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更新日 : 2010年06月18日 (金)

第2章 幸せで豊かな生活や人生を求めて

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●対決!

澁川雅俊: 勝間と香山のこうした女の闘いにマスコミや出版界が黙っているわけはありません。早速、『勝間さん、努力で幸せになれますか』(勝間和代・香山リカ著、朝日新聞出版)が出されました。

これは、両者による対談を本に仕立てたものですが、誰もがいま不安を抱え、幸福実感度が低い日本で、幸せを感じるにはどうすればいいのかをそれぞれの見解の下で議論しています。その議論を流し読みして、両者の違いを、人を幸せに導く要件に対する視座の違いと私は見ましたが、『無頼化する女たち』(水無田気流著、洋泉社新書y)では、勝間本は拝金主義と女性の出世に対するタブーを払拭したと評価しています。

そして彼女をこの閉塞した世の中を生き抜く力を備えた無頼の女性の代表と認めて、<サバイバル・エリート>などという称号を与えています。なお「無頼化」の意味は、他の誰をも頼みにしない、強くて自立性を高める傾向ということです。

さらに著者は彼女たち一人ひとりについて「勝間は、時代を賢くサバイブするための覚醒をうながす「伝道師」。一方、香山は、覚醒が過剰に進んだとき現れる病者を治癒し沈静をうながす「治療師」である。社会における役割が正反対であるため、衝突は必然的と言える。」とその所見を述べています。


●「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

エヴァンゲリストかサイキアトリストかは別にしても、彼女たちは、幸せな生活、あるいは幸せな人生を手に入れることを目的にしてそれぞれの考えを書いているわけですが、そのことについて書かれた本は、昔から少なからずあります。

うんと遡れば、アリストテレスの議論、人の理性と感情を適正に保ちながらいかに生きるかをニコマコスが編集した『ニコマコス倫理学』(高田三郎訳、岩波文庫)がそうですし、東洋では慣用句「塞翁が馬」を生み出した『淮南子』(えなんじ)などが挙げられます。

そこまで遡らなくとも幸せで豊かな生活、あるいは人生を獲得する方法を論じた本は少なからずあります。私はここで福澤諭吉の『学問のすすめ』を取り上げることにしました。この本が、人の幸せとどうかかわるのか、もしかしたら不審に思われるかもしれませんが、以下でそのことについてお話しします。

ところでこの本は1872~76年に掛けて全17編が出版されましたが、出版と同時に当時の人びとによく読まれ、各編とも20万部ほど購買されたと言われています。しかもいまでもこれが出版されています。ちなみに過去3年で11点(現代語訳やまんがやオーディオ・ブックなどを含む)も出されています。その意味でこの本は、わが国初のベストセラーに擬せられていると同時に、ロングセラーであるともいえます。

ここでは、『学問のすすめほか』(中公クラシックス)を紹介しますが、この本の冒頭に書かれているあの有名な文言を知らない人はいないのではないでしょうか。それはもちろん「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」です。そしてその文言は、自由と平等の思想を高らかに唱いあげている、と一般には理解されています。しかし、その認識は必ずしも適正ではありません。

それに続く文章を読んでみましょう。
「されば天より人を生ずるには、萬人は萬人皆同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、萬物の霊たる身と心との働きを以て天地の間にあるよろずの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各安楽に此世を渡らしめ給ふの趣意なり」とあります。

文言は、これが書かれたのが明治初期のことなので、たしかに古い文語体で、いまの書き言葉ではありません。ですから『現代語訳学問のすすめ』〔齋藤孝訳、ちくま新書〕や『学問のすすめ〔現代語訳〕』(檜谷昭彦訳、三笠書房)などが出されるのですが、江藤淳は、福澤の文体には読者の心に響きわたる一定のリズムがあり、2、3回音読すると、自ずと文意が通じる、などと言っています。

その説にしたがってこの文章を音読してみて下さい。そうするとそれは、「人間は誰もが、生まれながらに備わった能力をフルに活用して、自分の身の回りに存在するあらゆるものやことがらを利活用して日常生活を送り、他人に世話を掛けたり、迷惑を掛けることなく、自由自在に、幸せにこの世を過ごしたいと願っている。その意味で人間は誰彼の違いはない」と唱えていることがわかります。

●にもかかわらず、貧富の差などができるのはなぜか?

それが福澤の自由・平等の根幹にある考えなのですが、彼はその文章に続けて重要な疑問を投げかけます。それは、理念的にはたしかにそうなんだけれども、現実には、例えば賢愚や貧富などの差が生じているのはなぜか、という疑問です。

福澤はこの疑問に「学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり」と即答します。そして学問の目的は、「身と心との働きを以て天地の間にあるよろずの物を資り、以て衣食住の用を達し…安楽に此世を渡らし」むための力を付けることであり、そのためには「あるいは人の言を聞き、あるいは自ら工夫を運(めぐ)らし、あるいは書物をも読まざるべからず」と言及しています。

福澤のそうした考えは、『勝間さん、努力で幸せになれますか』で勝間が言うこういう考えと似ています。すなわち「問題が起きたときに、一人一人が努力をして、課題を一つ一つ解決し、よりよいシステムにしていくことが、私たちの生活を楽しくしていきます。」と。

しかしその楽しい生活についてのコメント、「気持ちよくおいしいご飯を食べて、お茶を飲んで、肌触りのいい洗濯がされている好きな洋服を着て、好きな人や愛する家族と時間をすごし、その毎日をサポートするための経済的余裕を、自分の得意技を社会で発揮することで得る、そんな毎日が幸せなのです。」は、福澤の考えとは少し違うようです。

福澤は明治初期の社会的揺籃期にあって個の自立が国民国家形成に不可欠であるという日本近代化への方法を議論しています。勝間の、いわば実践的<独立自尊>の発想とは大きなズレがあるようです。

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