記事・レポート

都市は思考する
~スポーツがひらく都市の可能性~

更新日 : 2018年05月14日 (月)

後編 為末大×藤村龍至 スポーツがひらく都市の可能性

藤村龍至(建築家)


学校か、地域か

藤村: 社会における多様性、共生、共助に対してもスポーツが貢献し得るとして、それは都市にある普通の公園や学校でも起こりえるでしょうか。

為末: そう思います。というのは、まずこの50年ほどのスポーツの流れを見ると、少人数化、省スペース化、短時間化の傾向にあるからです。たとえばサッカーからフットサルが生まれ、バスケットには3人制が生まれるというふうに。また、私は高校生に「新しいスポーツを開発しよう」という課題を出したことがあります。すると彼らは、勝負が拮抗して盛り上がりやすいルールや、能力の差をどう考慮するかなどを考えるのですね。そのプロセスが、民主主義社会でルールを決めていく様子にも見えた。拡大解釈ですが、ああいうことは、都市のなかでもっとあっても良いのかなとは思います。

藤村: いま都市で体を動かせる空間は、広がっているようにも、一方では狭まっているようにも感じます。球技禁止という公園も多く、学校の空間も簡単には貸してもらえない。為末さんのいう「馴染ませる」効果を産む以前に、そもそも場所がないなと思うこともありします。その辺りはいかがですか。

為末: たしかオランダで聞いて良いなと思ったのは、地域共有の敷地があり、9—15時は学校が借りて、その次は別の人たちが入っていくシステムです。時間借りができる場として学校をとらえると、けっこう広大で豊かな敷地が都市部にあるという話になり得ますよね。

藤村: ドイツにはゴールデン・プラン(1959年から当時の西ドイツで進められた、スポーツ環境の整備計画)があったので、都市計画と結びつくかたちでスポーツ空間が確保されています。コミュニティの緑地で子どもたちがスポーツを行える。また、ドイツのサッカースタジムはその多くが、中心駅から電車で20分ほどの郊外にあり、関連施設も揃えています。

日本でもJリーグなどはドイツのシステムを輸入し、クラブチームを地域ごとに作っています。ただ、サッカーを本格的にやる子どもはその下部組織で活動するのか、高校の部活ベースで全国選手権を目指すのかという選択もあるのかと思います。このあたりが曖昧なのは改革した方が良いのか、日本式としていまの形で良いのか、どう思いますか。

為末: 学校の部活システムの最大の利点は、すべての人にスポーツが開かれたことだと思います。ただ問題は、それが先生の犠牲の上に成り立っていること。自分の経験から言えば、当時の部活の指導者であった先生は、「こいつはオリンピックに行ける」と休日も返上して力を注いでくれ、しかも無償でやっていました。そういうモデルはさすがに先生の負担が大きすぎる、という認識なのが現状かと思います。

私は、部活を残しても良いけれど、放課後に校庭を使う地域クラブなどもありにして、指導者は地域のおっちゃんでもいいし、できる人がやるというコンバイン型がよいかなと思います。ラグビーのような大人数の競技は、少子化でチーム編成が難しくなってきた高校もある。それも数校から生徒が集う地域クラブならできるのでは。選手権の現ルールが学校単位での出場を定めているので簡単ではありませんが、いまは過渡期という気がします。

藤村: 従来のかたちで部活動を維持しようとするなら、学校の規模の適正化という議論になるのですが、私がスタディした埼玉の鶴ヶ島市などでは、5つの中学校を2つに集約しないと部活動が成立しないようなことになる。そういう場所では思い切って従来型の維持という考えをやめ、地域型にする選択肢もあるでしょう。これは今後、考えていかねばならない部分かもしれません。

為末: そうですね。もし僕が見たい風景があるとすれば、中学校の校庭で、60歳以上の人も一緒にスポーツしているところかなという気はします。

為末大(元プロ陸上選手)


超高齢化社会と向き合う

藤村: これからくる超高齢社会を考えたとき、先ほどの「助ける/助けられる」の関係はどうイメージしたらよいでしょう。

為末: 「年齢相応」の捉え方が鍵ではないでしょうか。スポーツでは30歳より強い10代も当然のようにいます。他方、かつては引退時期が陸上なら25歳くらいでしたが、誰かがそれを超えて実績を出すと、全体の引退年齢も延びていく。同様に、65歳で定年と言われても、社会に関わり続けたい人もいるでしょうし、実は90近くまで働きたい人もいるかもしれない。そこは、制度上の思い込みを取っ払えたらと思うのですね。

もうひとつは、いずれにしても皆が(高齢化社会に)慣れてくると思うのです。たとえば、同じ事を何度も繰り返すご老人たちに頻繁に会うようになれば、そのなかで折り合いながらやっていくのが、ひとつのイメージかなと思います。

藤村: 先ほど、障害者を支える3つのレイヤーの話がありましたが、これも超高齢化社会に通じるかもしれませんね。

為末: 自動運転が発達すれば、何時から何時まではここはクルマが入りませんというのも設計できると思う。そうすると、子どもやおじいちゃんはそうした危なくない道を歩ける、ということも可能かなと。うちのおばあちゃんは少しボケちゃっているけど、この辺りなら歩いても大丈夫という、おおらかな空間が作れないかなとも思うのです。

藤村: 最近は商業施設でも、子どもが自由に走り回っても良いよう、ぐるっと囲んだ形にするものなどは多いですね。日本は基本的に福祉も医療も、多くのことが施設型で進んできたところがありますが、いまのお話は、それを街や地域でも展開するという新たな動きにも重なる考え方かと思いました。

質疑応答


セミナー後半は、来場者との質疑応答。「都市のコミュニティにはどんな役割が期待されるのか?」「公園をより豊かな場として機能させるアイデアは?」「今後、単独都市開催にとらわれない五輪の可能性は?」など多彩な質問がなされ、おふたりが建築、スポーツそれぞれの視点からこれに応えました。

議論のなかで為末さんは、オリンピック・パラリンピックが東京をどう変えるかということだけでなく「逆に東京が今回の大会で五輪をどう変え得るか」の挑戦にも価値があるとも提言。藤村さんは改めてこの日の議論から、都市のなかで環境と人間が関わり合うこと、またオリンピック・パラリンピックを都市のテストととらえる考え方の重要性に言及。そこに「人間がどのように成長・成熟し得るのか、また都市はそれをどう受け止めるのかなど、重要なことが多く含まれている」と、締めくくりました。



該当講座


都市は思考する
~スポーツがしみだす都市の可能性~
都市は思考する ~スポーツがしみだす都市の可能性~

都市は思考する〜スポーツがしみだす都市の可能性~〜
為末大(元プロ陸上選手) × 藤村龍至(建築家)
まちにスポーツが溢れ出ることで、“観る”と“プレー”の境目を消していくことを提言される為末大さん。多様な人達に使われる都市デザインのあり方とはなんなのか。都市の可能性に迫ります!


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~スポーツがひらく都市の可能性~
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