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すべては「好き嫌い」から始まる

楠木建×米倉誠一郎が語る「これからの仕事論・生き方論」

更新日 : 2016年12月21日 (水)

【後編】自分の「好き嫌い」を抽象化してみる


 
「好き嫌い」と「比較優位」

米倉誠一郎: いまや「余人をもって代え難い」人物となった楠木君は、全力投球、努力が大嫌いだと言う。本当にこれまで努力はしなかったの?

楠木建: 若い頃は「努力をせず、好きなことだけしながら生きていきたい」と考えていました。その後、大学院に進み、本を読んだり、文章を書いたりすることが好きだったので、そのまま大学で仕事を始めました。

学者は論文を書き、学会で発表したり、著名な雑誌に掲載されたりすると評価されます。先輩からも「それが良いことだ」と教えられ、30歳頃まで懸命に論文を書いていました。すると、ある論文がまあまあ著名な雑誌に掲載され、国際会議で報告したりする。周りからも「良かったね」と言われ、僕もまあまあ嬉しかった。でも、心底達成感があったわけではない。それどころか、しばらくすると「これは本当に仕事なのかな?」と感じ始めた。

僕は元々、経営者・実務家の役に立ちたいと思って、この仕事を続けてきました。しかし、アカデミックな世界では、論文が認められるかどうかで良し悪しが判断される。誰かの役に立ったかどうかは関係ない。論文を書いても、僕にとってのお客さんである経営者・実務家が読む可能性は、限りなくゼロに近い。これはもしや「趣味」ではないかと思ったわけです。

そこで、僕の設定するお客さんである実務家に直接届く仕事をしようと思い、学術的なフォーマットでの仕事を手仕舞いにしました。その際にモデルとなったのが米倉さんです。当時、論文云々とは一切関係のない世界で仕事をしていたのは、米倉さんだけでした。少なくとも一人は前例がいることを知り、安心したのです。

米倉誠一郎: 有り難い話だけれど、仕事に関する意見は見事に合わないよね(笑)。

楠木建: 意見は合わないけど、気が合う(笑)。

米倉誠一郎: 実際、楠木君はすごいよね。優れた経営者達が『ストーリーとしての競争戦略』は面白いと言い、彼らの実務にも影響を与えている。学問としての経営学と、実務に役立つ経営学、果たしてどちらが正しいのか? なかなか難しいね。

楠木建: たしかに、研究が好きな人、論文を書くことが好きな人はいますし、その蓄積から世のため人のためになる研究、論文もたくさん生まれています。僕が嫌なのは、人に威張るため、あるコミュニティで認められるためだけにそれらをすること。

米倉誠一郎: その時点で趣味になっている。経営学ならば、現実の経営にインパクトを与えたいと。

楠木建: それが「好き」なことだから、努力が娯楽化しているわけです。朝9時に仕事場に入り、書き始めて、気づけば夜の11時ということもある。そうした時は自分でも「この仕事が好きなのだな」と思います。

米倉誠一郎: でも、実際の仕事では好きなことだけとはいかず、嫌なこともやらなければならない。

楠木建: たしかにそうですが、一方でこの世の中には好き嫌い、得意・不得意の異なる人間が70億人もおり、そこには「比較優位」があるわけです。ならば、それぞれの分野について好きな人、得意な人で分業しながら成果や価値を交換すればいい。これは商売、経済活動の1丁目1番地ですよね。

米倉誠一郎: なるほど! 分業と比較優位、すなわちアダム・スミスとデヴィッド・リカードのアウフヘーベンだ(笑)。やはり、人間はコンペティティブ・アドバンテージ(competitive advantage)があるから面白い。逆に言えば、1つでも好きなことがあれば、それだけで生きていくこともできる。誰もが同じ能力を持っていたら、世の中はまったく面白くないし、多様性も生まれない。

仕事においても、比較優位を起点に分業して価値を交換すればいい。そのために組織や会社があり、社会があるわけだから。それなのに、皆が似たような仕事をして、同じような基準で評価され、潰し合っているような状態では、より良い社会になるわけがない。
 
「機が熟す」タイミング

米倉誠一郎: 生き方・働き方と言えば、楠木君は奥さんの出産後、主夫をしていた時期があった。

楠木建: 当時は週3日勤務、9時~15時で働いていました。僕は大学院生の頃に学生結婚をしています。奥さんはすでに働いていましたが、結婚する際、「これから15年は面倒を見てやるから、好きなことをしていいぞ」と言われて。

米倉誠一郎: 奥さんが大黒柱になると言ったの? すごいねえ。

楠木建: 「その代わり、自分の選んだ仕事については途中でガタガタ言うな」と(笑)。僕は大喜びで結婚し、大学で自分の好きな研究をしていました。子どもが産まれた時は、当然のことながら育児や家事をやりました。

それからしばらく経った頃、朝起きると妻が家にいる。「どうしたの?」と聞くと、「15年経ったから会社を辞めた。今度は私が15年、徹底的に好きなようにするから、後はよろしく」。奥さんは今、大学時代に日本史を専攻していたこともあり、古事記や日本書紀などについて勉強しています。

米倉誠一郎: 20代、30代は好きなことをさせてもらったわけだ。主夫業もまったく問題なかった?

