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芥川賞作家、楊逸氏が語る

眉間にシワのよらない「異文化の中の常識」という話

ライブラリートーク
更新日 : 2011年03月11日 (金)

第3章 日本女性の話し方は、中国だと企みか誘惑と思われる

楊逸氏

楊逸: 私はなぜ日本語をしゃべれるようになったのか。最初に諦めたはずの日本語が面白くなったのですが、それには大きなポイントがありました。工場でいつもラジオがかかっていて、男性のアナウンサーも女性も、意味はわからないけれど、お互いすごく楽しそうにしゃべっていたのです。 

私は声が低いので、元気がないとか魅力がないとか思われがちで、特に電話で「もしもし」と言うと、相手に「えらいおばあさんだな」と思われてしまう、そんな声なんです。けれど日本人の女性は声が高いですね。

ラジオの女性も「~デスネェ」という明るくて、語尾を上げる話し方をしていて、すごく惹かれる声でした。それに日本語というのは非常にリズム感のある言葉で、軽やかで明るくて、楽器にたとえるならば木琴みたいな響きがします。とても耳にいい響きだと思ったのです。だから「~デスネェ」と言われるたびに、「うわあ、何話しているの? なんでそんなに楽しそうなの?」って、もう知りたくてしょうがなかったんです。

私がいた頃の中国は大半が文化大革命時代で、アナウンサーは声を張り上げて、すぐにでも戦おうという姿勢でしゃべっていました。女性であっても、そういう声を出さないとダメなんですよ。「~デスネェ」なんて声を出すと、周りの人から「こいつは何か企んでいるんじゃないのか?」とか、男性から「もしかして誘惑しようとしているの?」と思われてしまう。そういう考えしかできないわけですね。私は今でも、北朝鮮の中央テレビで女性が「偉大なるキムジョンイル将軍が~」などとたくましくしゃべるニュースを見ると、すごく親しみを感じるんです。我々は常にそういう中で暮らしていたからです。

私は日本に来てからずっと、明るい声になりたい、声をもうちょっと高くしたいと思っているのですが、革命的な精神が身についてしまっていて、なかなか変えられないですね。

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