66ブッククラブ 第3回
『三体』を読む
第2章 中国文学お家芸の源泉
アカデミーヒルズとコンテンツレーベル「黒鳥社」のコラボレーションによって始まった、新しいタイプの読書会「66ブッククラブ」。8月6日に開かれた第3回では、「中国SF」をテーマに、劉慈欣の『三体』を取り上げた。本作は、既存のSF作品の作法から大きく逸脱した「超怪作」。読後に誰もしが戸惑った、この中国SF史上最も成功を収めた本作に対する感覚は一体なんなのか? 日本版『三体』を翻訳した翻訳者・大森望氏、デザインシンカーの池田純一氏をゲストに招き、黒鳥社 コンテンツディレクター若林恵氏のファシリテートのもと、単なる「とんでもSF」では片付けられない、『三体』から滲み出る「中国SFの作法」の輪郭を明らかにする。
TEXT BY TAKUYA WADA , KEI WAKABAYASHI
PHOTOGRAPH BY YURI MANABE
池田純一 (コンサルタント・デザインシンカー)
劉慈欣の『三体』について、池田氏は「前半パートの文革描写がリアルで、社会派ミステリーの様相を呈していたが、後半は荒唐無稽な展開。読後感が90年代のものに近く、新しさを感じず不安を覚えた」と、開口一番語った。厳しい意見のようだが、訳者である大森望氏が、『三体』を「かなりやんちゃな手法であるし、SFのセオリーからすると、普通はここまでレベルが違うものをひとつの作品に混ぜない。けれども、これらが同居することで、不思議な効果が生まれてもいる」と評したのを聞いて、「安堵した」とも語る。
前回のレポートで大森氏が語ったのは、『三体』が、現実の問題に則したリアリティと、SF的なリアリティを追求しないスペキュラティブ・フィクションの要素が同居するという点だ。その「やんちゃさ」の結果『三体』は、さまざまな寓意を読み取りやすいものとなっているのかもしれない。本作が、コアなSFファンだけでなく、一般読者、つまりSFファンの外に広く届いたことも、そう考えると納得がいく。
著者の劉慈欣は、本作に政治的含意を含まれていることを否定してはいるが、うっかりするとそうした読み方をついしてしまいたくなる箇所が、『三体』には随所にある。たとえば、中国には、文化大革命における過ちを描く「傷痕文学」というジャンルがあるが、検閲の厳しさが増している現政権下にあって、文革の悲劇を描くためには、『三体』のようにエンターテインメントとして偽装すること必要とされたのではないかなどと、考えたくなってしまう。
本作のなかに体制批判のメッセージを読み取る傾向があるのは何も日本だけではない。アメリカでもそうなのだという。興味深いのは、科学発展のスピードを恐れて地球に干渉する宇宙人の世界=三体世界がアメリカで、その対応をめぐって内紛に陥っている地球が中国という読み取り方がされている点で、アメリカが中国の経済発展の速度を遅らせるために貿易戦争をしかけていることを思えば、10年前に書かれた本作に予言的な性格を読み取りたくなるのも無理はない。
「ソフォン(智子)を使って地球の科学進歩の足を止めさせようと仕掛ける三体星人が、フェイクニュースで内紛を生じさせ、知識を高めるための産業を潰すくだりは、個人的にはロシアと重なりました。そんなふうに読むと『三体』の物語は、たしかにいまの世界にフィットしているし、先見性があったようにも思えるんですよね」
そう語る池田氏は、『三体』の荒唐無稽な物語作法を理解する上で役に立つかもしれない1冊として、まず
井波律子の『中国文学の愉しき世界』を挙げた。
「中国文学の大家である井波先生は、この本の中で、中国の文学には奇妙・奇天烈に落とし込むお家芸があると指摘しています。『水滸伝』『三国志』などの中国怪異譚や奇想小説に特徴的な『幻想と夢の物語宇宙』を、もしかしたら『三体』もある部分で受け継いでいるのかもしれません。たしかに『西遊記』あたりを思い起こすと、『三体』後半の荒唐無稽な展開も腑に落ちますし、似たような効果を感じる感じなくもありません」
続いて池田氏は、木村大治『見知らぬものと出会う: ファースト・コンタクトの相互行為論』を紹介する。大森氏が『三体』のあとがきで「テーマは、異星文明とのファーストコンタクト。カール・セーガンの『コンタクト』とアーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』と小松左京『果てしなき流れの果に』を一緒にしたような」と紹介していたことに触発されての選書だという。
「著者の木村さんは人類学者ですが、本書は、圧倒的な他者である宇宙人とどう接触することができるのかを考察したとても面白いものです。いわば『未知なるものを想像して、見知らぬものとのコミュニケーションをとるための構え』を順序立てて解説するのですが、そのなかで、カール・セーガンが『コンタクト』で描いた1936年のヒトラーの演説のシーンや、山田正紀の傑作SF『神狩り』の一節などが引用されています」
そして池田氏は最後に、作中でも言及される「三体問題」に解が存在しないことを証明したポワンカレに関連して、イーヴァル・エクランド『予測不可能性、あるいは計算の魔』を挙げる。
「時間を数学的に捉えようと試みたポアンカレは、ホメロスによるギリシャの英雄譚『オデュッセイア』『イリアス』などの文学作品に描かれた線的で静的な時間の流れと、瞬間瞬間にあらたに時間が生成されるような動的な時間の流れを、対比的に考えていたと本書では説明されています。この動的な時間の流れは、VRの三体世界での時間と共通性があるのではないかと思います」
『三体』の先見性、中国文学お家芸の源泉、異星人とのコミュニケーション、数学で捉える「時」──。一見荒唐無稽なトンデモ小説に見える『三体』というSF作品は、その実、多面的で複層的な読解を可能にする、ユニークなテキストでもある。中国SFのへの未知なる読書の旅は、ようやくはじまったばかりだ。
『中国文学の愉しき世界』
井波律子『三国志』『水滸伝』『西遊記』など、中国の壮大な物語世界における、奇人・達人の群像を語る中国文学のガイドブック的作品。「中国SFに対する構えと、日本SFのそれとの差分がわかる。井波律子さん、中野美代子さんは中国文学の大家だが、絶版となっているものが多いので、ぜひ読んでほしい」と池田氏。第1章で紹介した『中国科学幻想文学館』の著者・武田雅哉は、中野美代子に師事した。
『見知らぬものと出会う: ファースト・コンタクトの相互行為論』
木村大治 「未知との遭遇」を扱った思考実験的なSF作品などから、「見知らぬ、コミュケーションのとっかかり」がないものとのコミュニケーションの成立条件を考察した作品。「未知の『異星人』とのロジカルなコミュニケーションのとり方は、『三体』では抜け落ちている部分です。人類学者である著者自身のアフリカでのフィールドワークから得た知見なども参照して考察された作品です」
『予測不可能性、あるいは計算の魔』
イーヴァル・エクランド 数学書の優れた書き手として知られるイーヴァル・エクランドが、「時」を数学的に捉えようとした作品。日本語以外に9カ国語に翻訳されている。池田氏は、「フラクタルかつカオスな時間の流れを数学的に捉えるという考え方が面白い。VRの三体世界での時間の変遷と共通する部分でもある」と指摘する。
<次回、66ブッククラブ 第6回はこちら>
66ブッククラブ 第3回 インデックス
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第1章 「蛮勇の産物」をときほぐす
2019年09月17日 (火)
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第2章 中国文学お家芸の源泉
2019年09月19日 (木)
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第3章 最も不安な読書
2020年02月18日 (火)
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