楠木建: 僕は基本的に、家にいるのが大好き。今でも主夫業というか、仕事が終われば真っ直ぐ家に帰り、大好きな読書という毎日です。米倉さんは昔から「運動」が大好きだった。スポーツではなく、ムーブメントのほう。「好き」の中身はイノベーション、日本元気塾、2枚目の名刺と時々で変わっていますが、「ソマリランドに大学院を作るぞ!」とか言いながら、今も世界を飛び回っている。この点ではまったく僕と合いませんね(笑)。

米倉誠一郎: まったく(笑)。で、「好き嫌い」と言っても、「自分はこれが好きだ!」と分かるタイミングはあるの?

楠木建: 「機が熟したな」と感じた時ですね。僕の尊敬する経営学者・藤本隆宏さんの本を読むと、必ず前書きやあとがきでビジネスの現場にいる人に対して熱いメッセージを発信しており、「この本を出したのは、伝えるタイミングとして機が熟したから。現場で頑張る人達にどうしても聞いてほしい」などと書かれている。たしかに、読んでみると「機が熟した」感がビシビシ伝わってくる。

米倉誠一郎: とはいえ、「機が熟す」タイミングがいつやってくるのかなど、分からないよね。

楠木建: だから、キャリアは計画できないわけです。例えば、好きなことに没頭し続け、やがて機が熟してくると、アクションを続けることが「苦」ではなくなる。あるいは、無理やり抑えつけても、思いが外に飛び出し、体が勝手に動いてしまうというか。

僕が本を書く時も、機が熟すのをひたすら待ちます。考えがまとまっていない段階では、テーマも構成も浮かばず、「書くぞ!」と気合いを入れても言葉が出てこない。そしてある日突然、考えがピタッとまとまり、「この考えを世の中に出すのは今だ!」と強く感じるようになる。そうなれば、テーマや構成も自ずと決まり、とめどなく言葉があふれ出してくる。

米倉誠一郎: 苦ではなくなる、イコール、機が熟す。起業やイノベーションにも通じる話だね。

 
「嫌い」を続けない

会場からの質問(1): 意味づけや捉え方を変えれば、嫌いなことを好きに変えることはできますか?

楠木建: 「嫌よ嫌よも好きのうち」ということもあります。好き嫌いも、まずは一歩を踏み出してみなければ何事も分からない。簡単に「向いていない」と考えて、活動カテゴリをコロコロ変えていても、可能性が狭くなるだけ。自分が面白いと感じることを色々な視点から捉え直してみると、好き嫌いが裏返り、やる気が出てくるかもしれない。

会場からの質問(2): 「好きなことが分からない」という人には、どのようにアドバイスをすればいいでしょうか?

楠木建: 僕はチームワークが苦手。なぜなら、人にコントロールされるのが嫌だから。「なぜ?」「どうして?」と抽象度を上げながら「好き嫌い」を考え、その中身を深掘りしていくと、選択の自由度が一気に広がります。

一方、嫌いなことは結構早い段階で分かります。僕のオススメは「好きなことが分からなくても、嫌いなことはしない」。自分を騙して嫌な仕事をダラダラ続けていると、やがて何が好きなのかさえ判断できなくなるからです。そうなりかけた時は、頭から布団を被って寝てください。これができるかどうかで、人生の面白さが変わってきます。そして、「好きだな」と感じることが見つかれば、とりあえず一歩を踏み出してみる。

その先、「余人をもって代え難い」レベルになったかどうか、世のため人のための仕事ができているかどうかは、厳しい世間の目がちゃんと評価してくれます。

米倉誠一郎: なーるほど。面白かったね!(了)




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〜 これからの仕事論・生き方論 〜
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「好き嫌い」という視点から観察・分析してきた楠木教授と、「ふつうのビジネスパーソン」が“自ら一歩を踏み出す人間”へ変革することを目指す、日本元気塾塾長の米倉教授による、混沌とした時代を生きるための仕事論・生き方論をテーマにした対談セッションです。


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