六本木アートカレッジ・セミナー
シリーズ「これからのライフスタイルを考える」第4回
情報過多社会での暮らし方
「空海」から読み解くマインドフルネス:飛鷹全法×石川善樹
前編 空海はなぜ、「瞑想の場」を求めたのか?
ここ数年、世界のビジネスシーンでは、心身を整える手法として「マインドフルネス」が注目を集めています。情報過多の時代を生きる私たちと、瞑想をベースとしたこのメソッドは、はたしてどのような関係があるのでしょうか? 『疲れない脳をつくる生活習慣』の著者であり、予防医学研究者の石川善樹氏と、ITベンチャーから起業を経て僧侶となった高野山別格本山三宝院副住職・飛鷹全法氏が、稀代のイノベーター・弘法大師空海をフックにその関係を探っていきます。
スピーカー:飛鷹全法(高野山高祖院住職)
モデレーター:石川善樹(予防医学研究者 (株)Campus for H共同創業者)
気づきポイント
●超人的な仕事を成した空海が40代半ばにして求めたものが、「瞑想」の場としての高野山。
●ハーバードでは、当たり前を徹底的に疑い、理屈を捨てる「修行」をする。
●“足し算”だけではいつか飽和する。時には “内に籠もる”ことや“引き算”も必要。
知の巨人たちが認めた異才
飛鷹全法: 高野山から参りました飛鷹全法と申します。2015年、高野山は開創1,200年を迎えましたが、ここを真言密教の修行の場、瞑想の場として開いたのが空海です。一般的には弘法大師、お大師さん、空海さんと親しみを込めて呼ばれていますが、様々な文献を読むと「空海はとにかく超人的にすごい人だった」などと書かれています。では、どうすごかったのか? 近代において空海さんを最も高く評価した一人である、日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹さんの言葉を借りてみたいと思います。
「長い日本の歴史の中で、空海は最も万能的な天才であった。世界的なスケールで見ても、アリストテレスとか、レオナルド・ダ・ヴィンチとかいうような人よりも、むしろ幅が広い。宗教、文芸、美術、学問、技術、社会事業の各方面にわたる活動を通観すると、超人的というほかない」
もう一人は、司馬遼太郎さんです。
「日本人の歴史の中でいろんな人物がいて、空海という稀な普遍的存在をほかの人物と比較してみると、日本の西郷さん、人類の西郷じゃない。本居宣長も、日本の本居宣長であり、聖徳太子も日本の聖徳太子である。けれども、空海だけは人類に通用する。自分は人類の普遍的なものを知っている。宇宙の普遍的なものを知っている。そんな人物は空海しかいなかった」
なかなかこれだけの評価を得る人物はいないのではないかと思いますが、実際、空海さんがどのような人だったのか、その履歴を追ってみたいと思います。
若きイノベーターとしての空海
飛鷹全法: 空海さんは奈良時代後期の774年に生まれ、平安時代初期の835年に没します。実人生は62年。幼名は真魚(まお)、空海は僧侶となってからの名前であり、弘法大師とは生前に功績のあった人物に対して天皇が下賜される諡(おくりな)です。書の名人としても、嵯峨天皇や橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで「三筆」と称されています。
幼い頃から様々な知識を学んだ空海さんは、18歳頃、当時の学問の中心「大学寮」に入りますが、そこでは自分の求める真理がわからないと早々に察知し、山岳修行を始めます。そして、その才能を開花させるきっかけとなったのが、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)という修行法です。24歳頃に書かれた『聾瞽指帰(ろうこしいき)』(後に『三教指帰(さんごうしいき)』に改題)には、その時の様子が記されています。
「ここに一人の沙門あり、余に虚空蔵求聞持法を呈す。その経に説かく、法によって真言一百萬遍を誦すれば、すなわち一切の教法の文義暗記することを得と。ここに大聖の誠言を信じて、飛焔を鑚燧に望み、阿國大瀧獄に躋(のぼ)り攀(よ)ぢ、土州室戸崎に勤念す」
