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カフェブレイク・ブックトーク「旅先で気になる建物たち」

更新日 : 2009年05月12日 (火)

第5章 国内の旅でも気になる建物が見つける機会が多い


外国を旅するより私たちは国内の旅行が多いわけですが、やはり国内の旅でもしばしば同じ感傷に陥ることがあります。

この夏(2008年)、孫たちを連れて北海道旅行をしました。母の生まれ故郷が函館で、親類縁者が多いことからこれまでに何度も旅をしましたが、いつも私の脳裡にある建物は金森(かなもり)倉庫(1887年建造)です。

今度も今は無き母とその生家の跡を孫たちに示しておこうと考えて、その地を訪れました。母の生家は函館の魚市場の場内にありました。そしてすぐ隣が今は煉瓦倉庫と呼ばれている旧金森倉庫でした。私が子どもだった頃のそれは中を覗くことができず、私にとって気になる建物でした。しかし連れて行った10才と7才の孫たちにはお土産売り場センター化した倉庫街には何の感傷も興さなかったに違いありません。

むしろ私の原体験は、「何様のおわしますかは知らねども、もったいなさに涙こぼるる」*と言うアフォリズム化された慣用句に似ています。そして具体的にその感傷は『倉庫—ラストワルツを踊る、港のWARE HOUSE』(安川千秋写真、08年ワールドフォトプレス刊)によく現れています。

*この和歌の「何様」とは、山道の道端にある道祖神か野仏のことですが、どんな神様や仏様でも有り難いと言って頭を下げるのです。人間は「山の幸・海の幸」を頂いて生きていくことができます。人間は自然の支配者ではなく、その中の一部の存在であり、一人ひとりはその恵みを頂いて生まれ、そして死んでいく、という素朴な感情をよく表しています。

●例えば香林堂(燕市)……

あるいは『歴史遺産日本の洋館〈全6巻〉』(藤森照信著、増田彰久写真、03年講談社刊)の中の、例えば第1巻『洋館、明治編』を開いたときに感じるものがあります。

この本の香林堂(こうりんどう)の建物(1883年頃の建造。新潟県燕市在)、無鄰庵(むりんあん。旧山県有朋別邸。1898年建造。京都市在)、旧右近権左衛門邸(1901年建造。福井県南条郡在)、旧林国蔵邸(1907年の建造。長野県岡谷氏在)などを旅の道すがら見たならば、そして案内板がなかったならば、それらの建物に魅せられ、気掛かりになるに違いありません。そしてまた、気掛かりになると同時に、ある種の懐かしさを感じることでしょう。