記事・レポート

危機を克服して進化する吉野家流経営

~「吉野家ウェイ」に見る現場を活かす価値追求マネジメント~

BIZセミナー経営戦略
更新日 : 2008年04月14日 (月)

第2章 「客数主義・来店頻度主義」は、築地で生まれた事業化戦略だった

米倉誠一郎_安部修仁

安部修仁: とことん突き詰めて探求するという吉野家独自の習慣は、実質的な創業者の松田瑞穂が生み出したものです。これは現在、外食産業において価値を生み出していくうえで、吉野家の重要なメンタリティになっています。この習慣の背景には、単品経営をずっと行ってきたということがあります。日々の改善の連続性のうえに価値がつくられるということです。

外食産業の常識に、「商品はお客さまに飽きられる」、だから「ラインナップを増やす、変える」というものがあります。しかし吉野家では「商品を飽きさせないものにする」「いかにして飽きさせないか」を追求しています。これは、外食産業においては「吉野家の非常識」と言われるかもしれないものですが社内では「吉野家の超常識」と言っております。

この「吉野家の超常識」が生まれた歴史的背景をお話しします。吉野家は1899年、築地の前身、日本橋の魚市場に個人商店として誕生しました。1926年に魚市場が築地に移転したときは、店も引越しました。10坪もなく、15席ぐらいの小さな店で、営業時間は朝の5時から昼頃まで。テイクアウトもありませんでした。つまり、吉野家は築地というクローズドなマーケットで生まれ育ったのです。

この店を父から継いだ松田瑞穂が実質的な創業者になるのですが、法曹界を目指すことを断念して家業を継いだ松田は、店を事業化することをモチベーションにしました。事業化へのメルクマールの1つ目に掲げたのは、年商1億円突破というものでした。これを実現するには、おそらく1日500人未満だった客数を1,000人に増やさなければならなかったはずです。通常なら単価を上げるところです。

このとき生まれたのが、吉野家の「客数主義・来店頻度主義」です。築地は外部からお客さまが来るところではないので、店に食べに来る人というのは限られています。新規客を得るチャンスが乏しい中で売上を上げるには、いつも来てくれるお客さまの来店頻度を高める以外に方法はありませんでした。