空海さんは一人の沙門(修行僧)に出会い、知恵を司る「虚空蔵菩薩」の真言を100万回唱えれば、あらゆる経典が読んだだけで頭に入るようになると教えられます。1日1万回唱えても100日かかりますが、空海さんはその言葉を信じ、今はお遍路の札所として知られる徳島県の太龍寺、高知県の室戸岬の辺りでひたすら真言を唱えました。やがて100万回に到達した時、あることが起こります。
「谷響きを惜しまず、明星来影す」
谷が地鳴りを響かせ、明星が自分の中に飛び込んできた、とその時の経験を語っています。ある種の神秘体験とも言えますが、極限まで集中し、同じことを繰り返すことによって、意識に何らかの変性状態がもたらされたとも言えるかもしれません。いずれにしても、若き日の空海さんにとって、この時の体験は密教の本質に触れ得た、自身の人生においても転機となるものでした。
その後、空海さんは奈良の久米寺を訪れ、密教の真理が記された『大日経』というお経に出逢います。そして、そこには求めていた答えが確かに書かれていることを直観しました。ですが同時に、本当に理解するためには、お経を読むだけではダメだ、ということもすぐに悟ったのだと思います。唐(中国)へ渡ることを決意したのは、密教の真の理解を求めてのことでした。ところが、それからの7年間、空海さんは歴史の表舞台からは姿を消してしまうのです。おそらく、山岳修行を行うかたわら、大陸の言語を学ぶなど唐へ渡る準備をしていたはずですが、それを示す文献は残っていません。
延暦23(804)年、31歳の時、遣唐使として海を渡った空海さんは、密教の伝承者である恵果というお坊さんに出会います。出会った瞬間、恵果は法を授けるべき人物だと即座に見抜いたそうです。空海さんはその教えをわずか半年ですべて授かり、正統の伝承者として「遍照金剛(へんじょうこんごう)」という灌頂名(かんじょうめい)を得ます。そして、その時を待っていたかのように、恵果は亡くなったそうです。
天才と言ってしまえばそれまでですが、見方を変えれば、30歳そこそこの若者が世界に飛び出し、後の日本文化に影響を与える大仕事を成し遂げたわけです。そう捉えれば、私たちの中に秘められた可能性を信じることも、できるのではないでしょうか。
遣唐使は本来、20年滞在しなければなりませんが、空海さんは2年で帰ってきました。当然、重い罪の対象となりますが、空海さんは持ち帰った密教の教えや、曼荼羅、経典などが国家の安寧のためにどれほど重要であるのかを知ってくれと、唐での活動報告書としての意味も込めた『御請来目録』というリストを朝廷に提出します。これによって重罪は免れたものの、帰京の許可はすぐには下りず、2年ほど大宰府に滞在することになります。
大同4(809)年、許しを得て京都に入ってからは、日本における密教の思想体系を構築するとともに、唐で得た最先端の知見をもとに、美術・工芸・教育・建築土木など様々な分野で成果を残し、朝廷から厚い信頼を得ていきます。
やがて43歳の時、空海さんは当時の天皇・嵯峨天皇に「高野山に修禅の道場を開きたい」という請願書を書きます。四方を山に囲まれ、人が立ち入らないような場所でしたが、当時から山岳修行の場として知られ、空海さんも若い頃に修行したことがあったのでしょう。
「上は国家の奉為(おんため)に、下は諸(もろもろ)の修行者の為に、荒藪を芟(か)り夷(たいら)げて、聊(いささ)か修禅の一院を建立せん」
空海さんが高野山を開こうと考えた最大の理由は、修禅、すなわち「瞑想」の場をつくることでした。本当に密教を広めるためには、都にある大きな伽藍だけでは不十分で、深山幽谷の瞑想の場が必要だ、というのが空海さんの考えだったのです。若い頃から数多くの学びを得て、帰国後は超人的な仕事を通じて認められた空海さんが、40代半ばにして心から望んだものが、瞑想の場としての高野山であったということ。情報化社会の現代において、「瞑想」や「マインドフルネス」が脚光を浴びていることと、何か通ずるものがあるのかもしれません。
