイアライフをどうやって過ごそうかと青写真を立てている様子を見ていたので、親父が失った時間というのをものすごく切実に感じたのです。

自分はどうすれば、親父が失った分まで有効に生きられるのか。そこで考えたのは、両親の故郷、兵庫県三田市のことです。疲弊しているこの町の町おこしをやれば親父は喜ぶだろうと思ったのです。白洲次郎の墓はこの町の心月院にあるので、白洲を取り上げれば三田の町おこしにもなると考えたのが、そもそものスタートラインです。

命や時間の大切さに対する謙虚さがないと充実した人生を送れないと思っていますし、親父の死を見て、理屈ではなく「自分の死を見せることは、子孫に対する最大の貢献」だと思いました。親の死を見て初めてわかる、見えてくる世界がある。僕をバルコニーに上げてくれたのは親父だと思っています。

会場からの質問: 白洲次郎はもともとお金持ちで、放蕩息子だったという記録もあります。いつから白洲は“プリンシプル”をもったのでしょうか。家庭や周りの環境がどう彼を育んだのか、もしご存知でしたら教えていただければと思います。

北康利: 白洲という人格がどうして生まれたのか、なかなか難しいのですが、白洲の父には海外渡航歴があったので、普通の家庭と違った環境だったのだろうと思います。つまり、父を通して海外の情報も得られたことで、「イーグル・アイ」を早いうちから身につけられたことが絶対的な基礎となったのではないでしょうか。

白洲の兄の尚蔵はオックスフォードに留学し、貧富の差というものを知り、ものすごく煩悶して精神的に参ってしまうのですが、これも同じ理由だと思います。少し引いて世界を見て、「こんなに貧富の差がある。どう解決したらいいのだろう」という発想が生まれた。それも白洲家に「イーグル・アイ」があったからだと思うのです。

もうひとつは、福沢諭吉です。福沢家は豊前国中津藩の下級藩士でしたが、諭吉は長崎で蘭学を学びました。出世できるかどうかわからないが異質なものに触れることで自分を高めよう、客観的に物事を見ようと努力した。その福沢イズムが、祖父を通して白洲家には伝わっていた。この2つが白洲という人格を生んだのだと思います。

竹中平蔵: 今日は北さんから大変示唆に富んだ話をいただきまして、私たちはたくさんの元気ももらいました。今回、私たちに与えられた宿題は、「いつか誰かが、北康利論を書け」ということだと思います(笑)。本日はどうもありがとうございました。(終)

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今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える
北康利 (作家)
竹中平蔵 (アカデミーヒルズ理事長/東洋大学教授/慶應義塾大学名誉教授)

戦後の激動の時代に、日本に誇りを持ち、日本のために自分の役割を誠実に全うした白洲次郎の「生き方」から、我々は多いに学ぶことができるのではないでしょうか。
今回は北康利氏と竹中平蔵アカデミーヒルズ理事長が「今の日本人に求められる“プリンシプル”とは何か」を、白洲次郎の生き方から議論します。


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