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加藤良三氏の「アメリカと野球雑感」

~野球と国際政治を10倍楽しむ方法~

更新日 : 2009年10月20日 (火)

第3章 プロ野球に「凡ミス」は存在しない

加藤良三氏

加藤良三: 去年(2008年)7月に日本プロ野球コミッショナーに就任し、現場を知りたいという思いで、12球団13球場を視察させていただきました。今年のスプリングキャンプも各球団、全て視察させてもらいました。また、それぞれのチームのご好意により、ネット裏、外野席、内野席、ダッグアウト裏、貴賓室など、いろいろなところから野球を見せてもらいました。グランドにも降りさせてもらいました。

その結果、私が感じたのは、やはり野球はフィールドに近いところで見るのがいいということです。これは、フィールド近くで見ると野球がより刺激的に見えるということだけではありません。フィールドを離れて遠くから見ているのでは、野球の個々のプレーの難しさがわからないのです。貴賓室でワインとおいしい食事をいただきながら眺める野球は快適でありますが、個々のプレーが簡単に見えてしまうのです。

すると、批評する側が傲慢になる可能性があるのです。「何だ、今の。あんな凡ゴロをトンネルしやがって」と。ところがそういう凡ゴロというのは、本当はないのです。野球人口580万といわれる中で、プロ野球選手になれるのは、わずか900人です。プロ野球選手は、大変な天才集団なんです。

例えば、岩隈久志投手が投げるのを見ていると、「直球」といっても、最後のところで右に左に、上に下に、ちょっと球がずれるのです。その球は、捕るのが専門であるキャッチャーでもミットの芯でとらえられずに、土手で受けることしばしばあるほど。でも、それを打つバッターがいるのです。そして、打たれた球を捕る野手がいる。

ゴロ1つにしても、ちょっとした球の回転や、グラウンドのくぼみに触れたか触れないかで変化します。それを何気なく捕ってアウトにする。そういう選手たちのプレーをみる監督がいる、コーチがいる、審判がいる、トレーナーがいる。

現場で見ないと、その難しさはなかなか理解できません。その難しさを理解して、選手に対する敬意を持ったうえで、野球全体を考えるという姿勢が必要だと思いました。

現場を体得したいあまり、私は志願してプロの球というものを打たせてもらいました。相手が私ですから、投手は当然手加減してくれましたが、マシンも含め、2日で合計100球ぐらい打たせてもらいました。130キロ前半の球が多かったと思いますが、実際打ってみるとこれは相当速いです。

自慢ではありませんが、私、かなり当たったのです。これにはコーチの人も驚いて、「67歳の素人にしては、よく当たる」と、言っていました。ところが、彼らが全然驚かなかったことは、殆どが「かすった」というだけで、「芯」には全然当たっていなかったことです。

バットの先っぽに当たったときの手の痛さ、詰まったときの痛さは大変なものです。稀に芯に当たると痛くないのです。「加藤さん、明日は手が痛いよ」と言われたのですが、本当にその通りで、左手が今まで経験したことないほど紫色に腫れ上がり、治るのに4週間もかかってしまいました。

プロ野球は本当に天才が行うゲームだという感じがいたします。

もう1つ、アメリカの大リーグの大選手の逸話を。セントルイス・カージナルスに昔、スタン・ミュージアルという選手がおりました。7回首位打者になり、3回MVPに選ばれ、終身打率3割3分1厘、3,630本ヒットを打った選手です。

そのスタン・ミュージアルはこんなふうに語っています。「若いころは自分の才能が打たせてくれた。ちょっと年数がかさむと今度は自分の技術が打たせてくれた。それから、さらに先になると自分の経験が打たせてくれた」

素質・才能の時代、技術・技能の時代、そして経験の時代。それぞれ3つとも努力に裏打ちされていなければだめなことではありますが、この3つがうまい具合にミックスされるということは、野球のみならず、どの世界においても大事なことだと思います。

このスタン・ミュージアルの素質・才能、技術、経験というものを、アメリカが、日本が、ほかの国々が、国としてどういうふうに活かすか、という課題があると思いました。

そこで、私が通算で15年半勤めたアメリカという国について申し上げます。


該当講座

アメリカと野球雑感
加藤良三 (日本プロフェッショナル野球組織 コミッショナー)

加藤良三(日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー)
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