瞑想とクリエイティビティ
飛鷹全法: 空海さんは835年、高野山奥之院で入定(にゅうじょう)されました。「お大師さまはいまも奥之院のもっとも奥に位置する御廟(ごびょう)で永遠の座禅に入り、高野山を守ってくださっている」というのが、高野山の信仰の根本であり、そのため毎日2回、御廟に「生身供(しょうじんく)」と呼ばれるお食事を運んでいます。
奥之院は、樹齢800年以上の杉の巨木が数百本も立ち並ぶ聖域であり、おそらくは空海さんも、瞑想された場所であったのではないでしょうか。空海さんは、瞑想を通じて大自然と一体となった境地を「後夜聞仏法僧鳥(ごやにぶっぽうそうちょうをきく)」という漢詩で表現されています。
閑林獨坐草堂暁(かんりんどくざす そうどうのあかつき)
三寶之聲聞一鳥(さんぼうのこえ いっちょうにきく)
一鳥有聲人有心(いっちょうこえあり ひとこころあり)
聲心雲水倶了了(せいしんうんすい ともにりょうりょう)
後夜とは、真夜中を過ぎた3時から5時頃。漆黒の闇に包まれた森の中、夜明け前の草堂で瞑想していると、暁とともに鳥がひと声鳴いた。それは三宝(仏・法・僧)の声であり、自分の心の声、雲や水など大自然ともひとつになり、あらゆるものが清く明了である。
情報化社会に生きる私たちは、気がつけばSNSのタイムラインを眺めてしまうように、情報のインプットが過剰に過ぎるのだと思います。空腹でもないのに口に食べ物を放り込んでいると、いつしか味覚神経が麻痺してしまうように、私たちの情報感度は逆に鈍くなっているかもしれません。
そのような時代だからこそ、あえて社会から身を退き、情報からも距離を置いてみること。いわば、「情報断食」のひとつとして瞑想に注目が集まっている、と言えるのではないでしょうか。情報を遮断するからこそ、逆に情報を取捨選択する感度が高まり、情報に振り回されなくなる。私のささやかな経験でも、外からの情報を断つことで、自分の中にある内なる情報に気づき、自分にとって本当に必要なことが何であるかが、はっきり認識できるようになります。
最近、「瞑想」や「マインドフルネス」が注目されるようになりましたが、仏教や東洋思想というコンテクストと併せて論じられることも多いようです。特に「マインドフルネス」はサイエンスとしての研究も盛んで、その実効性の検証も進んでいると聞いています。そうした時だからこそ、私たちの文化の中にある瞑想の経験の長い歴史を振り返ってみることは、大切なのではないかと思います。高野山という場が、そうしたヒントになれば嬉しい限りです。
該当講座
飛鷹全法(高野山高祖院住職 )× 石川善樹(予防医学研究科)
日々膨大な情報が流れ、全て自らの取捨選択に委ねられる中、情報の多さに疲弊している方も少なくないでしょう。ストレス軽減やパフォーマンス向上を期待できる手法として「マインドフルネス」が注目されています。仏教の瞑想が元となったこのメソッドは、現在社会に生きる私たちにどのような効果をもたらすのでしょうか?
六本木アートカレッジ・セミナー
シリーズ「これからのライフスタイルを考える」第4回
情報過多社会での暮らし方
インデックス
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前編 空海はなぜ、「瞑想の場」を求めたのか?
2017年02月14日 (火)
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中編 理屈を捨てろ、うかつに勉強するな
2017年02月14日 (火)
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後編 一歩前に進むために、あえて“引き算”する
2017年02月14日 (火)
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